4/ 7th, 2010 | Author: Ken |
戦艦大和ノ最期
満開の桜である。昭和20年(1945)4月7日、戦艦大和は沈んだ。それは、戦争を知らない世代にとって語る資格はないのだろうか。
日本人には悲壮感を伴ってこそ自らを鼓舞する意識が強い。白虎隊、神風特別攻撃隊、吉田満著「戦艦大和」を現代の平家物語とさえ例える評論家もある。全編文語体。文語にはリズムがあり暗唱にたえ、口語は黙読すると、山本夏彦は書くが、まさに文語の速度感で一気に読ませる。文章は一気呵成、あまりにも雄々しく美々しい。しかし、置かれた状況として無理もないが、予備学生といえども士官のからの視点である。ほとんどの死が下士官・兵であったことを思うとき、彼ら沈黙の声があることを考えてしまう。
あの時代「断じて行えば、鬼神もこれを退く、天佑は我にあり」の神がかった熱弁や、作戦は壮烈無比の突入…、光輝ある帝国海軍水上部隊の伝統を高揚する…一億総特攻のさきがけという面子など、作文と気分が優先し、疑問を持ったまま菊水一号作戦は開始された。
結局は石油が枯渇し巨体を柱島にさらすより死に際に華を咲かせたい、という現実から遊離した観念である。また片道燃料で出撃との説が広範に流府し悲劇性を増しているが実際は4000トンの往復分は積載した…。玉砕、散華、言葉は美しいが滅びの美学に陶酔していたのだろうか。たくさんの若者が死んでいった。大和が目指したその沖縄もいま基地問題で揺れている。
….あれから65年、いまだからこそ「愚」とか言える。私がその時代・立場であったなら何を感じ、また何を書き残せたであろう。
「戦艦大和と戦後」吉田満 保坂正康 編 筑摩書房:何度も改稿されたその決定稿といえる。
「戦艦大和の最後」坪井 平次 著 光人社:下士官・兵の立場から書かれた記録である。淡々と書かれ別の凄味すら感じられる。
映画「戦艦大和ノ最期」1953年、監督:阿部豊 応援監督:松林宗恵 昨年の今頃、松林宗恵さんのお話をうかがった。
彼も8月15日に逝った。「そう、皆死んでいったんだよ。彼らの言葉を代弁したいんだよねー」。その言葉が耳朶に残る。