8/ 8th, 2014 | Author: Ken |
遠い日の戦争、そして戦争画。
むろん、わたしは戦争を知らない。ただ子どもの頃、大人たちからたくさんの話を聞いた。子ども用の本も無い時代だから大人向けのカストリ雑誌を含め大量の実録ものを読んだ。貧しく飢えた世代には勇ましくも悲惨で、残酷で、恐ろしく、映画にしても学校から引率されて授業として鑑賞させられた。映画というものを初めて見たのが「きけわだつみの声」であった。砲弾が炸裂する丘に死した兵たちが幽鬼のように立ち上がるラストには戦慄を覚えた。そして「原爆の子」「ヒロシマ」「二十四の瞳」これらも学校から見にいったのだ。また「人間魚雷回天」「戦艦大和」「ひめゆりの塔」「沖縄健児隊」後には「雲ながるる果てに」「雲の墓標」など、昭和30年代はまだ戦争の影を大きく引き摺っていたのだ。
戦争が覆い尽くした時代、作家も画家たちも前線に赴き従軍画家として多くの絵を描いた。それらは戦後GHQによって没収されアメリカ本国に送られ、1970年に「無期限貸与」として日本に帰り、東京竹橋にある「東京国立近代美術館」に保管されている。日本画・洋画あわせ153点の戦争画はすべてが公開されていない。前々から見たいと願望していたのだがその機会がなかった。
この封印されていた絵画を初めて見たのは京都だった。藤田嗣治の「アッツ島玉砕」。実際にはこのような白兵戦があったわけではない。からみ合いうねり地獄草紙のような兵士の群れ、昏く陰惨な死闘、歯を剥き出して銃剣を揮う兵士、ここにはとても「玉砕」という美しい響きはない。また「サイパン島同胞臣節を全うす」は後にバンザイクリフと呼ばれるマッピ岬に追いつめられた日本軍と民間人の最後のシーンである。鬼哭啾々というかそこには滅びゆく静的な美がある。
軍は戦意高揚のプロパガンダとして「国民の士気を鼓舞するため写実的な絵」と画家たちに下していた。戦後フジタは戦争協力者として非難の声を浴びる。しかしあの時代は誰もが愛国者であり日本が勝つことを熱望していた。戦争指導者や狂信的軍部は別として、あの時代と空気の中で描いた画家たちを誰が非難できよう。わたしもあの時代に生きていたなら・・・・これらの絵画を現代の眼で見ると、これは反戦絵画と映る。軍歌にしてもそうだ。歌詞にしてもメロディーにしても哀調を帯びたマイナーなのである。日本人というのは切羽詰まった悲劇的、悲壮的な状況でこそ奮い立つ心理がある。状況が困難であるほど「俺が」という涙こそが行動原理なのだ。
記録映画にある「帽ふれ」という見送るもの全員が帽子を振っての出撃シーンがある。〜送るも征も今生の別れど知れと微笑みて・・・何と日本的別離の心情なのだろう。決死、いや必死という言葉が背景にあるのだ・・・・。昭和18年10月21日「出陣学徒壮行会」の悲壮感漲る映像は異様な迫力を持って迫って来る。雨に煙る神宮外苑を「抜刀隊」の行進曲に合わせて行進する学徒。水たまりに逆転像が写り、「歩調を取れーっ!」の号令、濡れながら拍手で迎える白いブラウスの女子学生たち・・・答辞:「生等いまや見敵必殺の銃剣をひっさげ、積年忍苦の精進研鑚をあげて、ことごとくこの光栄ある重任に捧げ、 挺身をもって頑敵を撃滅せん。生等もとより生還を期せず。」
そして「海行かば」の合唱「海行かば水くかばね、山行かば草むすかばね……」勇壮なはずが、このような悲劇的な演出になる、やるせない程の日本人、日本的心情。私にもそれがあるだけに辛く重い。
学徒出陣
姫路市立美術館であった「美術と戦争展」で日本画家、小早川秋聲 の「國之楯」を見た。黒の背景に寄せ書きの日の丸で顔を覆われた兵士が横たわる。これは軍から受け取りを拒否されたというが、名誉の戦死というより、死そのものの無惨さと哀しみがある。そして、戦後描かれたものであるが、香月泰男の「シベリア・シリーズ」の顔、顔、顔。浜田知明「 初年兵哀歌」。古くはルネッサンス期にエッチングで描かれたジャック・カロの「戦争の惨禍」、そしてゴヤによる「戦争の惨禍」。・・・人間とは・・・・
機会があればぜひ出向いてもらいたい美術館がある。埼玉県にある丸木美術館、丸木位里・俊夫婦による「原爆の図」。酸鼻そのもの、亡霊のような夥しい人々の群れ、何か恐ろしく重いものがのしかかり絵の前から動くことができなかった。
余談だがピカソの「ゲルニカ」を見ても、マスコミが喧伝するそこに、怒り、悲惨、慟哭、反戦などは何も感じなかった。これが本当に名画なのだろうか? また、長野県上田市にある美術館、戦没画学生の遺作を集めた「無言館」、決して巧みな絵ではない。しかし、最後の燃え尽きる生が絵画に乗り移ったような何かがあり知らずに涙を流している自分があった。
今年の正月に「東京国立近代美術館」にジョセフ・クーデルカの写真展を見に行った。その時にまた藤田嗣治の「アッツ島玉砕」と「サイパン島同胞臣節を全うす」を見た。凄い絵である。彼の最高作ではあるまいか。