5/ 5th, 2010 | Author: Ken |
変奇と気まぐれ
げに泉のごとも涸れはてん、ひと息ごとに毒を吸ひ ひと花ごとに死を嗅がむ、美はしきもの見し人は げに泉のごとも涸れはてん
アウグスト・フォン・プラーテン・生田春月訳
ビザーロ(変奇)、カプリッチョ(快い面白さ)、ヴィルトウオジタ(技巧)、フィギューラ・セルペンティナータ(蛇状曲線様式)、グラツイア(優美)…..。見えるものは本物の幻影にしか過ぎぬ。自然(ナトウーラ)が本物の実在であるなら、じゃ鏡は何だ。
また絵画も写真も実在を写すが、そこはキャンバスやフィルム、データ上の虚像である。マニエリスム美術の面白さは洗練が行き着くところの虚像の楽しみである。不安な時代の精神の反映か、人眼をあざむく歪んだ空間、幻想的寓意、極度の技巧性(マニエラ)と作為、引き延ばされ蛇行する非現実的身体…。画家の「首の長いマドンナ」を見よ。これぞ技巧の頂点、この上もなく美しい。
マニエリスム美術が誘う世界は、「嘘をつく似姿からほんとうの感情を汲む」と言った詩人の言葉に尽きるのではないだろうか。上のパルミジャニーロ「凸面鏡の自画像」凸面鏡に映った姿を凸面の半球に描き、歪曲した空間に巨大な手がある。いまなら魚眼レンズやフォトショップのフィルタで簡単につくれるが….。これは画家が21歳の頃の作といわれるが、己を見る顔は美しい少年の面影である。わたしの大好きな絵である。本物は見た事はないが、大塚美術館でレプリカの凸面の立体画を見た。本物の持つ感動は無理だが見とれてしまった。
…画家は非常な美形であったと伝わるが、錬金術に傾倒した晩年は別人と思われるほど老廃した姿を映し出している。
晩年といってもまだ37歳だった。ビザーロとカプリッチョ、3D時代にわたしたちは何を見るのだろうか。