10/ 10th, 2010 | Author: Ken |
「メエルシュトレエムに呑まれて」… ポー賛/2
SF、サイエンス・フィクションは科学的背景を基盤にイマジネーションを広げるから空想科学小説と言われる所以だ。荒唐無稽の冒険譚と言ってしまえばそれまでだが、いかに面白く、いかに驚異であるかに技巧の術を凝らすのだ。
エドガー・A・ポーの「メエルシュトレエムに呑まれて」緻密な計算と絶妙の技巧、その素晴らしさに思わず引き込まれてしまう。冒頭に白髪の老人と崖上から海を眺めながらダイナミックに変化する模様が描写される。崖上は烈風が吹きすさび、腹這いで灌木にしがみつく描写には思わず高所恐怖に襲われる。….そして白髪の漁師の体験が語られるのだが、大渦に呑まれ、めまぐるしく旋回する船上でパニックと冷静な観察眼の二律背反の眼で話が語られるのだ。咆哮と鳴動の大渦、漏斗の内部は眼の届くかぎり四十五度の傾斜の壁であり滑らかに輝く黒檀であった、底なしの深淵に揺らめき喘ぐ水蒸気、それに時と永遠への架け橋の虹が架かり月光が照らす。何と言う幻想的で美しい情景だろう。叫喚と静寂の対比だ。めまぐるしい動きのなかで漏斗の渦の壁に見る形状による沈下速度の差、ここには物理的な観察眼があり、恐怖と美と詩的でありながら、数学的ともいえる落下風景をアンチノミーで見せる。そう、ポーの視覚的描写は、眼前の出来事のように映像を喚起させるのだ。 ポーは映像作家だ。精緻な計算が夢を見ている時に感じる現実性と恐怖を読者にイマジネーションとして創り出させるのだ。人工的、技巧的、幻想美、彼の頭蓋のなかにはどんな世界が交錯しているのだろう。そしてこれが書かれたのは約180年前だ。ポーの近代性は時を越えている。アーサー・C・クラークが宇宙のメエルシュトレエムを描いたのも頷ける。
…余談だが「一夜にして髪が真っ白になった」とよく聞く。それは恐怖や心理的ストレスによるのだという。ポーの時代にもそんな噂話はあったのだろう。しかし私が思うにこの「メエルシュトレエムに呑まれて」が発表され、世界に翻訳され、我が国ではポーに心酔していた江戸川乱歩によっても「一夜にして白髪」話が書かれ、人口に膾炙していったのではないか?生理的には恐怖のあまり髪の毛が逆立ち、その時毛根に空気が入り白くなるというのだが(本当のところはメラミン色素が作られなくなる)….。同窓会なんかで何年も会わないかった知人に会うと、頭が真っ白で驚くことに出くわすが、これも記憶と時間の錯覚がもたらすのだろう。私も両鬢に白いものが目立って来た。
…白頭掻けば更に短く…か…歳を取る…恐怖だ恐怖だ。