10/ 14th, 2012 | Author: Ken |
成田一徹氏を偲ぶ
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本日、成田一徹(本名徹)氏が無窮の世界へと旅立たれた。
あまりにも突然、そんな馬鹿な、いまだに信じられない、来週会おうと約束したじゃないか。
彼とは親友のなかの親友、最初に会ったときから以心伝心、暗黙の了解が出来ていた。
お互いに超恥ずかしがり屋で、人前では照れてしまって語れないことも彼には語れた。
カウンターでグラスを傾けながら、美学、小説、彼が大学院で学んだ哲学、生意気盛りの何十年前に読んだ小難しい本の話。
そしてファンタジーとSF、特にブラッドベリの「火星年代記」「恐竜物語」….。屋根裏はタイムマシンだ…をもじって
「バーはタイムマシンだ」「バーのドアは日常からリープする異次元への扉だ」「バーは人に会いにいく所だ」
「闇を切る…黒白の世界に人間というものを描くのだ」「黒白の二分の中にたくさんの諧調を込めるんだ」….。
そうだ、十月は黄昏の国だ。そして君の好きだった上田秋成の「菊花の約」親友との約束を守るため、約束の夜に魂が
千里を飛んで会いにくる…どうして会いに来てくれなかったんだ、もう一度会いたかった。
彼の語録、そして飲み疲れて深夜の町を歩きながら、戯れに遠く忘れていた詩を二人で交互に暗誦しあったものだ。
〜あはれ 秋風よ 情あらば伝えてよ男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食らいて 思いにふける と。
さんま、さんま そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせてさんまを食うはその男がふる里のならひなり。〜
また 〜秋の日の ヴィオロンのため息の ひたぶるにうら悲し〜 とか
〜巷に雨の降るごとく わが心にも雨ぞふる かくも心に滲みいる この悲しみや何ならむ〜
……彼は寂しがり屋で夕暮れともなると、つい人恋しくなってバーに向かうのだ。
僕は禁欲主義者だ。いやハードボイルドを気取ってストイシズムだ。やせ我慢の美学だ。そんな馬鹿話をしながらも
彼に教えられたことがある。「ジャズのハードなリズムでは日本人の持つ情は表現できない。演歌ですよ。
あのダサくって、ヘチャでドロドロして生臭く、不細工で巷の人間の洗練にはほど遠い悪趣味と情念、その中の涙と恨みと
繰り言なんですよ。大人にならなきゃ分からない。そう耳に毛が生えた大人のね」。
僕もユーチューブでいろいろ聞いてみた。いいんだなー….いつか聞き惚れている自分がいた。
「ン、人生とは風雪流れ旅だナ」….。僕も茶化して「あなたの絵ネ、最近は切る人間の顔に優しさや慈しみが出て来たね、
これからだよ円熟の味は…..そして切り絵・キリエはねキリエ エレイソン・主よ憐れみたまえだ」。
それが何という事か! 彼の魂にこの自然と宇宙の限りない憐れみを与えられんことを…。
…..いつかN.Y.のブルーバーで、P.J.クラークスで、神戸で、東京で、
火星のオリンポス山を見ながら運河の空想のバーで、壮大な土星の輪とタイタンのバーで、
おい、一徹、先週約束したじゃないか!
「帰神したら一杯飲りましょう。そしてあの企画や取材をすぐにでも….」
その言葉と握手の手の感触がいまもこの手に残っている。
吉本 研作