11/ 11th, 2009 | Author: Ken |
映画は一編の詩である。松林監督
森繁久彌さんが亡くなった。彼の最多出演映画は「社長シリーズ」だろう。その37本中32本を監督したのが松林宗恵監督だ。
今年4月末、友人の切り絵作家・成田一徹さんと監督のお家を訪問した。89歳、お体を少し悪くしたとおっしゃっていたが、頭脳明晰、過去の作品など瞬時に細部まで話が及ぶ。監督にはお聞きしたかったことがたくさんあった。昔見た「太平洋の嵐」全編文語体。ミッドウェーのシーンで「飛竜」の山口多門(三船)と加来艦長(田崎潤)が海底で羅針盤に身体を縛りつけた亡霊となって話す。「みんな勇ましく死んで太平洋にこういう墓場が増えるんでしょうなー」「うむ、もう増やしたくないがなー」。なぜこのようなシーンを挿入したのか?
「私は陸戦隊の隊長としてアモイ島に向う途中、コンソリーデッドB24の2機に襲われた。爆弾、機銃掃射、ラッタルを駆け下りたとき目の前の甲板に私の身体を貫いた大きな弾痕が見えた。てっきり死んだと思った。多くの仲間が死んだ。彼らの言葉を代弁したかったんだよ」。「人間魚雷回天」(日本最高の戦争映画の評)。出撃前夜、岡田英二が従兵(哲学の先生)とカントについて話す。「Es ist Gut これでいいんだ」というシークエンス。ドキュメンタリー表現の出撃シーン。沼田曜一が回天の上に立ち上がり日本刀を抜いて「刀振れ!」このシーンは本当に凄みがある。彼ら6名の隊員には監督の分身として東京6大学から一人づつ配したそうだ。今から見れば特撮はチャチだけれど、戦争を越えて来た「凄み」が違う。夕刻が近づいた。帰り際、監督がテープを聞かせてくれた。軍歌だった。「最近はこれを聞いているんだよ。繁さんもいいね。
…声を殺して黙々と 影を落して粛々と兵は徐州へ前線へ…」。「このテープ2本あるから1本をどうぞ」。成田さんが頂いた。
8月15日、監督の訃報を聞いた。成田さんと二人でグラスを傾けた。「8月15日は監督にとって特別の日だ。その日まで頑張ったんだよ。意志だよ」「そうだねー、皆が待っていて迎えてくれたんだよ」。二人とも黙ったままカウンターに眼を落としていた。今も監督の声が聞こえる「映画はエンターテインメントだよ。あの貧しい時代、一生懸命働いて、その乏しいお金で映画に来てくれるんだ。映画に夢を求めてくれているんだ。ありがたいことだね、だから」…。