6/ 1st, 2010 | Author: Ken |
時間とは何だろう?
時間とは本当に不思議なものだ。過去、現在、未来と存在するように思える。しかし過去はあったのか?
人も街も自然の風景も変わり、子どもは大きくなり去って行った人もいる。昔し手に入れた物は古び散逸する。遺跡もあり化石もある。放射性物質の崩壊から過去の時間も計算できる。痕跡という事実から過去というものはあったのだと。生きている自分にとって、時間はいつも「今現在」である。
しかし、現在・今の一瞬・刹那の積み重ねだろうか? 一瞬・刹那は消え去るものであり「今」という自覚はない。「今」と感じたとしよう。しかし、その認識は肉体という広がりの中で脳で処理され行動に移すための時間がかかる。思った時は過去である。
時計があるじゃないか。1秒は「セシウム133原子の放射周期の 9,192,631,770回にかかる時間」空間は1mを「真空中の光が1/299792458秒の間に通過する距離」と定義されているが、これは単位という人間の取り決めである。時計とは単なる基準であって物差しにしか過ぎない。
…時間を考えた哲学者は多いが物理学でいう時間とはとんでもなく乖離している。疑問は増すばかりである…。誰か肉体的・心理的・人間時間と物理的時間の両方を的確に説明してくれないか? 老化という事実を取り上げてみても、どうも肉体のDNAには時計が組み込まれているようだし、産まれ死するのは人間の宿命である。まあ、子どもという分身を残しはするが…。
私もいつか生を終える。ファウストは言う「時よ止まれお前は美しい」…己はこの最高の刹那を味わうのだ。…..メフィストーフェレスが言う「過ぎ去った、それはどういう意味だ。過ぎ去ったとはもとから無かったことと同じじゃないか」。
わたしの過去とは記憶だけである。記憶は時間ではない。脳に作られた虚像である。いったい時間とは何なんだろうか?