3/ 1st, 2011 | Author: Ken |
Baritsu….馬慄…..バリツとは何だ?
「バリツ」この不思議な響きは何を意味するのであろう。時は1891年5月4日。所はスイス・ライへンバッハの滝。轟々と落下する大量の雪解け水は耳を聾し、濛々と立ち上る水煙は視界を霞ませ、目もくらむような隘路で戦う二人の姿があった。シャーロック・ホームズと宿敵モリアーティ教授である。二人は滝壺の深淵へと消えたという 発表に世界中のファンは悲嘆に暮れた。 しかし約3年の時を経てホームズは復活する。
「ぼくには日本のバリツの心得がいささかあった」とホームズは言うのだが… 。さてバリツとは何だ?ブジュツの訛か、それともそんな格闘技があったのか?様々な説があるのだが、W・バートン・ライトによって紹介された日本の護身術「バーティツ・Bartitsu」だとか、嘉納治五郎による講道館から世界に広まった柔道であるとか、いやあれは相撲の「いなし」であるとか、いや合気道の一手だとか喧しい。しかしホームズが相当な使い手である以上、相当若い頃から鍛錬していなければならぬ。ワトスン博士はそれについてどこにも記述しておらぬし、彼と知り合う前でなければ辻褄が合わないのだ。つまり彼等が出会う1881年以前の若きホームズの姿である。 大英図書館で化学と犯罪学を研鑽していたことは確かなのだが、たぶんその頃のことであろう。ここに一つのヒントが隠されていたのだ。渡英日本人による 19世紀末か20世紀初頭と思しき時代に描かれた絵、日記、写真が残されていたのだ…..。さてこれからは眉に唾を塗って涼しげに読んでいただきたい。
……その男は【成田山一徹斎・なりたさんいってつさい】嘉永七年(1854)江戸谷中生、家業は絵師、幼少より神田於玉ヶ池、磯又右衛門正足道場にて天神真楊流の皆伝。柔よく剛を制すとして柔術・棒術の真髄に迫らんと日夜の鍛錬を行う。時代は黒船、勤王攘夷、御維新と疾風怒濤の時代を越え明治となった。ワーグマンに師事し彼の推薦により、明治11年(1878)絵画研修のため渡英。その頃の日記には「われ大英図書館に通ううち様々な英才との知古を得た。その一人はドイツ訛りで豊かな髭を蓄えまるさすやえんげるすを根底とする新思想に燃える男。そして化学と犯罪史に異常な興味を示す青年に出会った。長身痩躯、人を射るような鋭い灰色の眼、鷲のような鼻、鋭敏で理知に満ち、我が輩が古武術を使うと知ると熱心に教えを請うのだった。我が輩も厳しく鍛えるうち、彼の稀に見る才により一年あまりで目録、二年目には我が輩も油断すると一本取られるほどに上達した。特に秘伝である馬慄(元亀天正の頃より騎馬武者をも怯ませ投げ飛ばす大技術、罵詈津とも書く)の奥義も伝えた。….」とある。
一徹斎は三年後に帰国、帝国大学で西洋絵画史の教鞭を取る。1891年ホームズの訃報を聞くに大いに落胆、その復活には狂喜乱舞したと聞く。20世紀初頭に再び渡欧、サセックスの地に赴きホームズと旧交を温める。たぶんその時に撮した写真ではないか?と一徹斎の曾孫である成田一徹氏は語る。最も劇的なシーンを描きホームズに贈ったのであろう。まあ、信じようと信じまいと勝手だが…….
★さる日、シャーロック・ホームズ・クラブ・ウエスト・エンド「仏滅会」の会合を覗いてみた。扉を開けた瞬間、会長の平賀三郎氏を始め炯々たる眼差しの十数人。ウム、これは!?と身構えてしまった。中には粋に和服を着こなした妙齢のご婦人方さえ見えるではないか!バイオレット嬢ならぬ紫婦人か!そして「まだらの紐」関する考察、「バスカビル家の犬」の実地検証報告となかなかの内容だった。知人より「胆を据えて参加なさるがよい」と注意はされてはいたのだが…。わが貧弱なる知識ではと恥じ入った次第だ。二次会の呼称は「ディオゲネス・クラブ」。一切口を聞いてはならぬとホームズの兄マイクロフトの創立した人嫌いの集まり倶楽部だ。
小生気を引き締めて参加したのだが、各員喋るは喋るは!大シャーロッキアン大会である。まあ、大人のお遊び、架空の人物についてこれだけの研究と楽しみがあるとは!入会を誘われたのだが、聖典(カノン)60編を再度読破してから考えよう。