7/ 31st, 2011 | Author: Ken |
Box Art「零戦」
今でもプラモデルで人気の双璧は「零戦」と「大和」だろう。戦後65年も過ぎたというのに本屋のミリタリーコーナーには大量の「零戦」の写真集、図版、解説本がある。もう語り尽くしたとも思えるのに続々と新刊がでるのだから好きな人が多いのですね。やはりアメリカ的な強引とも思える設計思想より、日本という持てざる国だった象徴、その栄光と悲劇の生涯が人気を呼ぶのだろう。僕もかって人後に落ちない時代があった。中学生の頃「大空のサムライ」坂井三郎空戦記録に感動したのだ。ラジオで「海軍零戦隊」という朗読もあったし、坂井三郎がTVで血染めの飛行帽を前にガダルカナルからラバウルまでの苦闘を語る番組も見た記憶がある。「零戦」…重慶上空の完全勝利から真珠湾、ソロモン、そして落日、最後は特攻機として飛び立った悲劇性に性能や形態を超えたドラマを見る。僕も本物はNZオークランド博物館の22型、ロンドンのワーミュージアム、靖国の遊就館、国立博物館、昔、地方デパートの屋上で巡回展示を見た事もある。精悍というより薄いジュラルミンが弱々しく、よくもまあこれで過酷な空中戦が出来たものだと妙な感動を憶えたことがある。設計者堀越 二郎のコンセプトが優れていたからだろう。たった1000馬力で、その長大な航続距離、重武装、優れた格闘性能、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めた。連合国パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられたという。 しかし所詮は貧乏国日本の技術の粋も、2000馬力という倍のエンジン出力を持ったF6FやF4Uの大群には勝てなかった。アメリカで見た事があるがヘルキャットもコルセアも何しろゴツい、重量級ボクサーだ。軽量零戦を力と数でねじ伏せてしまう思想だ。そして見るからに流麗な悍馬P51Dマスタング、横綱級巨体P47サンダーボルト、最後はレシプロの極限F8Fベアキャット……。もう新しい時代に入っていたのだ。その「零戦」の最後の姿を描いてみたかった。描くに当たって機体を何にするかで迷った。世の中にはトンでもないオタクがいて簡単に間違いを追求するから写真などで厚木の302空としたが、いや52型、いや甲だ乙だと言われると全く自信がない。