2/ 15th, 2017 | Author: Ken |
「沈黙」: Silence
Silence : 主よ、あなたのお顔を考えました。・・・その最も美しいものを。・・・最も聖らかなものと信じたもの・・・その時、踏むがいいと銅板のあの人は司祭にむかって言った。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前に踏まれるために、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。「沈黙」遠藤周作(1966)
映画「沈黙」マーチン・スコセッシ監督(2016)を見た。その記憶が薄れないその日のうちに何十年ぶりに「沈黙」篠田正浩(1971)も見た。もちろん原作も読み直した。両作とも原作に忠実だし、同じシナリオかと思うほどだ。さて、出来は?正直に篠田作品の方が良かったですね。まず、俳優の重みが違う。セットに時代感がある。武満徹の緊張感ある音楽、宮川一夫のカメラ映像美、鶏が時を告げ、司祭が手枷をかけられ石段を歩む姿はゴルゴダへの路か。スコセッシ版はすだく虫の音が記憶に残った。私のような不信の徒にとって、神、信仰、天国などはわからない。しかし、長崎の地で400年に渡って隠れ切支丹に歌い継がれるオラショ(祈り)がある。映画にもあるように日本的に変容されてはいるが・・・。信仰とは何なんだろうか。
慶長十年(1605)に天正少年使節団が持ち帰った印刷機で「サカラメンタ提要」という典礼書が出版された。グレゴリオ聖歌の旋律が記されている。それが長崎・生月島の隠れキリシタンによって「オラショ(祈り)」として歌い継がれている。変貌と激しい訛のなかにラテン語の原型やグレゴリオ聖歌の旋律が姿を止めている。皆川達夫さんの本、TVでも見た事がある。レコードで聞く事が出来ます。時を越えて・・・。