1/ 9th, 2013 | Author: Ken |
独立愚連隊 … そして映画看板
俳優、佐藤允が逝った。僕は彼の大ファンだったのだ。金壷眼の特異な風貌は用心棒や殺し屋役によくはまった。和製ウィドマークと呼ばれ後半には和製ブロンソンとも呼ばれた。「暗黒街」シリーズや「野獣死すべし」(1960:東宝)では殺し屋、黒いシャツに白ネクタイのギャングがよく似合った。貸本の「影」や「街」なんかのタフガイもこんな格好だったのだ。目深に被ったソフト帽、トレンチコートという小道具はこのジャンルには欠かせないものになった。ブラックジャック(革袋に砂と鉛を入れた凶器)…これは大藪春彦の小説で知った。当時の不良(死語?)はメリケンサックやチェーンをいつも忍ばせていたものだ…時代が分かるネ)。
そして「独立愚連隊」(岡本喜八監督1960:東宝)だ。面白いの何の!それまでの日本製戦争映画は反戦思想を反映して暗く重かった。ハリウッド製は星条旗パタパタで、登場する日本兵はドジで間抜けで、歩哨は首を刈れるはGIの一連射で数十人は倒されるは、おまけにかっこ悪い軍服とゲートルで不釣り合いな38式歩兵銃だ。「独立愚連隊」の主人公は細身のパンツに革の短パンを重ね、軽機関銃を腰だめで連射するは、スパイ容疑の美人(何と!隠し砦の雪姫様だよ)の銃殺シーンでは処刑将校のブローニング拳銃の銃口を手の平で押さてうそぶくのだ(ブローバック機構だから発射できない)。ラマ寺の廃墟や鶴田浩二扮する馬賊の頭領、元恋人の慰安婦(いまこの言葉には注意を要する)は雪村いずみだ。気が狂った隊長は三船敏郎だし、八路軍の大集団を殲滅するやら、痛快この上なしだ。彼のふてぶてしさ、精悍さ、戦闘機乗り的眼光、それでいてコミカルな味は劇画の主人公みたいなのだ。
「独立愚連隊西へ」では八路の隊長フランキー堺が絶妙でしたね。まあ、戦争西部劇、コミックパロディー物の愉快な映画なんだが、日本人は生真面目だから「戦争を茶化すとは何事かッ!」「散華した人たちに恥ずかしくないのかッ!」とか顰蹙を受けたとも聞く。
しかしだ、戦争の愚かしさを笑い飛ばすのは反戦映画だとも言える。余談だが戦争を経験してきた人たちが作った映画には何か凄みのようなものと哀感があった。それが80年代からの戦争映画には妙なフォーク調ソング、最悪は近頃の初音ミクだろう。…その低次元の捉え方、お手軽なのだ。その心底のイージーさに恥ずかしくて汗が流れる。クサイのだ。愚劣の臭気なのだ。….ああ、恥ずかしい。
そして戦争映画の隠れた傑作「独立機関銃隊未だ射撃中」(谷口千吉監督1964:東宝)で佐藤允は機関銃手の上等兵役だった。農村出身で遺書を書くシーンでは覚束ない字で「とったんは…..」、ソ満国境のトーチカの中だけという設定も、敵戦車にアンパン(破甲地雷)で肉薄したり、「西部前線異常なし」を意識したエンディングの空しさ…。
… 映画館の暗闇に身を沈め時間を忘れる没入の快感。もう、あんな時は二度とないのでしょうね。映画の黄金時代だった。映画館の看板も巨大でおどろおどろしく、キッチュで欲望をそそったのだ。この正月に前から気になっていた「青梅市」に行ってみた。レトロな昭和を売り物の町おこしだ。映画の看板がたくさんあるというので … ところが美大生のアルバイトか? 小さいのだ、ショボイのだ。あの大胆で大げさでポップでキッチュな大看板を見たかったのに。これがシネラマだ!とかベンハーとか、黄金の腕、ナバロンの要塞、大いなる西部とかね…..。
昔は看板職人が駐車場みたいな広い場所にベニア板のパネルで何十畳もある看板を泥絵の具で描いていた。弟子たちと分業でね。近くで見ると雑いのに看板として立ち上げると、錦之助や大友龍太郎、唐獅子牡丹の健さん、カーク・ダグラスが圧倒的な存在で迫ってくる。…最後に先生は梯子に昇り仕上げだ。おもむろにホワイトを入れる。B・ランカスター白い歯が眩しく、A・エグバーグの唇が輝き、ヘップパーンの瞳がひと際眩しくなるのだ。まさに画龍点晴とはこのことだ。あの職人、名人も時代とともに去っていったのか……。