11/ 18th, 2013 | Author: Ken |
リメイク考。
リメイク流行りである。アイディアが枯渇したか、わざわざ映画館に足を運んだのに、あまりのチャチさ雑さ作品に呆れたり、怒ったり、映画の衰退をまざまざと実感してしまう。これだけ映像技術やレンズ、CGが発達しても作り手のセンスやアイディアが無ければ所詮、駄作でしか出来ないのだ。そこでリメイクだ。まあ、お手軽なのである。「椿三十郎」のリメイクを見たが学芸会じゃあるまいし、その劣化性は鼻白むというより、苦笑しかないではないか! モノマネ以前の問題だ。黒澤明監督に失礼である。
【一命】嗚呼、時代劇の最高作を何としてくれる。何か汚された気がするのは私だけだろうか。おまけにカンヌ(とっくに何とか賞なんて地に落ちて宣伝用としか感じないが….)に出品するなんて恥ずかしい限りだ。前作【切腹】とは品格、質、重量感、比べるのも烏滸がましい限りである。原作は滝口康彦『異聞浪人記』である。作者は『明良洪範』にある短い話からきっかけを得たそうだ。
そこでネットで検索してみた。あるんですね。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/990298/91 巻之十二にある
「其頃は浪人甚だ多くして諸侯方ヘまで合力を乞に出たり 或日井伊掃部頭直澄居屋敷へ浪士一人来りて永々浪人致し既に渇命に及び候間だ切腹仕度候 介錯の士を仰付られ下さるべしと云 直澄聞れて其武士は吾家に抱へられ度き望みか或は大分の合力でも受たき望か内心に在んなれど左様は言はずしてわざと切腹致たくと言ふならん 其言ふ所に任せ切腹さすべしと云 是に因て食事をさせ切腹致させけるあとで直澄後悔しけると也 又神田橋御殿へ浪人推参し飢に及び候間だ御合力下さるべし 左様なくば御門内を汚し申さんと云 此時詰居たる者は大久保新蔵伊那傳兵衛など名高きしれ者ばかり詰居たれば幸ひ也 新身刀のためしにこやつを切て見んなど云けるを其浪人もれ聞て忽ち迯去しと也 是より諸侯方へ浪人の推参する事止みけると也」と………
【切腹】1962 ●監督:小林正樹 ●脚本:橋本忍 ●音楽:武満徹 ●撮影:宮島義勇 ●受賞:カンヌ国際映画祭(1963年 審査員特別賞)、ブルーリボン賞(主演男優賞:仲代達矢、脚本賞) ●キャスト:仲代達矢(津雲半四郎)、三國連太郎(斎藤勘解由)、
丹波哲郎(沢潟彦九郎)、石浜朗(千々岩求女)、岩下志麻(美保)、その他。監督はあの「人間の条件」を作った人であるから当然として、橋本忍の脚本は原作を深く解釈して無駄がない。時代考証も整い、武士の歩き方、角の曲がり方など卒がない。半四郎と勘解由との丁々発止の緊張感、「武士に二言は無いな」…半四郎は黙って脇差を少し抜き、ビシッと収める。言葉以上の言葉を見せるのだ。宮島義勇の映像も重く美しい。音楽の武満徹も鶴田錦史の薩摩琵琶の迫力ある響きで緊張感が胸に迫る。主演の仲代達矢は当時29歳だが五十歳台の半四郎を演じている。丹波哲郎(彦九郎)の端正で冷徹な演技、冷酷で底意地の悪い家老を演じる三國連太郎、この両者の対決こそが肝心なのだ。武士道の「面目」という儀式に象徴される「切腹」、武士の魂たる大小まで売り渡し、竹光など手挟む求女は、武士の風上にもおけぬ輩なのである。求女のそれが竹光であったと知った時、半四郎はいまだに大小にしがみついてていた己に愕然とし、刀を叩きつけ「このようなものに」と慟哭するのだ。だからこそ所詮は人間であるからこその「生きる痛み」を知ろうとしない井伊家の「武士道」「面目」「虚飾」という立前を糾弾するのだ。映画作りの生真面目さと緊張感、スタッフの意気込みがひしひしと伝わる、映画史に残る不屈の名作である。
【一命】2011 監督:三池崇史、脚本:山岸きくみ、音楽:坂本龍一、市川海老蔵(半四郎)瑛太(求女)、役所広司(勘解由)脚本は随所に橋本忍の剽窃が見られる。また時代考証も甘く、現代言葉が出てきたりして…..海老蔵の半四郎はとても戦国武士の成れの果てとも思えない弱々しさである。囁くような声、おまけに若すぎる。これではまるで兄弟ではないか。瑛太の求女も頭の鈍い高校生じゃないか!とても四書五経を教える寺子屋の師匠にはみえないし、三両を!と絶叫したり、落とした卵を地面に口を添えて啜るなんざ….見たくないですね(それが狙い?)。音楽も平板で全く印象に残らない。玄関の衝立も「切腹」では虎、「一命」では牛、苦笑しましたね。冒頭、終わりの表玄関、赤備えの甲冑….パクリじゃないか!
一言で言えば「カラーでのリメイクの作りよう、どんなものかと得と拝見仕ったが、やはり見苦しい」。
五十年という時が過ぎ、時代性というか製作者たちのパラダイムが違い過ぎるのですね。「切腹」は監督、スタッフ全員が戦争を超えてきた世代である。人間が生きる最低限を見てきた世代である。だから凄みがあるのだ。じゃ、現代人はどうすれば良いのだ?それは想像力である。誰も江戸時代に生きたことはない。所詮は作り事である。フィクションである。しかし、その時代を考証し深く知ることによりイメージを練り上げ、映画上に創造さすのだ。・・・だけど「現代の観客には武士言葉なんて分からないから現代語で話すのだ」と。それなら髷も付けなさんな。…武士道物しか描かない極めつけの劇画家平田弘史氏なら何と言うだろうか。彼は「武士道無残伝」だったか「切腹」を克明に劇画化していた。台詞も顔も同じである。VIDEOもDVDも無い時代である。何回映画館に通ったのだろう。たぶん「一命」なんぞ切って捨てるだろう。いや武士として「恥を知れ!」と。そうそう、名作「子連れ狼」の劇画脚本家、小池一夫氏が昔テレビで言っていた….「切腹」こそ時代劇の最高峰だ!と。…..僕も18歳からいままで20回以上は見ている。いやこれからも見るだろうな。台詞もシーンもすっかり覚えてしまったが、良い物は何回見ても見飽きないのだ。