6/ 22nd, 2010 | Author: Ken |
さあ、気狂いになりなさい。
ヒッチコックほど観客を手玉にとる人はいない。計算し尽くしているのだ。プロットの中に巧みに地雷を潜ませておいて、観客の苛立ちと不気味さが頂点に達する時に爆発さすのだ。突発的ショックである。
会社の金を持ち逃げしたマリオンが、執拗にパトカーに追け回されたり、母親の話になるとにわかに目つきが変わるノーマン。剥製、雨、不気味な家から女性のわめき声。突如、シャワー、カーテンに影、顔、シャワー、ナイフ、悲鳴、足、排水口、血が吸い込まれていく。恐怖、ショック、エロティシズム、残酷、このカット割りの見事さ!おまけに主人公であると思わせていた人物が死んでしまうから観客は宙ぶらりんになってしまう。つまりサスペンスなんですね。
このシャワーシーンはタイトルデザイナーのソール・バスの絵コンテに基づくそうだ。そういえばアメリカ映画の制作背景には徹底した絵コンテ(まるで劇画そのもの)があるのだ。「間違えられた男」の絵コンテなんてそれはもう!ヒッチコックはシナリオにいっぱい書き込み、光と影と表情まで計算され尽くされ、映画を作る前に「絵」「カット」「演技」「流れ」によって紙の上で出来上がっているのだ。わが国では黒澤明監督の絵ぐらいしか知らないが、この辺が違うのだ。
最近の邦画やTVはレンズの性能が上がりデジタルなのでベタ光線、何ともツマラない陰翳の表情のない平面的画面ばかりだ。制作者の美意識の劣化は眼を背けたくなる。見ていてこちらが恥ずかしくなるから、まず映画館には足を運ばないし、こんなものに金を出したくない! あの黒澤明、小林正樹、木下恵介の素晴らしいシナリオと映像は何処へ行ってしまったのだ。くたばれ!頭の悪いお子様ランチ日本映画め!…..スマン、スマン、つい激昂して。
…..閑話休題、そして映画には感情同化作用があるので、ついノーマンに同化してしまい、あの車を沼に沈めるシーン。沈んでいくと途中で止まる。オイオイと観客に思わせて一呼吸おいてまた沈む。心憎いね。そして探偵が突如襲われ顔のアップから階段を転げ落ちるショッキングさ。….最後のシーン、ノーマンの気味悪い顔に母親の木乃伊、骸骨の歯が重ねられる。恐さが余韻を引くのですね。
ヒッチコック先生、ここまで観客を嬉しくも、いたぶり、なぶりものにするのか! 裏でおとぼけヒッチの顔が浮かびますね。