11/ 19th, 2009 | Author: Ken |
クアトロ・ラガッツィ
天正十年一月二十八日(1582年2月20日)、長崎から4人の少年が出帆した。伊藤マンショ、千各石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティーノ、である…。天正少年使節をめぐる膨大な記録を執拗に追求し生まれた本である。
「クアトロ・ラガッツィ」は若桑みどり/著:「マリエリスム芸術論」「カラヴァジオ」「イメージを読む」「バラのイコノロジー」など図象解釈学、美学者としてのイメージが強かった。歴史という巨大な流れのなか、信長、秀吉など権力で時代を握った者でない無名の人々がいると問う。権力に逆らい、戦い、自分の人生をまっとうした人々である。それらの人々の夢、喜び、愛、怨嗟、悲嘆、そのものが歴史であると。
歴史はヒーローだけのものではない。あなたも私も、いまここ、時代の上に無名の存在としてあるが、これらの無数の人々がいなくて何の歴史だろう。1633年江戸幕府が鎖国を命令した年、ジュリアンは長崎で処刑された。穴吊りされた5日間、暗黒の中で彼は何を考えていたのだろうか…。希望と不安を胸に、輝けるリスボンへの船上で三人の友と暗唱した句「幸いなるかな、正義のため迫害されるもの、天の王国はその人のものである」(マタイ伝)。「クアトロ・ラガッツィ!スー、アル・ラヴォーロ(4人の少年よ!さあ勉強だ)」。
500ページを越える大著であるが、読み応え充分、本日2回目を読み終えた。
★最近2014年に伊東マンショ(1570?~1612)の肖像画がイタリアで見つかった。ティントレットの息子ドメニコ・ティントレット(1560~1635)が描いたそうだ。54 x 43cm。裏面にD.Mansio Nipote del Re di Figenga Amb(ascitor) e del Re Fra(nces)co Bvgnocingva a sva San(tit) aの銘がある。
●併せて使節団の従者であった日本人少年ドラードの眼を通して描いた、三浦哲郎氏の「少年讃歌」も読まれることをお勧めしたい。