8/ 3rd, 2010 | Author: Ken |
Beautiful Islands
映画「ビューティフル・アイランズ」監督・プロデューサー・編集 – 海南友子を観た。気候変動による海面上昇や高潮の影響で水没の危機にある島々を描いたものだ。南太平洋の小国ツバル、イタリアのヴネチア、アラスカのベーリーング海峡を望むシシマレフ。
3年がかりの取材によるドキュメンタリーだ。人々の普通の暮らしに焦点を当て、音楽もナレーションも無く、自然の音や人々の会話を通してありのままの生活を見せる。伝統、祭り歌、狩り、文化気候も文化も異なる島で生きる人々。….それらがいま失われようとしている。「気候変動で、私たちが一体何を失うのか」と。その想いが詰まっているのだが….。
正直に映画は退屈だった。美しい映像もあるのだが何か訴えてくるものがない。「映してきました。どうぞご覧になってこの危機を感じてください」と言われても想いとは裏腹に「ああ、そうですか、こんな映像TVで見ましたよ」と。つい最近「不都合な真実」も映像や本で見たことだし、映画とは映像の説得性と深さの問題だ … 例えばコヤニスカッツィの映像の美意識、カット1つの完成度、凄い….。
(観客は15人、その半数は知ったひとだった。なんだ自主上映みたいじゃないかと。終了後、監督との懇談会があるので待っていたが、都合で来られなかった。お詫びとしてトートバッグを頂いた。だからあんまり辛口批判はよしておこう。いや、こういう映画をより多くの方々に見て欲しいから文句もいいたくなるのだ。シネコンにもかかりにくいマイナー映画だけれどぜひ見てほしい)
実は海面上昇についてもよく分かってはいない。紀元前1万6千年前に氷河期が終わり、その頃の海面は現在より100mも低かった。紀元前1万2千年前頃に上昇を始め、紀元前4千年前頃に最高に達し、現在より数メートルも高かった。また17〜18世紀は寒く小氷期であった。それから温暖化が始まり現在へと続く。地球規模の気候などまだまだ人間の知恵では計り知れない。
だからといって温暖化を放置するのではなく、その可能性を今から押さえておくのは重要だ。転ばぬ先の杖より沈まぬ先の予防だ。30年も前になるが「コヤニスカッツィ・平衡を失った世界」アメリカ大陸の原住民ホピ族の言葉でバランスを失った世界などを意味するを観た(最近またDVDで)。監督ゴッドフリー・レッジョ、撮影ロン・フリッケの高速度撮影と微速度撮影の映像が素晴らしい。
全篇をフィリップ・グラスの音楽が通奏低音となって響く。現代社会の現実、物質文明の極限を音と映像だけで描いたドキュメンタリーだ。大地、雲、海。ゆったりとしたテンポでそれらが淡々と流れ、やがてテンポがアップし、ビルが建ち古びれば爆破し、車がレーザー光線のように走り、膨大な人々が超高速で行き交い、めまぐるしく展開する。気ちがいじみ、分離し、バランスを失いつつある文明都市に巨大な月が昇る。エンディングにはコヤニスカッティの示す5つの意味が象徴的に提示される。私たちはそろそろ生活や生き方を変える必要があるのではないか?と自分が問われているのだ。
続編として1988年の「ポアカッツィ」、人間とは?労働とは?ガリンペイロを執拗に追うオープニング…。そして「ナコイカッツィ」。人間・自然・テクノロジーの関係を違った視点・観点から追っていく。地球に、環境に、人間に、伝統に関心ある方はぜひ見て欲しい。