10/ 4th, 2011 | Author: Ken |
赤い帽子の娘
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光と影、そしてパースペクティブ。不思議な事に日本の伝統絵画にはこの手法が見当たらない。水墨画による山水に遠近法は感じていたはずだし、また日本画家も花鳥風月には質感や立体感を持っていたはずだ。あの伊藤若冲のリアリズムにも影はない。
ところが幕末に西洋画法が輸入され知った途端、北斎や広重は極端なまでにデイープフォーカスを駆使しまくった。そして光と影の技法は明治期まで無かったのだ。この「陰翳礼賛」の繊細な美意識の国が…。…..知らなかったはずはないのだが…どうしてだろう?
まあ、現代は広角レンズや望遠レンズ、3Dからデジタル画像合成まで何でもありだ。
そこで光と影の画家、フェルメールだ。静謐で柔らかい光線は一瞬が凍りついたかのようだ。もの静かではあるが凛とした緊張感があり、まるで光と影が絵のために存在している。だから彼はカメラ・オブスクラを使ったのではないかと言われている。オブスクラとはラテン語で「暗い部屋」の意味。ピンホールカメラ、すなわち針穴写真機だ。また絵のフォーカスにピンの穴があり、それに糸を張りパースペクティブを求めたと言われている。
…TVで写真家・篠山紀信が「真珠の耳飾りの少女」の秘密を写真で解き明かすという番組があった。モデルをオーディションしオランダと日本のハーフのモデルを選び、当時の服装・小道具を用意し、古い洋館の北向きの部屋で撮影。でも瞳に窓の四角が映り込んだり、この角度では真珠に光は入らないから「これは嘘だ!」の絶叫など結構楽しめた。
そこでぼくもパスティーシュを試みることにした。モデルを雇う訳にも服装を用意する訳にもいかないから、わが娘に頼んだ。「恥ずかしいわ、遊んどらんと仕事しい」「まあ、そう言わんと….ターバンの代わりにこれ被って」。撮影、ペインターとアクリルカラーと面相筆で…。
安易ですね。恥を知りなさい!でも楽しいですね。フェルメールの贋作者、ハン・フォン・メーヘレンになった気分だ。
彼は何とあのゲーリングに贋作を売ったことでも有名だ。いや、贋作では無く作風を真似たのだ。だから彼の創作じゃないのか?
http://www.mystudios.com/gallery/han/forgeries.html
と、言っても有名な「エマオの晩餐」は緻密じゃないし、あんまりフェルメールには見えない。むしろ下手だ。「楽譜を読む婦人」と「音楽を奏でる婦人」はあまりにもフェルメールが過ぎる言うか!いやいやどうしての筆力である。
フェルメールの絵には何か安らぎを感じるものがあるんですね。同時代のレンブラントには人間の本質が見え過ぎるから恐いのです。自画像には老い痴らい零落した自分を冷酷に見つめる自分があるんだ。それをまた見る自分、この客観視が凄いのだが…。
●映画「真珠の耳飾りの少女」2003年イギリス、小説はトレイシー・シュヴァリエ、木下哲夫/訳:白水社、はベストセラーになった。また「ヒヤシンスブルーの少女」スーザン・ヴリーランド/長野きみよ/訳:早川書房。
そうそう「ターバンを巻いた娘」マルタ・モラッツォーニ/千種堅/訳:文藝春秋、これが秀逸なのだ。イタリアの女流作家の短篇集なのだが、芳醇でミステリーが絵画的で女性作家らしい微かな不安と心理、そして微妙な味わいがある。お話はデンマークの貴族にあるオランダ商人が小さな絵を売る。時は過ぎ貴族は亡くなりその娘から手紙が来る。「….少女が振り向いた顔を見せ、頭はターバンで、耳に真珠をつけております」。お洒落なオチですね。