9/ 7th, 2011 | Author: Ken |
Box Art / 後退翼の闘い。
もう半世紀以上も前の遠い話である。朝鮮戦争が激しさを増した頃、親たちが新聞記事を前にかっての街の思い出を語っていた。引揚者である我が家は新義州という街に住んでいたそうだ。「鴨緑江の橋や新義州も爆撃で壊滅したみたいだ。水豊ダムもやられたようだ…..」。「あの日本中を焼け野原にした憎たらしいB公もソ連のミグにバタバタと落とされているそうだ」。…そんな話だった。
…当時はニュースといえばラジオ、映像は新聞写真、動画は映画館のニュースでしかなかった。その時だ新聞に北朝鮮軍のパイロットが亡命( どうも当時の米軍は、Mig15を持ってきたら10万ドルの賞金 を出すと共産軍相手に宣伝していたようだ)。兄が雑誌「航空情報」を買って来た。見とれましたね。その写真の鮮烈な事といったら!無造作に断ち切ったような先端のインテーク、太い胴体、鋭角な後退翼、巨大な尾翼、37ミリと23ミリの機関砲…。直線翼のF80シューティングスターや米海軍のF9Fパンサーじゃ歯が立たなかった。後退翼のジェット戦闘機、それだけでその言葉に昂りを感じたものだ。早速、木切を削ってミグのソリッドモデル作りだ。
アメリカ軍もミグに対抗するため後退翼のF86セイバーを投入、北朝鮮上空でドッグファイトを繰り広げた。ノースアメリカンF86はP51マスタングをそのままジェット化させた観があった。ミグの無骨さと対照的に全てにバランスの取れた美人なのだ。そしてミグを16機撃墜したエース、ジョゼフ・マッコーネルの映画が公開された。「マッコーネル物語・Tiger in the Sky」。なーに、映画は詰まらない英雄物語なんだが、主演はあのシェーンのアラン・ラッド、相手役がジューン・アリソン(彼女は何故か軍人の若奥様役が多い。ジェームス・スチュワートの戦略空軍命令とか…。当時のアメリカ人の家庭なんて敗戦国の貧しい日本人から見たら輝くようだった。キッチンにはギンガムチェックのカーテンなんぞがあってね)。…その映画ではミグとセイバーの空中戦シーンがたっぷりあって、ミグにはF84Fサンダーストリークを使っていた。まだサイドワインダーもない時代で、ブローニング50口径機関砲で勝負なのだ。
他にもウィリアム・ホールデンのトコリの橋、第8ジェット戦闘機隊、ロバート・ミッチャムでF86の追撃機というのもあった。あれは確か僕が小学校に行く前だったから1950年頃かな?甲子園の親戚の家に行く途中、国鉄の貨車に銀色に輝くドロップタンクが山積みされていた。あれが朝鮮特需だったのだ。
そして日本の航空自衛隊もF86を導入、曲芸飛行隊のブルーインパルスを結成、東京オリンピックで大空に五輪の輪を披露した。そして「ゴジラの逆襲」や「ラドン」なんかの怪獣映画に登場するのもF86だった。…..B29の絨毯爆撃、グラマンやP51の機銃掃射に追われ、敗戦。あの敗北を抱きしめた日本人、戦争体験者はどんな気持ちで見たのだろうか? 日本人は案外気にしないんじゃない。切替ることが上手なんだよ。PTSDが軽いんですよ。悪く言えばアイデンティティが希薄?大和魂もそんなものか!「鬼畜米英」から「親米」へ、「戦後はデモクラシーやからネ」「よくここまで復興した」と軽く変身したのでしょうね。