12/ 22nd, 2011 | Author: Ken |
J.S.BACH「マタイ受難曲」
創造主は人間があまりにも愚かな行為を繰り返すので再びノアの洪水を起そうとした。しかし人間も少しは良い事ことをしてきたので、何かを残そうとした。その中にバッハの「マタイ受難曲」は必ず入るだろう。こんな意のエッセイを読んだことがあります。
確かに「マタイ受難曲」は人類が作り上げた至宝といえます。300百年近い時を経ていまそれを聴く事ができ感動を憶えるのは何と素晴らしいことでしょう。峻厳で悲しみに満ちた前奏コラール、1727年4月、セント・トーマス教会で始めて演奏されたとき、老婦人が感極まって「神はここにおわしまする!」と叫んだという逸話を読んだこともあります。また、神は死んだ!と宣言したニーチェも「マタイ受難曲」を聴いたときキリスト教の真意はここにありしか!といったとか….。3時間を超える大作ですが、その一曲々を深く味わうとき、思わず「慈愛」という限りない優しさに包まれる自分を発見します。バッハの壮大な音楽宇宙、バッハの全てがここにあります。
でも不思議なことです。音楽という捕えどころのない空中に消えて行く空気の振動を、楽譜という記号・情報によって表し、何百年の時を経ても再現できる….。もちろん当時とは社会背景も人々の心情も楽器も演奏も違うでしょう。しかしバッハが創造した音楽の大伽藍に身を置くとき、この魂ともいえるものに触れる感動と歓びが込み上がります。もしわたしがロビンソン・クルーソーのように遠島になったとして「1枚のレコードを持っていっていい」。と言われたら、迷わずに「マタイ受難曲」を持っていくでしょう。
そしてカール・リヒター盤でしょう。トン・コープマン、小沢征爾、ドレスデン十字架合唱団、グスタフ・レオンハルト….様々な名演奏を聴く事ができますが、なぜかリヒターの熱い演奏に引かれます。…..終曲にいたり夕暮れに包まれて激情を通り越し、泣きはらした後の清浄なカタルシスまで、崇高な「音楽美」に強かに打たれます。
わたしはキリスト教信者でもないしむしろ無神論者ですが、人類遺産として宇宙空間に音楽の電磁波が光速度で広がる幻想を感じてしまいます。そう最初にラジオでTVで放送された「マタイ受難曲」はもうどこまで宇宙に広がっているのでしょう。ラジオが80年前とするとおとめ座70番星、はくちょう座17番星、しし座のアルギエバまで届いているのだろうか? そして銀河の果までも…..。