1/ 17th, 2010 | Author: Ken |
1.17
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。あれから15年、あっという間だ。…突き上げるような衝撃、轟音、起きようとしてまたベッドに倒れ込んだ。真っ暗闇のなかで通り過ぎるのを只管待った。長い、断ち切るように轟音が途絶えた。慌てて階下に駆け下る。
「何があった!?」地鳴りとともに余震が何度も襲う。蝋燭の微かな灯を囲み黎明を迎えた。
…翌日自転車で街に出た。続々と避難民が郊外を目指す。凄まじい破壊の跡、まだ煙がくすぶり炎さえあった。焼け野原に呆然と立つ人影、軒下に毛布にくるまった人、友人知人宅と事務所を廻った。…やっと私の事務所に着いた。外観はさほどの被害はない。中はもう無茶苦茶だった。
明日からどうしよう…。口を開けて笑うしかなかった。悲観とちょっぴりの楽観が綯い交ぜになり、その苦しさから逃れようとスポーツに打ち込んだ。肉体を虐め疲労困憊は心を少しは軽くする。車を止め、ゴルフクラブを捨て、時計を外した。お金を借りれば生活に使ってしまう恐怖があった。1年が過ぎた頃やっと決心がついた。ぼくにはデザインしかない。新しく事務所を作ろう。借金をして再開した。
…まだ若かった。こんな凄いことを経験できたんだ。無理矢理に楽観主義者と自分に言い聞かせ、困難を楽しんでやれと…。
素晴らしい優しさの人にも出会った。この時と震災をネタに金儲けに狂騒する人も見た。しかし、家や家族を喪い帰りたくとも帰れない人も多い。孤独死、自殺、離散、廃業、特に高齢者は大変だ。自分のなかで今まで考えもしなかった社会のこと、共に生きること、行政あり方などが徐々に見えてくるような気がした。NGOを立ち上げ活動する友人もいる。ボランティアで奉仕する知人もいる。
…ぼくに何ができたのだろうか、今になって自問する。…でもぼくは何もしていない。ぼくには何もできない。ただ震災は人間の優しさだけは教えてくれた。忘れてはならないことだ。