9/ 4th, 2014 | Author: Ken |
記憶術と書物
最近、ど忘れが多い。特に人名だ。何かをしながら、フト人名や物名が瞬時に出て来ないのだ。他のことを考えたりしていると簡単に思いだす。 …..そろそろ始まったのか?子どもの頃は一回聞くと忘れなかった。…..あの頃は情報が極端に少なくインプットも僅かでよかった。本当のところは大半は忘れているのに本人が覚えていることだけを憶えているから、良かったと過去形で思うのだろう。人は記憶するために記号や文字を発明した。つまり外部記憶だ。グーテンベルク以来、急激に情報量が増し、写真、ラジオ、TV、PC、インターネットと凄まじい勢いだ。それもここ20年ほどのことだ。まあ、99%はゴミみたいなものだし、憶える必要なんて更々ないのだが…..。
中世には記憶術が重要でトマス・アクイナスは抜群の記憶力で何人をも相手に同時に口述筆記をさせたという。12世紀のサン・ビクトールのフーゴーは「学んだことを記憶に留めない限り、何かを本当に学んだ、あるいは英知を養ったということにはならない。教育の高揚は、教えられたことを記憶するという、ただその一点にある」と言っている。記憶と想起によって人格が生まれるのだ。それらの記憶術はグリッドに順番に納めたり、暗喩や図像で記憶していく方法である。例えばノアの箱舟を想像し、細かく分けた部屋々に整理していく方法である(ハンニバル・レクターは「記憶の宮殿」を作り、各部屋に細部にわたる記憶を貯蔵するやり方だ)。あの人は「引き出しが多い」というのと一緒である。
しかし、世間で言う、記憶術、速読術というのはほとんどが眉唾だ。「サヴァン症候群」の特別な人は別として、変なコンサルが偉そうに言うが顔みりゃどんな程度か分かる。彼のビジネスなんだ、商売なんだ。こんなモノ知らない若造が何を抜かすか!聞く方も聞くほうだが。速読術なんかも、そりゃハウツー本なんて1~2時間で数冊 … いや目次を見ただけで程度が分かるサ。ほら、新聞の週刊誌広告ね。数分で全部読んだ気になるもの。あの程度なんだヨ。確かに年号や記号を言葉に置き換えるのは誰にも憶えがある。「スイヘイリーベボクノフネ」や「鉄砲伝来銃後良さ・1543」なんて憶えたものだ。しかし、その前後関係や背景、概念を知らなければ憶えたことにはならないのだ。メンデレーエフの元素周期表による各元素の名前だけ覚えたって、それについての性質や様々な知識があって始めて意味を持つ。
こんな本がある「元素をめぐる美と驚き」H.O.ウィリアムズ・早川書房 / エピソードに満ち満ちてほんとうに面白い。生きた化学史だ。いまはWikipediaやNet検索したら何でもあるから、憶える必要なんてない!そんなことを言う人がいるが、僕はこんな人とは口も聞きたくない。それは情報としての記号であって、単なる情報を身体の中に入れて培養・発酵させて、整理・理論し、はじめて統合された情報になるのだ。ぼくの場合、記憶は映像と結びついている。文章や言葉に触れると想像の中の映像が浮ぶ。またカラオケなんかのバックが流れると数十年間忘れていた歌詞が浮び、歌えるのも不思議だ。記憶って何なんでしょうかね。
最近「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」と呼ばれる脳活動が注目されている。複数の脳領域で構成されるネットワークで何もせずボンヤリしている時にも脳は活動を営んでいたのだ。この脳の「基底状態」とも言える活動に費やされているエネルギーは、意識的な反応に使われる脳エネルギーの20倍にも達するという。さらに興味深いことに,DMNの異常がアルツハイマー病やうつ病などの神経疾患とも関係するらしい。アルツハイマー病患者で顕著な萎縮が見られる脳領域は、DMNを構成する主要な脳領域とほとんど重なっているそうだ。安静時の脳活動を研究することによって、意識や神経疾患の新たな手がかりが得られるかもしれない。脳は1200~1500cc、体重の2%ほどで、血液の循環量は心拍出量の15%、酸素の消費量は全身の20%、酸素グルコース(ブドウ糖)の消費量は全身の25%と、いずれも質量に対して非常に多い。その内、考え事をしているのに使うのは5%ほどで、後は脳細胞のメンテナンスやDMNに使われているんだって。「下手な考え休むに似たり」というけれど、実はDMNに使っているんだ!「記憶という書物、そもそも心の中の書物に書き込むこと、記憶は知識の中核をなしその根本、鍛え上げられた記憶の中にこそ、人格や判断力、市民性、信仰が築かれる」。
「知識を獲得する際には、必ず感覚に訴えるものから始まり、心の働きによって鋭い感覚によってでも捕らえられない高次なものへと進む」–ヨハネス・ケプラー。
●「記憶術と書物」メアリー・カラザース/別宮貞徳/監訳(工作舎・1997年)古代ギリシア・ローマ以来の記憶モデルの変遷、中世に開発された記憶術の数々、そして記憶のために書物の映像化の工夫等々。分厚くて重い研究書だが、面白かった。