4/ 7th, 2011 | Author: Ken |
勇魚。
何十年かぶりに「白鯨」を読み直してみて、ジョン・ヒューストン、脚本レイ・ブラッドベリ、主演グレゴリー・ペックの「白鯨」(1956年)の印象が強く残っている自分を発見した。随分脚色してあるのだブラッドベリが。そのイメージで読んでしまうんですね。
どうしても映像の方が印象が強いのだ。原作ではエイハブが白鯨の背で手招きなんかしないのに…。日本でも「鯨神」(1962)年という映画があった。監督: 田中徳三、脚本: 新藤兼人、原作: 宇能 鴻一郎(あの「わたし…しちゃたんです」。のあの人ね)、主演は勝新、本郷功次郎、藤村志保、江波杏子だったっけね。それなりに面白かったよ。
過日米国東海岸を旅したことを思い出した。ボストン、ニューベッドフォード、ニューポート、ケープコッド、そしてナンタケット。またナンタケットレッドという錆びたような紅色の独特の赤色がある。褪せたキャンバス地のショーツなんかデッキでそれはもう素敵に映えるのだ!まるで鯨の血で染めたのか?と思ってしまう。
また日本の捕鯨に対して世界中がかまびすしい。シーシェパードの行動なんかテロリストに近いものがある。「鯨は賢い動物だから….」「じゃ、世界中で戦争して人間を殺しているじゃないか」。「環境保護の象徴」「それは分かる。でも…」。「かってアメリカこそ捕鯨王国だったし白鯨が描くのも鯨讃歌だ。そして日本に開国を迫ったのも捕鯨じゃないか。ペリーが黒船を率いてね」「時代が変わったのだよ。いまさら鯨を食べなくても…」「じゃ牛や豚ならいいのか….」論議は果てがない…。思い出すよ、敗戦後子どものころ飢えて飢えて…唯一のタンパク質が鯨だったのだ。南氷洋に出航する図南丸とキャチャーボートの活躍をニュース映画で見て心を踊らせたものだ。そして乾物屋の店先に真っ黒になった鯨肉があって、蠅取り紙が物憂に廻っていたっけ….。鯨食肉は文化だと声高に喋る人がいるが、尾身にしてもハリハリ鍋にしても、コロもオバケもいま食べてみると別段美味しいとも思わない。鯨は食べるものから愛でるものに変わってきたんだね。鯨はデカイ。大きいだけで人間は驚異と畏怖を感じる。戦艦大和、スカイツリー然りですね。