10/ 16th, 2010 | Author: Ken |
アッシャー家の崩壊 … ポー賛/4
重苦しく雲が低くかかり、もの憂い、暗い、寂寞とした秋の日もすがら、私はただ一人馬にまたがり妙にもの淋しい地方を通りすぎて行った。そして黄昏の影があたりに迫ってくるころ、ようやく憂鬱なアッシャー家の見えるところへまで来たのであった。… 私は眼の前の風景をながめた。… 阿片耽溺者の酔いざめ心地….日常生活への痛ましい推移….夢幻の帳のいまわしい落下 … といったもののほかにはどんな現世の感覚にも例えることのできないような、魂のまったくの沈鬱を感じながら。心は氷のように冷たく、うち沈み、痛み、…どんなに想像力を刺激しても、壮美なものとはなしえない救いがたいもの淋しい思いでいっぱいだった。…ほとんど眼につかないくらいの一つのひび割れが、建物の前面の屋根のところから稲妻状に壁を這さがり、沼の陰気な水のなかへ消えているのを、見つけることができたであろう。
エドガー・A・ポーの「アッシャー家の崩壊・The Fall of the House of Usher」1830。
この話を知ったのは小学生の頃、姉がラジオの朗読で聞いたのを語ってくれた。最後の「血のように真っ赤な月が…」。何と言う表現だろう眼前に赤い月が見え戦慄を憶えた。それ以来ポーには心酔している。あまりにも有名でいまさらストーリーや解説をしても始まらないが、冒頭の一節だけで寂寥とした風景描写にこれからの物語に没入させてしまうのだ。陰鬱な屋敷、その微かなひび割れの描写が最終節に大きな意味を持たせているのだ。この巧妙な計算!….そしてアッシャーの譚詩バラッド、これはおのれの人格が崩壊していく様を詠っているのであろう。
… 王なる「思想」の領域にそは立てり!そして狂気に堕ちいるいる様を….かくて今この渓谷を旅ゆく人々は 赤く輝く窓より、調べ乱れたる楽の音につれ 大いなる物の怪の踊り狂い動けるを。また蒼白き扉くぐりて 魔の河の奔流のごと恐ろしき一群走り出いで、高笑いす、―されどもはや微笑まず。
…叡智に輝いていた二つの窓、怪しき赤き窓とは双眼のことなのだろう。そして終節に至って…このその輝きは、沈みゆく、血のように赤い、満月の光であった。月はいま、その建物の屋根から稲妻形に土台までのびている、たあの亀裂を通して輝いているのであった。…幾千の怒濤の響き、長い、轟々たる、叫ぶような音が起った。―そして、私の足もとの、深い、どんよりした沼は、「アッシャー家」の破片を、陰鬱に、音もなく、呑のみこんでしまった。ポーの素晴らしさはスプラッターになりがちな恐怖譚を知的で美意識に満ち、芸術にまで高める品性である。以後のおびただしい他の恐怖譚と一線を画しているのだ。ぼくはポーの素晴らしい作品群のなかでも「アッシャー家の崩壊」が最高作と信じている。