9/ 14th, 2010 | Author: Ken |
魔女の鍋… 此の1枚… Miles/3
1970年、世界のジャズファンが衝撃を受けた。マイルス・デヴィス「Bitches Brew・ビチェズ・ブリュー」だ。魔女たちが鍋をかき回し、媚薬か毒薬か、未来を占うのか、新しい音楽が醸造されたのだ。まずジャケット、超現実の不思議なイラストに魅了された。アブドゥル・マティ・クラーワイン(Abdul Mati Klarwein1934~)の作品だ。あのサンタナのアルバム「Abraxas」もそうだ。
そして針を下ろした。地の奥底から湧き出すようなファンタジックなリズム、次いでマイルスのトランペットが鋭く空間を切り裂いていく。高まりとともにドラム、パーカッションによる16ビートを基調とした複合リズム、その多彩な奔流がイマジネーションを高揚させ迷宮へと誘うのだ。エレクトリックサウンドとリズムがジャズに革命をもたらしたのだ。30分近い「ビッチェズ・ブリュー」、どの曲も10分を超える大作だ。これ以前にもマイルスはミスティックでオカルティックな傾向の作品を作っていたが、その集大成ともいえるのがこのアルバムだ。そして70年代への展望を示唆したものだ。
でも、なぜこの時代にこんな音楽が作られたのだろう。泥沼化しつつあるヴェトナム戦争によって、楽天的でスクェアなパックスアメリカーナの夢に翳りが見え始めた。厭戦気分が時代の変革を要求し出した。そして一部の神秘思想やカルト思想主義者は超常世界を目指した。カウンターカルチャーがヒッピーを産み、インドや東洋の瞑想、ハレクリシュナ、ドラッグ、サイケデリック、さまざまなコミューン、チャールズ・マンソン….果ては科学までニューエイジ・サイエンスとして還元主義からの脱却を目指したのだ。日本はこのカルチャーに数年遅れていた。70年とは大阪万博の年だ。高度成長と豊かさを謳歌する未来が謳われる反面、サイケ、アングラ、フーテンといった風俗が流行った。長髪にパンタロン、革細工の小物入れ、トンボ眼鏡の若者が先端だった。時代は混迷を深め、テロやハイジャックが相次ぎ過激派は世界革命などと本気で叫んでいた。アイビー小僧は時代遅れになりスタンダードジャズはオジさんの音楽になった。
このアルバムにより「ジャズは死んだ」と叫び去って行ったファンがどれほどいただろう。ぼくはムキになって反論した。「モダンジャズとは革新を繰り返すからモダンなんだ。耳に心地よいだけのジャズはイージーリスニングだ。これこそ新時代を切り開くエネルギーを持ったジャズだ」と。「ビチェズ・ブリュー」や「マイルス・アット・フィルモア」に来るべきジャズの未来を感じ興奮したものだが、いつか音楽革命の炎は消えジャズがエネルギーを失い、通俗と懐メロへと成り下がっていった。同時代性を失ったジャズははジャズじゃない。確か80年頃、マイルスの5度目の来日のライブがあった。「スターピープル」「マン・ウィズ・ザ・ホーン」の頃じゃなかったか?
それが大阪扇町プールで水を干したプールが観客席だった。病気か事故の影響か、舞台で脚を引きずりながらの弱々しい演奏。….ジャズが終わったと感じた。哀傷の挽歌である。一抹の寂しさと共に、あのエネルギーが、あのマイルスが…。
それ以来、ぼくはジャズのレコードを買うのを止め、聞くのも止めた。