12/ 13th, 2011 | Author: Ken |
痴の欺瞞。
苦いというか、一抹の羞恥心(電車の中じゃ広げられない)さえ感じる本を読んだ。それなら最初から読まなければいいじゃないか!と問われるが、そのタイトルの大袈裟さと科学を装った、いかにも科学啓蒙書か研究書の装いが手にさせたのだ。序文を読みながらヤバいナと感じたのだが、いったいどんな人物が書いているのか著者の思考と人間性を追求したくなり読み上げた。最初からヤオイやコンノケンイチ、あのアダムスキーなら笑い飛ばしトンデモ本としてシュールさを楽しめるのだが、なまじ教授様がマジ?に数百ページの大著となる「苦みを伴った痛み」すらあるのだ。
「見えない世界を科学する」著者:岸根 卓郎/出版社:彩流社
アッ、これ60〜70年代に流行ったニューエイジじゃないか!ところが2011年出版である。まず「波動」なる言葉が出現する。トンでも系、危ない系、カルト系、スピリチャル系が好む言葉である。この言葉だけで胡散臭いのである。お笑いなのである。この「波動」はハイゼンベルグの不確定性論やシュレディンガーの波動関数とは全然関係がない。彼らにとって便利な言葉で不可思議は全て波動なのだ。また「ゆえに」とか「要するに」という言葉が頻繁に登場するが全く論証がないのである。例えば物理学の次元である三次元+時間=四次元と言いながら、三次元=過去・現在・未来、四次元はあちらの世界である死の世界である!そのミンコフスキー空間風の図式さえある。アインシュタインの相対性理論や量子力学の解釈問題を言葉だけ頂いて勝手に使っているだけである。「右脳・左脳」「コペンハーゲン解釈」「パラダイム」….F・カプラやR・シェルドレイクの形態形成場仮説の孫引きを多用し、著者は真剣に論じている積もりなのだろうか?この程度の知力、科学理解力で科学を語れるのだろうか?本当に名誉教授なのだろうか?
まあ、船井幸雄の「100匹目の猿」(これも怪しげ学者ライアル・ワトソンからの孫引き)や自称科学ジャーナリストの喰代栄一のトンでも世界と同じである。そして後半は支離滅裂でなんでもありである。ハイポニカ農業や出ました「ホメオパシー」類型そのものである。「人類究極の謎」を最先端科学の量子論や形態共鳴論によって解き明かす。と大見得を切るが、そこには暗澹たる無知と思い込みの論理?たわごとの洪水である。彼らは一元論による東洋哲学や宗教との共有を主張するが、それは形而上学的な心の問題であり道徳や倫理、人生の教えであり、科学とは一切関係がないはずだ。
物理学者ジュレミー・バーンスタインは、量子力学は、けっして禅哲学にはなりえない。光子は、けっして人間の意識の動きを表示することはできない。相対性理論は、倫理学の相対主義とはなんの関係もない。と述べている。
「ダーウィニズム150年の偽装 」唯物論文化の崩壊と進行するID(インテリジェント・デザイン)科学革命 渡辺 久義/原田正・著/アートヴィレッジ
こちらの方は結構真面目でダーウィニズムの矛盾点や解釈に異論を唱えているのだが、著者たちの根底にある思想?思い込みから科学的客観性に色がついてしまうのだ。おなじみのニュートン、デカルト以来の還元主義、二元論批判から「宇宙の意思」「人間原理」最後には「絶対存在」「神?」に行き着くのだ。……何かおかしい?なぜだ?….なーんだ、この本の背景は統一教会だったのだ。(私の偏見なんだろうが、どうもね)
そうなると正反対の有名な唯物論者リチャード・ドーキンスに登場してもらわなければバランスがとれない。「利己的な遺伝子」「盲目の時計職人」「虹の解体」「悪魔に仕える牧師」「神は妄想である」「進化の存在証明」と過激ダーウィニストここにありだ。
今は亡きカール・セイガンによる「科学と悪霊」、彼は最後の著書として疑似科学に堕ちいる人間の迷妄さに警告を発しながら逝った。私も人生を迷ってばかりなのだが理知的に生きたいものだ。まあ、イワシの頭も信心からと「おまじない」も「迷信」も「ゲンをかつぐ」「血液型」「都市伝説」「陰謀論」も酒の上の楽しみ程度なら罪がなくて楽しいのだが….。