1/ 22nd, 2010 | Author: Ken |
時間・空間・即興
昨年7月にマース・カニンガムが亡くなったという記事を見た。いままで意識に無かったことが一瞬に浮かび上がった。
クオリアというそうだが映像が頭の中に見える。記憶データとはどんな風に仕舞われているのだろうか?イメージというぼんやりしたものが圧縮され細胞や神経繊維に記録されているのだろうか? それとも振動する波のようなものか?
あれは1964年だった。マース・カニンガム・ダンスカンパニーが神戸に来たのだ。音楽はあのジョン・ケージ、美術は何とロバート・ラウシェンバークだ。前衛という言葉が生きていた時代だ。… ぼくはモダンジャズにハマっていたし、インプロヴィゼーション、チャンスオペレーションなんて言葉に畏怖さえ感じる純情さの生意気兄ちゃんだった。
驚いたね!暗い舞台に麻袋に入った人体が身をよじり芋虫のようにのたうつんだ。そして時間を考えさせられるケージの音楽…。バレェという歌舞伎みたいな常識しかなかったぼくには衝撃だった。そして「冬の枝」における群舞。モダンダンス —モダンということは現在の今であり、絶えずクリェイティヴしながら前進する時間の先端なんだと…。
いつしかモダンという言葉自身に手垢がつき懐かしい響きとなった。…いまを生きている意識を忘れちゃだめだね。
●このパンフレットに新しいデザインを感じた。装丁レイアウトは粟津潔。