11/ 5th, 2011 | Author: Ken |
見えるって不思議 … 不可能な図形。
モノを見るとはどういうことだろう。視覚とは外界からの光が網膜像から脳内で3次元構造に復元し認識することだろう。いや網膜像は2次元の平面だし、おまけに倒立像だ。どこかで自動処理をしているのだろう。見えるとは本当に不思議なことだ。錯覚、錯視というのもある。光と影、近くは大きく遠くは小さいという遠近感、焦点によるボケ具合、等々….。脳が、身体が、憶え込んでしまっているから自動的に2次元に描かれた画像や物体を3次元で感じてしまうのだ。スェーデンの芸術家オスカー・ロイテスバルトが考えた不可能の三角形というのがある。それを数学者ロジャー・ペンローズが考案した「不可能性の最も純粋な形」がある。そしてM.C.エッシャーの絵で様々に展開されて有名だ。この「不可能な三角形」これは2次元の「絵」では表現できるのだが通常の3次元空間では具現化できない。ただある一点(角度)から眺めた時にだけ見える3次元物体を作る事は可能だ。前に科学館で見た事がある。オーストラリアのパースには大きなモニュメントがあるそうだ。(しまった!上の絵の床をペンローズ・タイルにすればよかった)。
見えるって不思議だ。普段はまったく意識しないし当たり前のように感じているけれど、それって脳内のバーチャルを見ている訳?じゃクオリアって何?「あのリンゴの赤さ」とか「空は青い」とか主観的な質感だ。視覚・聴覚・触覚・嗅覚・痛覚・時間体験、それにその感覚を他人に対して体験言語化不可能だし、他者から観測できない個人的で私秘的なものだ。ぼくは宗教心なんて皆無だが、人間は古くからこの言葉にならないものを分類してきた。大乗仏教で言う六根・六境・六識の三範疇の分類や眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識という知恵の根源を探してきた。この世界のすべての物事は縁起、つまり相対的な現象なのだと。唯識説だ。おっと、だといって物理学の相対論や量子論と同じだといってはいけないね。科学は実験と実証、唯識は瞑想だから…….。まあ、ぼくには一生「悟り」なんて得られるはずもない。あれ、不思議な図形の話が妙な方向にいっちゃった。お許しを。