1/ 19th, 2011 | Author: Ken |
無惨やな
欧羅巴の街並には古めかしい彫刻やモニュメンが多い。その時代々の権力誇示だね。ギリシャ神話や英雄、偉人、軍人、聖人がこれでもかこれでもかと…。我が国にはかって道祖神やお地蔵さんはあったけれど、近代日本は公共物に彫刻、オブジェ、モニュメントの類いが多いのである。それがまた悪趣味というかお粗末というか街の景観と遊離しているのだ。…..金色の巨大ウンコとしか見えないのもあるね。まあ中心は豊満な女性のヌードである。
わが神戸には特に多いように思われる。セクハラだ!なんで女性なんだ?フェミニズム信奉者が文句をつけないのも疑問だね。本来日本の文化には白日のもとに裸体を愛でる習慣なんてありはしない。恐らく明治以降欧羅巴に追いつけとばかり模倣を繰り返したのだが、残念ながら欧羅巴文化にはギリシャ、ローマを源流とする肉体礼賛の美意識が二千年にわたってあった。それを東洋の島国がここ百年一生懸命形だけ真似したんだね。芸術だ!アートだ!文化だ!文句あっか!
お役人も審査官も美や芸術なんて分からないから、分かった振りして格好だけつけたんだね。市民の税金を使ってさ。ウーム、これは芸術だ!アートという言葉は魔法の言葉で何でも許されるのだ。…..だってアートなんだから。また偉い美術の先生は権威というお墨付きを得、小役人はお追従するしね。そんなこんなで町並みと全く釣り合わない裸体大会となったわけだ。
….大蔵山の公園でギョッとした。地上に堕ちたビーナスである。強風のせいか?酔漢の狼藉か?無惨にも頭をカチ割られ転がる自分の腕を見つめているのである。コーカソイド系の顔と身体で大和撫子とは違う種族である。それだけに乾いた悲みがある。
…..サルヴァドール・ダリはミロのヴィーナスの美はどこに埋まっているのだ?とヴィーナスに「抽き出し」をつけた….。これは美の真髄を見る良い機会だと頭部の中を覗いてみたのだが美なんてどこにもない空っぽである。恨めしそうに頭部の欠片と堕ちた腕を見つめる姿が何とも無惨で、嗚呼!無常と叫びたくなった。まあ、駄洒落の線でいくと「手の切れた女に用はない」というところか…。
そしてまたもやデザイン都市宣言である。行政やお役人がデザインなんて分かるの?またぞろ偉い先生と大手代理店が文化都市にはデザインが相応しいとか言ったんだろう。じゃまず公共出版物でもホームページでも綺麗にデザインしろよ。汚らしくも幼稚で媚びたゆるキャラ大会じゃないか!そういえばIDって知ってる。インテリジェント・デザインのこと。そう、この宇宙も地球も人間にあまりにも都合よく出来ている。それは超存在である「神」がデザインしたからだ。….と。進化論を否定する原理主義ですね。
芸術なんて歴史が時間が証明するものじゃないのかな。人を感動させるものは残るし時を経ても美しい。決して行政やマスコミや業者が札束で評価するもんじゃないし。難しいね…..そうだ!日本の場合は「お上」がゲージュツという崇高な?使命?の原理主義で…..。