12/ 17th, 2009 | Author: Ken |
機密兵器
「陸軍登戸研究所の真実」伴繁雄/芙蓉書房出版
戦争中旧陸軍の秘密機関があった。陸軍中野学校・関東軍情報部・特務機関などと連携し、秘密インキ、毒ガス
・細菌兵器(731部隊、100部隊)・電波兵器・風船爆弾・ニセ札など、さまざまな兵器・謀略戦兵器を開発した。
怪力(くわいりき)線は電波照射で航空機のエンジンを不調にする研究、殺人光線(1.5mの距離で実験用鼠が死
んだ…要は電子レンジだ。また紫外線ビームで空気を電離し、伝導度が上がったところに高電圧で雷を横に走らせ
るとか、白熱輻射を微細な穴に通しコーヒレントな波を作り、これを多数並列配置し同期させる…レーザー光線。
SF的な研究もあったそうだ。帝銀事件もこの研究員だったの風評もある。
「風船爆弾」最後の決戦兵器 鈴木俊平/新潮文庫 フーセンと言うと何となくユーモラスな感があるが、戦時中
国の存亡をかけて決戦兵器が作られた。勤労奉仕の女子学生の手で和紙とコンニャク糊で作られた、直径10メートル
の風船爆弾、50kgの焼夷弾を積んで偏西風に乗せアメリカを攻撃した。放球された数約9000個、アメリカ大陸に到
着したもの1000個。この奇想天外な新兵器の顛末。…「ふ号兵器」貧はアイディアを産む。
「機密兵器の全貌」原書房 戦時中の技術情報閉鎖のなかでドイツより新技術を導入しようとする遣独潜水艦作戦が
あった。第四次遣独艦:伊号第二九潜水艦がシンガポールまで持ち帰ったMe163とMe262のスケッチ程度の資料から
敗戦間際ロケット戦闘機「秋水」とジェット攻撃機「橘花」が作られた。また電波兵器の研究も興味深い。例えば
南太平洋海戦で猛威を振るった米軍の近接信管(VTヒューズ)も実験では成功していたという。発射時の2万Gの
衝撃も以外に簡単にパスしたという。磁気探査装置(MAD)も日本がいち早く完成した。その他原爆の開発計画、
93式(酸素魚雷)や火薬の研究など研究者の苦闘と軍事技術開発の裏面が伺える。資源を持たざる国、基礎工業力
の劣っていた日本。B29に竹槍、原爆に風船爆弾と揶揄されるが、明治開国より70余年の時代、いまでいう科学的
パラダイムがまだ江戸時代を引きずっていたのだろう。余談だが撃墜されたB29の排気タービンを見た農村出身の
兵が「石臼を積んでいる」と言ったそうだ。彼には排気タービンに形が似ている石臼としか表現できなかったのだ
ろう。そのとき上官は「戦争は負けた」と悟ったという。戦犯としてマニラで絞首刑になった山下奉文将軍は、連
合軍の質問に「なぜ戦争に負けたと思うか?」の質問に、一言 ”サイエンス” と答えた。