7/ 14th, 2011 | Author: Ken |
青春の挽歌・Chet Baker
舞台のダウンライトの下に老いさらぼうた男がいた。刻まれた深い皺、トランペットを抱え椅子に乗った姿は疲れた老人そのものである。それは時間の残酷さだけではない。長年のドラッグ漬がジャズ界のジェームス・ディーンと言われたハンサムな男を無惨にも変えたのだ。ゆうに70歳を超えているように見える。が、彼はまだ56歳である。1986年3月、大阪厚生年金ホールだった。彼が歌い始めた。トランペットはあくまでもスィートで消え入りそうなトーン、目をつむって聴くとあの時代が蘇ってくるのだ。あの中性的な少年のような声、青春の挽歌、… 嗚呼、チェット・ベイカーだ。1954年、あの頃はウェストコースト・ジャズが全盛だった。ハードバッパーの名手がひしめく時代に、なにしろクールでお洒落でカッコいいのだ。人気投票で、あの帝王マイルスを押さえトップに立ったこともあるのだ。甘く、せつなく、やるせなく、レターセーターにオックスフォード・シューを履いた女の子が靴を脱ぎ跳ばすほどの人気を誇っていたのだ。
「The Thrill Is Gone」スリルは去った、スリルは去った。君の目の中にそれを見ることができ。ため息の中にそれを聞くことができる。
「 But Not for Me 」They’re writing songs of love But not for me A lucky star’s above... 愛についての歌はたくさんある。でも、ぼくのためじゃない。見上げると幸運の星が輝いている。でも、それはぼくのためじゃない … 。
極め付きは「My Funny Valentine」僕の可愛いヴァレンタイン 、愛しくお茶目なヴァレンタイン、 … ずっとそのままでいて 君といると毎日がヴァレンタイン・デイだ。… 不細工だけれど可愛い彼女へのラブソング。(you tubeにたくさんあります)
そう、あるんだよ。下手だのに何か心に響く歌って。
時は流れ、旧友のマリガンがチェットの復帰を願っての「カーネギーホールでのライブセッション」1974年、チェット・ベイカー(tp)、ジェリー・マリガン(bs)、ボブ・ジェームス(p,key)、ジョン・スコフィールド(g)、ロン・カーター(b)、ハービー・メイソン(ds)、デイヴ・サミエルス(vib,per)、エド・バイロン(tb) という気鋭たちの熱い演奏だった。「Sunday at the Bearch」のスリルに満ちた乗りといったら….。
そして、ブルース・ウェーバーが作ったチェットのドキュメンタリー映画、「Let’s Get Lost・レッツ・ゲット・ロスト」。B・ウェーバー、希代の映像作家。彼の映像の素晴らしさは、あのラルフ・ローレンの写真だ。そう、リネンとコットン、クリケットのガードをつけた青年と少年の群像。おお!このシーン、品性、商品…。チクショー、やりやがる。….砂浜でホワイトとネイビーのマリーンスタイルの若者たち、遠い1930年代の憧憬、まるでフェローズが描くエスクアイアー誌そのものじゃないか!グレート・ギャッツビーじゃないか!優雅で、知的で、贅沢で、…..。ぼくも随分とあんな写真が欲しいと願い、カメラマンに無理難題をふっかけたものだ…..。
閑話休題。1988年チェットは宿泊先のアムステルダムのホテルの窓から転落して謎の死をとげた。部屋には、ヘロインが残されていたという。チェットの破綻した人生には甘さとはかなさ、破滅的な退廃が漂っている。だからよけいに青春の香りがするのだろうか。愚かで醜い晩年をさらけ出して歌う。でも憎むべき男ではない。人間誰しもそんな一面があるのだから。ぼくも歳を取り白髪が増え、自分の年齢に愕然とすることがある。ああ、いつまでも少年でいたかったんだよ。… 俺も人生の失敗者じゃないのかってね。