6/ 26th, 2013 | Author: Ken |
Ancient Illusion … いにしへの幻術
そんな時代だった。若者は世界を放浪するのが時代のスタイルだった。「風に吹かれて」や「レット・イット・ビー」が行く先々で流れていた。文明を享受しながら都会から人からモノから離れてみたい。若者特有の夢とかロマンとかいう稚拙なセンチメンタリズムだった。大人は彼等を嘆かわしい、何の目標も何にも情熱を持たないシラケ世代と揶揄した。ぼくもそんな一人だった。
….あれはハンガリーの辺境だった。まだ鉄のカーテンが重く暗く国を覆い、動乱の傷は癒されていなかった。…..ひょんな事でツィ ゴイネル(ジプシー)の連中と知り合いになった。何日か彼等と生活しているうちに、長老が言うに「このずーっと山奥に千年以上、一度も止まらずに回り続けている水車があると….古への知恵なんじゃ」。そんな!ぜひ見てみたいと頼み込んだ。「そこの連中は他所者を嫌うでな。わしらは交易のために一年に一度だけ入るのを許されておるのじゃ」。不承不承、連れて行ってもらえることになった。
驢馬の馬車で深い谷間を何日も進んだ。町というより集落に近い古色蒼然とした中世がそのままのような所だった。住民はみな同じような独特の顔をしていた。皆美しいのだが私達の美の基準にない異質の風貌なのだ。インスマスの村……? そんな思いが過った。足音もなく忍ぶように歩く女。異教徒を見る眼の男たち、子どもの嬌声もなく時間が凍りついたような広場。そこにあったのだ。千年水車だ。水車は回り続け千年来粉を挽いている….。全体を見ようと向かいの古ぼけた教会の鐘楼に登った。窓には巨大な黒猫が見張り番のように座っていた。…..水は流れ落下する水流は水車を回し続け、いつ果てるともない…..。時を巡る水車….。
夕食にタニスの香りのする強烈な酒を飲まされ意識を失ったまでは覚えている。気がつけば驢馬の馬車の中だった。あれは、あれは何だったのだろうか? 確かに水車は回っていた。永久機関というよりあり得ない構造だった。….確かに、確かにこの目で見たのだ。
★異能の画家 M.G.エッシャーに限りないオマージュを!そしてルネ・マグリットに。A.ブラックウッド、日影丈吉、萩原朔太郎にも。
★それを作ってしまう人もいるのですねー。これをご覧ください。http://www.youtube.com/watch?v=0v2xnl6LwJE