12/ 13th, 2010 | Author: Ken |
静かなるケニー……此の1枚。
マイルスのように創造性と革新性に満ち、時代を画したトランぺッターではない。ブラウニーのように輝ける音色と華麗な旋律があるわけではない。ガレスピーのような超絶技巧とユーモアがあるわけでもない。実力はあるのだが何故か地味であり花に欠けるのだ。しかし彼がいたからこそジャズシーンが幅広く豊かになり、その機微に触れることはこの上ない悦びになるのだ。そしてケニー・ドーハムの切々と訴える叙情には聴くものを捕えて離さないものがある。ビバップの創成期から活躍しマイルスも自伝で「駆け出しのころジャムセッションに出た。吹き負けたけどな、ケニー・ドーハムに」と語っている。
クワイエット・ケニー「ブルー・フライデイ」(1959)恋人が去っていったのだろうか、大都会の夜に孤独を噛み締めているのだろうか、暗い金曜日を哀切に唄うのだ。ほら何か胸が重くて眠れない夜、人恋しさに叫びそうになるとき、哀しいのに、そんな自分がなぜか可笑しい。そんな気分に陥ったことはありませんか?それがブルーに取り憑かれたときです。色で言えば様々な青、カインド・オブ・ブルーなのです。そう、ブルーな心の歌がブルーズである。ひしひしと心にせまる憂いである。続いてトミー・フラナガンもリリカルに唄う。こんなに曲に浸ることができる。これぞジャズなのだ。ベースはポール・チェンバース、ドラムスはアート・テイラー、当時を代表するミュージシャンである。
またジャッキー・マクリーンを加えた「エル・マタドール」も必聴のレコードである。マクリーン作曲、彼の娘に捧げた「メラニー・フォー・メドレー」、二人の掛け合いがすばらしい。そしてレコードでしか味わえなかったケニーのトランペットが日本にやって来たのだ「ジャム・セッション」(1964)と銘打ち、またそのメンバーの素晴らしいこと!
ケニー・ドーハム(tp)、フレディ・ハーバート(tp)、ジャッキー・マクリーン(as)、ベニー・ゴルソン(ts)シダー・ウオルトン(p)、レジー・ワークマン(b)、ロイ・ヘインズ(ds)。
何と!なんて贅沢な!舞い上がりましたね。下の写真がその時のプログラムである。
★ケニー・ドーハムの怪演?がある。何と!彼のヴォーカルがあるのだ。曲は「枯葉」、ウーム、何と評価すればいいのか。