2/ 6th, 2010 | Author: Ken |
トリノの聖骸布
不思議という気持ちが心に浮かぶことが不思議である。いぶかしい物を知りたいと思う好奇心である。なぜこんなものが人間の心に組み
込まれているのかが不思議である。ご存知だろうか「トリノの聖骸布」いう布を。シンドン、聖ベロニカのベール、マンデリオン、オソ
ニア、スダリュウムなどとも混同されて呼ばれるが、これにはイエス・キリストの遺骸を包み込んだ布であると伝えられ、その風貌、身
体全体の前後が写されているのである。それが不思議なことに描いたのではなく、写真の陰画(ネガ)としてあり絵具や染料のように生
地に染み込んでいないのである。1353年に始めて文献に表れ、これまでおよそ700年にわたり真偽が問われてきた。ある者はキリスト存
在の紛れもないもない証拠であるとし、そして懐疑派は誰かが捏造した偽造物であるとして無視してきた。
….この布の由来を追求すれば表の歴史に現れる以前はどうであったのか。年代記録者ロベル・ドゥ・クラリが1203年に十字軍に関して
書いている。「ブルケルネの聖母という修道院があり、そこには我等の主を包んだ布があった。…その後、その市が陥落した後は布の行
方は誰も知らない」。これが果たして聖骸布だったのだろうか。そしてオット・ドゥ・ラ・ロッシが第四次十字軍(1201〜1204年)に
聖骸布をコンスタンチノーブルから東南フランスのブザンソンに持ち帰り、1353年にシャルニ伯爵・シャンパーニュ貴族のジョフロウが
フランスのリレーの聖堂にこの遺物を贈った。1503年にシャンベリー市で火災に合い、その焼けこげが残っている。そしてサヴォア公が
1578年にトリノに持って来、現在は聖ヨハネ大聖堂に保管されている。これが簡単な聖骸布の沿革である。
事態が一変したのは1898年のことである。その年、セコンド・ピアという人が初めて聖骸布の写真を撮影すると、その写真のネガに驚嘆
する映像が映し出されていたのだ。それはキリストの姿だったのである。聖骸布はポジ・ネガの反転だったのだ。ネガにして初めて実像
として表れたのだ。それも二次元に三次元の映像として。それは聖書の記述にある通りの姿だったのである。手首と足に釘打たれ、肩に
は十字架を担いだ傷があり、背には鞭痕、額には茨の冠から流れた血、右脇腹には槍傷、血は本物である。偽物であれば聖書に基づいて
制作したのだろう。だがどうやってネガで描いたのか。写真術の概念は古くはアリストテレス、中世にはダ・ヴィンチなどが暗い部屋か
らに針穴からの光が倒立画像が写る原理は知っていた。16世紀にカメラ・オブスキュラの原理が作られ、1826年にニエプスが世界初の感
光版で撮影に成功した。それが14世紀にどうして写真が写せたのだろう。
現代の科学を使った最新の調査は1988年に行われた。科学者らは聖骸布の一部分を切り取り、布片を考古学調査などで用いられるC14・
炭素年代測定にかけた。オックスフォード大学、アリゾナ大学、スイス連邦工科大学の3機関においての結果は、この布自体の織布期は
1260年から1390年の間であると推定された。 しかし、これらの調査結果については異論も多い。過去の修復作業時に付け足された部分
をサンプルとした測定ではないか?、布はバクテリアによって生成されたバイオプラスティックで覆われていて、大きな誤差が出たな
ど、検査方法の有効性や信憑性を疑う批判がされている。…..それにしても不思議である。ぼくは科学信奉者だから人工物と思うのだが
割り切れないものが残る。次のトリノ(チューリン)の聖骸布公開は2025年という。その頃の未来技術では果たして…。
●「キリストの遺影」マッケヴォイ/小田部胤明 中央出版社/1948:ぼくが15歳頃、姉が教会から頂いてきた本だと思う。きわめて真面
目に取り組んでいる。キリストが鞭打たれた鞭は先端に亜鈴のついたフルグラムという鞭だったとか。…..衝撃だった。
●「トリノの聖骸布の謎」リン ピクネット、クライブ プリンス 新井 雅代 訳 白水社:これはレオナルド・ダ・ヴィンチが写真術で
作ったものだという。それを実験で証明した。….でもねえ、そうとう無理があるよねー。
●「聖骸布の陰謀」ホルガー ケルシュテン, エルマー・R. グルーバー 宇佐 和通 訳 徳間書店:これはローマ・カトリックの陰謀で科学
調査の結果、キリストが生きていれば復活劇が破綻する。そうすると信仰の根本が変わる。だから布サンプルをすり替えた。陰謀説。
●「最後の奇跡 トリノ聖骸布の謎」イアン・ウィルソン著 木原武一訳 文藝春秋:「聖骸布=マンデリオン」説を主張。確信派。
このドキュメンタリー・ヴィデオもある。 ….何しろ二千年前のことだ。解らないからミステリーなのだ。その他「イエスのDNA」
「イエスの棺」など、たくさんの本がある(怪しい本も多いがそれも楽しい)。謎は深まるばかりだ。