9/ 23rd, 2010 | Author: Ken |
詩とジャズとビートニック。
ニューヨークへ行きたしと思へども ニューヨークはあまりに遠し せめては新しきレーコードに針を落とし ジャズに酔いしれてみん。
若さとは時代を素直に呼吸できることだ。いつの間にか時代を拒否し、常識という頑迷さが正義となり、大人という脂肪が思考を被うのだ。あの初めて都会に出た学生服の少年はジャズというものに心が震えた。単純にカッコいい!それがいまの時代だと感じた。
時代の先端でいたい。それがアメリカでありニューヨークだった。1ドルが360円の時代でそれは夢の夢の世界だった。アメリカ文化センターに行き、ジャズコンサート、LPや古本を漁り黒人文学や詩集、ジャクスン・ポロックに驚き、それらを、さも分かったふりをしていた。生意気と頭デッカチの典型少年だった(お恥ずかしい。ただしジャズ喫茶で指を鳴らしたりはしなかった。…何となくダサイじゃないの。生活指導の先生に見つかり慌てて隠れたこともある)。
その頃だ。ビートニックという前衛の人たちがいて、既成の価値観を破壊し超越する「聖なる野蛮人」なのだと。ビートはジャズのビートだ。そしてその聖典とも言えるアレン・ギンズバーグの「咆哮」を手に入れた。買った時は袋とじになっていてペーパーナイフで切り開きながら読んだ。
私は同じ世代の最良の人たちが狂気に身を滅ぼされ、狂乱に飢えて裸にされるのを見た、からだを引きずりながら夜明けの黒人街を一本のヘロインを探し求めめるため歩きまわるのを、夜の機構を動かす星のダイナモの中に溶け込んで行く昔ながらの天のかけ橋をせめて薬にしよぅとしてもがいているピップスターたち、….
ところが僕が憶えているのと違うんだね。どこかで記憶が混ざってしまったんだ。
俺は見た 我が世代の最良の人々が狂気に破壊され、飢えと狂乱 裸で明け方の黒人街を怒りのマリファーナを求めてさすらい歩く…と。
この詩集を半世紀ぶりに開いたさっきまでそうだった。こんな一節もあった
…またある者は 貧困とボロシャツ うつろな眼でタバコをふかし 夜もすがら湯も出ない部屋の超自然的な暗闇
で 都会の上を漂いジャズを瞑想した…。そして、モーラックは不可思議な牢獄!モーラックは魂のない骸骨の刑務所、悲哀の国会!….モーラックその胸は食人鬼のダイナモ!….なんて。
●「咆哮」アレン・ギンズバーグ:古沢安二郎 訳 / 那須書房 / 1961 ●「詩・黒人・ジャズ」:木島始/ 晶文社 1965
●「もう一つの国」ジェームズ・ボールドウィン:1962 ●「ブルースの魂」 リロイ・ジョ−ンズ:1965
●「路上」1957 ジャック・ケルアック/古沢安二郎 訳 ●「裸のランチ」1959 ウィリアム・シュワード・バロウズ/鮎川 信夫 訳
映画では「アメリカの影」1960:監督ジョン・カサヴェテス、音楽チャールズ・ミンガス、「クールワールド」1963:音楽は作曲・編曲がマル・ウォルドロン、演奏はディジー・ガレスピーたちだった。いまから思うと若さとは何なんだろうね。