3/ 7th, 2013 | Author: Ken |
コケカキィキィーッ!… メディアはメッセージである。
コケカキィキィーッ! この怪鳥の叫び声が耳の底に残っている。おどろおどろした異形と妖怪の世界だ。夕暮れともなると拍子木の音が聞こえる。紙芝居だ!タダ見は後ろ! 「黄金バット」「水星魔人」「墓場奇太郎」そして「コケカキィキィ」だ。ストーリーも絵も忘れてしまったが、話は荒唐無稽で絵だって今見れば毒々しい泥絵具でぞんざいなものだろう。当時は紙芝居の絵は手描きで、もちろん印刷なんてしやしない。作者が適当に話を展開するから矛盾だらけだ。…それでよけいにシュールな味を出したのだろうか。
しかし、紙芝居のオッサンが頭のてっぺんから発するコケカキィキィーッ!の奇声はいまだに鳴り響くのだ。この辺を知りたくて姜 竣著「紙芝居と(不気味なもの)たちの近代」青弓社:を読んでみたのだが、その成立背景はなんとなく分かったのだが…。
当時はメディアはラジオ、新聞、リーダーズ・ダイジェスト日本語版、怪しげなカストリ雑誌であり、子ども向けはあったのだろうがなかなか手に入らなかった。「少年」「少年倶楽部」「冒険王」「譚海」….もう!ボロボロになるまでページを繰ったものだ。「紙芝居」も、そんな「好奇心と怖いもの見たさ」と「情報」を運んで来たのだ。まさに「メディアはメッセージ」なんですね。
60年代の中頃にマーシャル・マクルーハンが「人間拡張の原理…メディアの理解」だったかで語った言葉だ。僕も早速買って読みましたね。「機械の花嫁」とか「グーテンベルクの銀河系」なんかね。名前からしてカッコいいんだ。でも分かったような分からないような…まだPC、携帯電話、スマートフォンなんて夢かSFの世界だった。しかし、彼は現代のワールドワイド・ウエッブ時代を予見していたのだ。いまじゃメディアと簡単に言うけれど本来の意味は「媒体」や「中間」でmediumには「霊媒」という意味もある。まあ情報を伝達したり記憶するCDやUSBなどの道具もそう呼びますね。
….マクルーハンの言いたかったことって何なんだろ?メディアとはマトリョーシカみたいに入れ子細工になっていて、過去のテクノロジーやハードウェアが新時代には内容としてのソフトウェアになっている。と言いたかったのか?テクノロジーの発達が人間の能力の拡大・延長となりインターネットで世界同次元、同時刻にリアルに伝達・体現できるということか?
彼は「人間は電子のスピードで変化する答え、それも数百万という答えに囲まれている。生き残れるか、コントロールできるかは、正しいところにあって正しい方法で探査できるかにかかっている」。と言うが ….PCが人間的になった?…感性?
…感性工学…だからアイコン?…ユルキャラ?「それは感性の復活に他ならない」。感性という電気メディアで「あなたの感覚はマッサージされているのかもしれない」。止しておくれよ!そう装っているだけジャン!だれがアイコンごときで変わるものか!お遊びじゃないか!「いま頭骨の外部に脳をもち、皮膚の外部に神経を備えた生命体にふさわしい、完全に人間的な穏和と静寂を求めている」。だって?「人間は、かつてカヌー、活字、その他身体諸器官の拡張したものに仕えたときと同じように、自動制御装置のごとく忠実に、いま電気の技術に仕えなければならない」。ふーん、かって「紙芝居は教育に悪影響を及ぼす」と言った。「TVは一億総白痴化になる」と流行った。「ゲームは思考力を無くす」と。「ネットは中毒になる。携帯電話は会話を無くす…真の人間関係が崩壊する」とも。…それで街中にマッサージ屋が蔓延る訳か!正に「メディアはマッサージである」。…いやアンドロイドは電気羊の夢を見るのか?