2/ 14th, 2011 | Author: Ken |
さかしま
そいつは倦怠というやつだ。…… 偽善の読者よ、同胞よ、兄弟よ。ボードレール:悪の華
フロルッサス・デ・ゼッサントという男がいる。貴族の末裔であり同族婚による劣勢遺伝子のためか病弱で過敏過ぎる神経症、E.A.ポーのアッシャー的人物だ。かっては放蕩を快楽を蕩尽し、19世紀末のブルジョワ民主主義と効率至上主義を嫌い、ひたすら趣味と洗練と美意識のためにひきこもり人工楽園をつくり上げる。自己趣味に徹した内装とラテン文学、ボードレールとマラルメの詩、食虫花や人工花、香水幻想、口中オルガンと称するリキュールの微妙なカクテル、音楽、幻想美術について延々と語られるのだ。デカダンス文学の聖書とも評されるが、誰だって自分の趣味嗜好の世界。そう、自己の糸で紡いだ繭のなかで、温々とした羊水に浮かぶ胎児のように幻想に漬りたいのだ…。
船を模した造りにアクアリウム、奇矯なオレンジ色の部屋、東洋の絨毯をより引き立てるために黄金と宝石を散らした鎧を亀に着せ、神経症による幻覚と、空想のなかで人工的技巧美を熱愛し、反自然的なものを求め続けるのだ。「本物の花を模した造花はもうたくさんで、彼がいま欲しいと思っているのは、贋物の花を模した自然の花であった」。
またジャック・カロやヤン・ロイケンの残酷さに満ちた絵画、そしてルドンの不安をかき立てる版画、モローの「サロメ」は淫蕩とヒステリーの呪われた女神である。ゴヤの絵を(カロは1633年にエッチングによる「戦争の惨禍」を描き、ゴヤも1810年に「戦争の惨禍」を同じく版画で描いている)壁に掛け、趣向と追求の饒舌ぶりは果てがない。旅に出ようと思いパリの駅まで行くが、結局想像力でどこへでも行けるとすれば行く事も無いと帰ってる….。
衰頽した精神、沈鬱な魂、移ろいやすくも繊細な神経。無為と懶惰と倦怠の裡に身を沈めるのだ。最後には医師から、このままでは神経症は快癒しないので、パリで普通の生活を命じられる。….彼は「己の投影・夢の宮殿」住居を引払うのだった。……...ただ根底にあるカトリシズムへの憧憬と反発、その奥にあるものは日本人の私にはとても掴むことが出来ない。文化の根本的差異であろう。全編に流れるのは第六感ともいえる「美意識」。通俗と俗悪を嫌い、意識と知性の高揚のために「美」を求めるのだ。
●ジョリス=カルル・ユイスマンス/著 澁澤龍彦/訳 光風社出版: 翻訳は流麗で訳者による丁寧な註がまた素晴らしい。