3/ 1st, 2012 | Author: Ken |
“Let Freedom Ring”…ジャッキー・マクリーン
いやー、ずいぶんと集めたもんだ。まだ探せば物置にあるはずだ。初期のマイルスなんかのとかね…..。と、言ってもこれくらいじゃとてもコレクターにはなれないし、またディスコグラフィーを作るほどの時間も趣味もない。
若かりし頃ジャッキー・マクリーンが大好きだった。記憶があやふやなのだが最初に聴いたのはマイルスのレコードじゃなかったか?ドクター・キリコだったように思う…..。ハンサムでシャープ、切り裂き引き攣れるようなサウンド。気まぐれで微妙で不安感のある音程、揺れ動くフレージング、不協和音とキリキリするスキーク音を連発しアヴァンギャルドの方向とフリージャズを示唆する若きプレイヤーだった。パーカーの時代からハードバッパーとして数多くのミュージシャンとバトルとセッションを繰り返していた。あのミンガスとの歴史に残る「ピテカントロプス・エレクトス」、凄みある「水曜日の祈りの集い」。ケーニー・ドーハム、ジョニー・グリフィン、ドナルド・バード、アート・ブレイキー、前衛の騎手だったオーネット・コールマンとのセッションさへあるのだ。
大ヒットを飛ばした「レフト・アローン」「クール・ストラッテン」….これはセンチメンタルで分かりやすく聴きやすいのだが、ぼくの好みではない。そしてブルーノートのマイルス・リードによるデザインの斬新さ。このデザインのためにLPが欲しくてほしくて….。最下段の写真の3枚。このデザインを見てよ!何て新鮮でカッコ良く、これだ!有頂天になるのも無理は無い! 3段目の右にあるオカルティックなジャケットは「デモンズ・ダンス」イラストレーションは鬼才マティ・クーラワインだ。彼はマイルスの「ヴィチェズブリュー」、サンタナの「天の守護神」もそうだ。時代が揺れ動きヴェトナム戦争とハイジャックと時代がオカルト的様相を示していたのだ。ドラッグとヒッピーと泥沼の戦争、日本も当然のように時代の息を吸っていたから70年代のハチャメチャへと続いていく…。
そして3段目の右端「ジャッキーズ・バッグ」。このデザイン作法には脱帽した。このLPを裸で持って歩く姿を想像してごらん? 書類入れに見えてレコード・ジャケットなんだ。ぼくは今でもこの発想を大切にしている。デザインの原点だ。
LPの程よい大きさとグラフィック、ずっしりとした重量感、針を落とす時の期待と緊張。CDやipodはこれを奪ってしまった。データと呼ばれるデジタルは手に入れる喜び、1枚づつ集める楽しみ、眺める嬉しさへ消し去ってしまった。味気なさとはこういうことだ。J・マクリーンの1枚を選べ?「レッツ・フリーダム・リング」が演奏もジャケットも最高だといまでも思っている。
マクリーンには膨大な吹き込みがあり、すべてを集め全部を聴くことなんてとても敵わない。 そうそうライブでは64年だったか「ジャム・セッション」と銘うって来日したのだ。ベニー・ゴルソンなんかとね。そして80年代の半ばだったか再来日にも行ったのだ。
ああ、時間はあれほどシャープだった彼を磨り減らしていたのだ。中年太り、それはまあいい。音やフレーズ、サウンドまで緩んでしまっていた。ジャズの輝ける太く逞しい鮮烈が過去になっていたのだ。ぼくも歳を取っているくせに、まだ青春の残滓である微かなモダンジャズの残り香を探していたのかもしれないが….。しかし現実はジャズという盛りを過ぎた懐メロという音楽になっていた。ぼくはレコードを買うのを止め、ライブにも行かず、ジャズそのものも聴かなくなってしまった。革新と熱気と暴力的にまで過激なサウンド、刺々しく荒々しく反抗的で破壊的で、リズムとサウンドの限界を目指し、それでいて切なく哀しく知的で躍動する限りなく美しいジャズ。ハードバッパーの力強い牽引力に身を委ねる心地よさ。時代は終わったのだ。いまはもう懐メロとして耳を通過するだけだ。寂しい…。