10/ 21st, 2010 | Author: Ken |
時計じかけの兵士たち
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、人間に危害を与える危険を見過ごしてはならない。
第二条 ロボットは人間の命令に従わなくてはならない 。ただし第1条に反する場合はこの限りではない。
第三条 ロボットは第1条、第2条に反するおそれがない限り自分を守らなければならない。
これはあまりにも有名なアイザック・アシモフによるロボット3原則である。そしてロボットの名の由来はチェコスロヴァキアの作家カレル・チャペックの戯曲「R.U.R./ロッサム万能ロボット会社」1921年に始まる。 ところがだ、最近、人間に奉仕? するはずの機械が人殺しの道具となって現れてきた。「時計仕掛けの殺し屋」だ。いや、ちょっと待てよ。ギリシャ神話に始まり人造人間の歴史は人間以上の強力兵士を作る事に情熱をかけてきたのではないか?
投石機、銃砲、軍艦、戦車、飛行機、ミサイル、おまけに戦場ロボだ。そういえば洋の東西を問わず甲冑武者はロボットにそっくりだ。つまり装甲人間だ。秦の兵馬俑なんて人造人間兵士の夢だね。だが、ハイテクの恐ろしいほどの発達により21世紀に入ると形相がガラッと変わった。Robot War、Nintendo Warと呼ばれる現代の戦争はゲームと酷似してきた。
何しろアフガニスタンでは無人偵察攻撃機、プレデター(捕食者)やリーパー(刈り取り機、死神)が上空から監視攻撃する。これはなんと12,000kmも離れたアメリカ本土からコントロールしている。まさにTVゲームだ。ということは人を殺してもゲームと同じで心が痛むはずがない。喜々としてゲームを楽しむんじゃないか?地上でもロボット兵器が這い回り人間に替わり危険任務を遂行するのだ。宗教という原理主義にあまりにも忠実、神という抽象性を信じる人間、この精神主義的人間を駆り立てロボットに自爆テロで対抗する。これもテロリストを洗脳でロボット化しているのではないか。
日本だって偉そうには言えない。太平洋戦争末期には精神主義をお題目に「神風特攻隊」や人間爆弾「桜花」、人間魚雷「回天」、モーターボート爆雷「震洋」、人間機雷「伏龍」、人間地雷「肉薄攻撃・爆薬を担いで戦車のキャタピラに身を投げる」、他にも特攻兵器の数々….。こんな攻撃を命じた指揮官ほど非人間的存在はない。死ぬことが目的と化した作戦で何が国体護持なんだ。こんな記録を読む毎に見る毎に怒りで胸が痛む。
まあ。鉄人28号だって究極の兵器として戦争末期に研究・誕生した。とで始まる。…….ロボット。力強く愛らしく、友人としてのアシモフのロボットや鉄腕アトムというロボット、そんな話は夢でありセンチメンタリズムなんだろうか。「からくり儀右衛門」(田中 久重寛政11〜明治14、久重が創設した田中製造所は後年、東芝となる)のお茶汲み人形なんてそれはもう!…..と言いながら世の中、ロボットみたいな思考の人間が増えているとか。……ン!携帯依存症ネ、あれって携帯電話に人格依存しているようにも見えるがなー。
「ロボット兵士の戦争」 P・W・シンガー/日本放送出版協会。先日NHKでも放送されたハイテク兵器と軍産複合体をレポートする。
「日本ロボット戦争記-1939〜1945」井上晴樹/NTT出版。第二次大戦中の世界のロボット兵器をSF、技術、風俗、小説、漫画から
解説する。その克明に調査した資料たるや!海野十三と挿絵の伊藤幾久造、この「地球要塞」なんか挿絵の完成度が凄い。
そして詩人、佐藤春夫がVI兵器に寄せた詩「流星爆弾」なんて!〜我は世界の怨恨を先端に秘め….闘志と天意とを両翼として報復の舵機あり…
…携帯電話、PC、あまりにも当たり前のハイテク機械に埋まって自覚することもなく日々凡々と過ごす私。これでいいのかね?