3/ 10th, 2012 | Author: Ken |
これぞプロフェッショナル。R・Aldrich
I’ve written a letter to Daddy His address is Heaven above I’ve written “Dear Daddy, we miss you
And wish you were with us to love” Instead of a stamp, I put kisses
……お父さんに手紙を書いたわ….舞台で愛らしもこましゃくれたベビー・ジェーンが歌う。….時は過ぎ古い屋敷に年老いた姉妹が暮らす。かって名子役で一世を風靡した妹のジェーンはアル中で昔の夢が忘れられない。大女優であった姉のブランチは車椅子の生活だ。
この姉妹の心の中の鬱憤、葛藤、陰湿、幻想、憎悪、残酷、狂気。そして醜悪と滑稽と哀れさと、感傷など無縁の狂気迫る世界だ。それにしてもベティ・デイヴィスは凄い!まさに怪演。あの「イヴェの総て」の大女優が醜怪な厚化粧の老醜を曝して見事に演じる。
まあ、「八月の鯨」では心温まる老婆を演じたが。ほら、ピアノ教師が古い楽譜を弾き始めると二階からジェーンが満面の媚びで下りて来る。踊り歌う….It’s a wonderful! このシーンにはゾクゾクしてきますね。何て映画作りが上手いんだろう!そう、アルドリッチだからだ。
これぞプロフェッショナルだ。ロバート・アルドリッチ監督の映画はどれを見ても頗る面白い。まずテーマとアイデアが凄い。異様な状況設定のなかの人間を描くのだ。そしてハラハラドキドキ観客をいたぶる技巧に冴えているのだ。徹底してセンチメンタルを排したハードボイルドである。骨太である。汗臭い。異端である。男達の面構えが不敵である。執念がある。怒りがある。憎悪がある。心理サスペンスが深い….。こんなことをいくら書いても映画を見れば分かる。
初めて観たのが「攻撃・Attack」(1956)だった。気力を振り絞りジャック・パランスが神に祈る…どうかもう1分間だけ生かして下さい。絶叫の形相のままの死。これぞ西部劇「ヴェラクルス」(1954)だ。バート・ランカスタターの不敵な笑み、真っ白な歯がニカッ!舞台は南北戦争後の動乱のメキシコ、ガンマンたちの悪相、息もつかせぬ展開、革命軍や太陽のピラミッドで有名なテオティワカンの古代遺跡群を背景にヴェラクルスに向う、最後の決闘シーンなんて世界中が真似したのだ。主役を喰うとはこのことだ。
「北国の帝王」(1973)これまたホーボー対鬼車掌、無賃乗車のプロ、車体の下に隠れたをホーボー追い出すのに分銅を線路に踊らすなんざ….。「飛べフェニックス」(1964)冒険小説好きにはこたえられません。「何がジェーンに起ったか」(1962)….老醜といえばグロリア・スワンソンの「サンセット大通り」(1950)監督ビリー・ワイルダー。その最後のシーン、カメラの砲列、フラッシュ、アクション!往年の大女優が妖艶のオーラを放ちながら迫ってくる。……鬼気迫りますね。
「ロンゲストヤード」(1974)刑務所で囚人対看守のフットボールでの闘い。エド・ローターがいいんだ。連中の凶悪なこと、黒澤の「用心棒」、丑寅の子分達を想像させますね。「燃える戦場」(1970)高倉健出演、両軍を隔てる広場をひたすら駆ける。これが撮りたかったのか?….アルドリッチには他にもたくさんあるのだが、どれもこれも秀逸です。
彼の作品は決して文学作品や芸術作品ではない。映画の職人でありプロフェッショナルだ。観客をハードに喜ばせてくれるのだ。残念ながら一部を除いた日本評論家たちにはこの面白さは分からないのだ(まあ、岡本喜八、五社英雄、三隅研二監督はいたけれど)。貧乏臭いウジウジした私小説的世界が映画だと思っている連中にはね。アメリカという風土が生んだデザイン手法なのだ。Esquire誌のジョージ・ロイスやTIME誌の表紙にあるのと同じアイディアの根源なのだ。小説家・監督であったマイケル・クライトンも同じだ。「ウェストワールド」のブリンナー扮するロボット、これはターミネーターのモトネタじゃないか!….ロバート・アルドリッチ、観客の心に対してダイナミックにデザインしているのだ。これぞプロフェッショナルの仕事だ。