5/ 30th, 2014 | Author: Ken |
胡乱な話。
最近NHKで「超常現象」や「超心理学」の番組が目に付く。エンターティンメントしては面白いが、真面目に取り上げるほどのテーマなのだろうか。一応、科学を装ってはいるが限りなく「疑似」に属するものだ。SFとしての「超常現象」や「超心理学」はイマジネーションを刺激するし、その不可思議で奇妙な感覚に浸りたいために映像、映画、小説、研究書などをむさぼるのだが…..。現実に返ってみれば「あったらいいな」それくらいで「馬鹿らしいこと」この上ない。胡乱なのである。限りなく疑似科学である。ただ人間は心理の複合体であり「信じる」「信じない」が同居し曖昧模糊としたものだ。DNAか?生い立ち、環境か?様々な要因はあろうが「神」「心霊」「魂」「スピリチャル」… 否定はしてみてもどこかにアプリオリな畏怖や文化としての存在を感じずにはいられない自分がある。
人間とは厄介なものだ…。「超心理学」を信じる人は多いし、もしかしたら人間は本能としてそのように出来ているのかも知れない。それら「超常現象」を否定するものは少数派である。コミュニケーションのために顔では笑っているが内心は腹立たしいのである。そりゃあればどんなに!だから片っ端からそれ系の本を読んでみたのだが、読むほどに阿呆らしい。
真面目な本はないのかと探した。その昔の福来友吉博士の御船千鶴子事件を始め、宮城 音弥の「神秘の世界 超心理学入門」 岩波新書( 1961)これも心理学という「夢」「精神分析」などという「疑似科学」に近いものであった。そして、大槻義彦、茂木健一郎といったタレントによる著作は軽いを通り越して安っぽいことこの上ない。そう、それは科学者を装った芸人である。あの、コリン・ウィルソンも膨大な著作の背景には「そうあればという期待値」が高すぎる。ブライアン・ジョゼフソン「科学は心霊現象をいかにとらえるか」も、ノーベル賞科学者だって「生」「性」「人間関係」「怒り」「悲しみ」などの俗っぽいことに心を悩ますし、敬虔な宗教信者だって沢山いるのだ。それこそが人間であって矛盾の固まりなのだ。米ソ冷戦の時代には「スターゲート計画」という超能力諜報研究を米軍が行っていたという。何たるナンセンス!78年には「フューリー」なんてスターゲート計画に題材を取った映画もあった。そこで新型ソ連原潜を言い当てたと主張するジョー・マクモニーグルのリモート・ビューイング(遠隔透視)があるなら最近の「マレーシア航空の行方不明事件」なぞ一撃のはずなのに……。また、サイコロや○×☆などのゼナーカードを使い、統計学によって、それが起こる確率は何十万分の1だから、ある!と言われても、宝くじに当たる人も、隕石に当たった人だっているのだ。あなたの素である受精卵だって。そう、それも偶然の一部でしかない。
「超心理学」の著者、石川幹人氏は「科学的に説明できないものは信用しない」という態度は残念だ。「信用しない」という信念自体が非科学的だからだ。と主張するが、本を読むと「あるという期待」が文章の隅々に表れている。そこで、「利己的な遺伝子」ドーキンス博士にご登場願おう。彼は言う「無神論者は誇りを持つべきだ、卑屈になる必要はない、なぜなら無神論は健全で独立した精神の証拠だからだ」無神論を無超能力という言葉に置き換えてみればいい。世の中には「水の記憶」「水にありがとう」「ホメオパシー」「ヒーリング」「水子霊」「自己啓発」「EM菌」「波動」などといった言葉が蔓延している。また、それを信じて実践している人も多い。一体、人間とは知恵を持ったが故に「幸せと不幸」を背負った存在になってしまったのか。これって原罪なのだろうか?
1/ 16th, 2014 | Author: Ken |
君はこの衝撃に耐えられるか?
新年早々恐縮だが、さる知人から「5ページ以上読んではいけない!」という本を見せていただいた。その衝撃たるや!ディープ・インパクトだ!開いた瞬間、今は昔、薄暗いタイ料理の店でスープを啜っていると何やら浮かんでいる。具だと思い噛み締めた瞬間、声にならない悲鳴とともに口中に火炎迸り焦熱地獄もかくや?….おかげで後半の料理はパス、氷を頬張るしかない苦しみと、割り勘負けの悔しさの記憶が蘇った。(尾籠な話だが学生時代にスポーツ病に罹った。そうインキンですよ。チンキを塗ったら股間に燎原の火の如く炎が走りその熱さたるや!ひたすら団扇でパタパタ。覚えがあるでしょ、御同輩)。それ以来の仰天である。「と」もここまで来たか!
◎「ドラコニアンvsレプティリアン これが 〈 吸血と食人 〉 の超絶生態だ!」
高山長房・著:ヒカルランドこれ真面目なの?それとも面白がって?ゲーム攻略本?SF?、何となく「エイリアン対プレデター」という映画を思い出しますネ。….ところが真面目というか、思考がトンでるというか、小学低学年が書いたゲーム世界というか、要は地球は宇宙人に侵略されている。だから「地球人類救済」のために東奔西走(当本清掃?)しているんだと。お決まりの宇宙人陰謀論だ。ネットからパクった写真が満載で、何やらデータらしき図やら科学用語使い、歴史学、国際政治、軍事、進化、次元、もちろんオーパーツやら何でもありなのである。ところがこの著者、科学用語を全く理解できていないんじゃないんですか? 著者のプロフィールを見ると ●第59代宇多天皇家35代、高山右近大夫長房16世、その他、国際科学研究所顧問だとか並べた、中年太りのオジサンの写真がある。でも、5次元なんて言葉満載だけど、著者の次元は相当に?(失礼、低次元の話は止しませう)
◎「光の五次元にアセンション、2012年の奇跡」中丸薫・著:あ・うん
著者は国際政治評論家で「21世紀の偉大な思想家2000人」に選ばれたそうなあの端正な悪役で映画俳優の故中丸忠雄さん(電送人間やゴジラ、そして岡本喜八映画には欠かせない人だった)の奥方だそうだ。著者によれば「光」のエネルギーがアセンションへと導く….私が現在、さまざまなところから得ているインスピレーションや情報では、フォトン・ベルトの突入によって、地球は「光の五次元世界」にシフトするようです。……私たちの存在は、もともとすべてが「光」であり「電気的」なものです。ですから、ある波長に達すると光のエネルギーによって高次元に移るのです。これに備えて、私たちが準備しなければならないのは、「愛のエネルギー」です。無償の愛のエネルギーが「心の浄化」を進めて、アセンションに連動することができるようにしてくれるでしょう。そして、ある時間帯にそのアセンションに連動するように心の波動を合せればいいのです。….とある。
真面目に物理学を勉強してみませんか?できれば図書館に行って「宇宙」「物質」「量子力学」「統一理論」なんか、分かる分からないを別にして、20冊ぐらい読んでみませんか?現代最高の物理学者が数式もほとんど使わずに、ほんとうにわかりやすく解説してくれています。数百円も出せば「素粒子から宇宙」の本が手に入りますよ。この方、本当にジャーナリスト?この程度の知力で世界を歩いているの? それにしてはリテラシーがあまりにも…..もうお笑いツッコミだって疲れそうだ。
◎そして、あのエル…カンターレ、総裁様の本だ。もう、笑う気にもなれぬ。「と学会」も疲れるだろうな。
まあ、この方々は「波動」「次元」「光」なんかが好きですね。(哲学、宗教的意味でのアナロジーとしての物理用語を使うのであれば、まだ許される気もするのだが….)、どうもそうではない。何でも銀河系宇宙連合体のクエンティとかいう35000歳の地球を守る方とコンタクトしているそうな。そして陰謀論だ。ワンパターンですね。(昔VSOPが流行った。ヴェリースペシャル・ワンパターンだ。そんな詰まらないジョークを思い出さすなよ)。このような本が巷に溢れている。図書館にだって真面目な研究書や啓蒙書の隣に並んでいるのだ。そしてこれらの著者には有名国立大学の教授様まで書いているのだ。みんな老人になれば死期を考えてしまう。どこかに救いが欲しいのでしょうか?論理や正常識をそれこそワープして「と」になってしまうのだ。あるマジシャンが言っていた「科学者をダマすのは簡単です。だって彼等は奇術に無知だから」とね。知性や理性って何だろう?正常と異常、常識と非常識、信じている人にとってそれが「真実」なんだから。何を言っても、もう、笑うしかないか……。まあ、カウンターにもたれてのヨタ話、ホラ話、楽しいですね。
(注!)真面目な啓蒙書であるノーベル賞物理学者の「物質のすべては光」フランク・ウィルチェック著、 吉田三知世訳・ハヤカワ書房と本のタイトルが似ているからって、一緒にしないでね。一般読者向けの優しく書いた最先端物理学の解説書です。ヒッグス粒子も認められたことだし。宇宙のセンス・オブ・ワンダーを知ることは楽しいですね。
12/ 21st, 2013 | Author: Ken |
秘密?…..それは秘密です。
戦前、戦中には「治安維持法」「大本営発表」「思想犯」「憲兵」「特高」「言論統制」「非国民」…。こんな言葉がまたぞろ聞こえてきそうだ。何たることぞ! まるでオーウェルの「1984」か、ブラッドべリの「華氏451」か、マッカーシズムか、嫌な足音が聞こえてきそうだ…..。
「特定秘密保護法案」
★「その漏えいが我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」を行政機関が「特定秘密」に指定する。
★秘密を扱う人、その周辺の人々を政府が調査・管理する「適性評価制度」を導入する。
★「特定秘密」を漏らした人、それを知ろうとした人を厳しく処罰する。そしてその秘密を管理している当の行政機関が「特定秘密」に指定する。
秘密保護法とは、秘密指定され、それが政府によって隠され「何が秘密」にされたのか、国民には知る術が無いのだ。また、日本版NSCは議事録を取らないという。政府答弁議事録を作成は公文書管理法に従って管理後に公開が義務づけられるが、最初から議事録が無ければければ公開する義務も生じない。これは現在と将来の歴史家は検証できなくなることを意味する。後世への歴史的責任はどうなるのか?….記録こそ後世に史実として存在し歴史があるのだ。そして「最長60年の原則を超えて期間延長できる秘密を7項目に限定し、それ以外の項目は遅くとも60年後には公開。また7項目は秘密指定を延長できる。」だと?
…この法案に関わった者たちは誰も生きていないではないか!もちろん僕も。無責任極まる。
まるで憲兵かゲシュタポが見張っている世界が近づいているかのようだ。自由という言葉を使えない、嫌な世の中の最たるものである。そして「集団的自衛権行使」「共謀罪」「NHK支配」「教科書検定制度」「改憲」「愛国」….。無責任国家になりたいのか。僕もこの国に生まれた以上、国を愛している。それは自由で開かれているからだ。ついこの間も「愛国無罪」と叫んで暴虐を尽くす映像が流れた。
「愛国は悪人の最後の拠り所」サミュエル・ジョンソン。まさに……
2/ 12th, 2013 | Author: Ken |
TV、そしてボクシングに昂る…そんな時代も。
街から人と車が消えたことが何度かある。1969年7月20日、アポロ11号の月面着陸だ。そして1974年10月30日、コンゴ(当時 ザイール共和国)の首都キンシャサで闘われたWBA・WBC世界統一ヘビー級王座ジョージ・フォアマンにモハメド・アリが挑んだ一戦だった。
もちろん僕も期待と興奮で待ち望んだのだ。ほら吹きクレイことカシアス・クレイの”Float like a butterfly, sting like a bee” (蝶のように舞い、蜂のように刺す)華麗なフットワークと鋭い左ジャブは大男で鈍重なヘビー級の概念を変えたのだ。そしてモハメド・アリに改名、激しくなったベトナム戦争を背景に徴兵を拒否、ヘビー級王座を剥奪され、3年7か月間ブランク、そして実力で王座奪還を果たし復帰、折から高まった公民権運動にも積極的に参加、黒人差別への批判的な言動を繰り返した。
その頃のチャンピオンは「象をも倒す」と言われたジョージ・フォアマンだった。年齢的に最良の時代に試合が出来なかったアリはもう全盛期を過ぎたと見られていたのだ。…試合にはイライラさせられた。アリはロープを背にガードを固めてひたすら打たれるだけ。あの軽やかで派手な闘いぶりを期待していただけに、フラストレーションが積もり悪態をつきながら…..ラウンドが過ぎていった。
フォアマンも打ち疲れた。8ラウンドだった。一瞬の隙をつきアリのワンツーが炸裂、フォアマンが崩れた。あっけないKO勝利だ。これを「キンシャサの奇跡」と呼ぶそうだが、アリはクレバーな ” rope a dope ” という戦法だとうそぶく。フォラマンは一服盛られたのだという噂もあるが(そういえばdopeには麻薬の意味もあるね)、アリは奇跡を呼ぶ男として名声を不動のものにした。
60年代、エスクアイア誌が輝いていた。あの名アート・ディレクター、ジョージ・ロイスのアイディアと機智に富んだ表紙に驚いた。僕はデザイン学校に通っていたのだが、英語も分からないくせに古本屋で見つけては眺めていたのだ。どうしたらこんな発想ができるんだ? それ以来、学校の課題も稚拙な頭で考え制作提出した。成績は悪かったですね。日本のデザインの世界には、こんなデザインは通用しないのだ。レイアウトもノンデザインに見えて、実はダイナミックで神経が行き届いているのに。アリに矢が刺さった表紙なんて、 グイド・レーニかソドマの「聖セバスチャンの殉教」だ。それが「モハメッド・アリの受難」!このウィット! 脱帽だ!
TVが熱かった。ボクシングが燃えていた。そんな時代だった。ファイティング原田 vs キングピッチ戦に万歳を叫び、カミソリパンチの海老原、黄金のバンタム、エデル・ジョフレ、ロープ際の魔術師ジョー・メデル …..いつかアリも猪木と闘うモンキービジネス化し、ボクシングもマイク・タイソンの頃から試合を見なくなった。いまは全く見ない、いや見たくないのだ。まず階級が多すぎる。いつのまにこんなに増えたのだ。だからやたらとチャンプが多い。おまけにK兄弟だなんて…..フッ!。デフレ現象、低品質の安売りのオンパレードだ。スポーツもエンターティンメントだと分かってはいるさ。しかし、プロレスもキックボクシングもK1もいつしか消えていった。いろいろと問題も多いが「相撲」はまだ歌舞伎と同じく、あの古式に法り命脈を保ってはいるが….。どうだかね。
2/ 7th, 2013 | Author: Ken |
夢の魔法箱、あるいは一億総白痴化電波BOX。
リキ行け!空手チョップだ!ぶっ殺せ!….なんであんなに興奮したのでしょうね。TVを初めて見た時の不思議ったら!空中を電波が飛んでくるのだが、この魔法の箱から人間のいちばん人間らしい好奇心(野次馬精神)というものが吹き出すのです。同時性というかドキュメンタリー性というか、同次元、同時刻に事件やら臨場感や何やらが居ながらにして楽しめるのです。TV放送が始まって少し経った頃、プロレスに日本中が興奮したものだ。田舎ではTVがあるのは村に一軒きりだったから、プロレスの日になるとみんな集まって声援を飛ばし、敗戦国の悲哀と狡いアメリカレスラーに、怒りの力道山の空手チョップに託して溜飲を下げたのだ。その頃はまだ憎いB29とレーダーに負けたのだという会話が日常で話されていたのだ。僕はガキだったが村はずれの怖い夜道を通って見にいったのだ。でも、薄々は感じていましたよ。筋書きのあるドラマだって。だってなぜいつもレフリーのユセフ・トルコのTシャツが破られるのだ。拳固の反則を取られると大げさな身振りでオー!ノー!とか、豊登の脇をパコーン!なんてね。しかし、ルー・テーズと力道山の対決は身体が震えるほどだった。….いつか我が家にもTVが入り「番頭はんと丁稚どん」なんかヘラヘラ笑って見ていたものだ。
それからはアメリカ製ドラマにはまりましたね。ほとんどが西部劇だった。「ローハイド」ローレン、ローレン、ローレン….「ライフルマン」Staring Chuck Connorsバキューン!ウィンチェスターを片手で回すのだ。….箒なんかで真似していたよね、ご同輩。
ぼくは「アンタッチャブルズ」に夢中だった。そのタイトルのカッコいいこと!The Untochables ロバート・スタック as エリオット・ネス、そのナレーションは30年代に活躍したウォルター・ウインチェルだったのですね。日本では黒沢良だった。ネスのストイックなスリーピース姿、チョークストライプ・スーツにスパッツ、ギャングスターのお洒落度(まるで当時のエスクァイア誌みたいだ)や場面のクロスカッテイング手法の素晴らしさに「オお!」。いまだにハードボイルドが好きなのもその影響でしょうか?
「西部のパラディン」も大好きだった。Have gun will travelなんてチェスのナイトを印刷した名刺を出すんだ。「スタンドバイミー」で少年たちが線路を歩きながら歌っていたね。Paladin, Paladin, Where do you roam?
そしてだ、ロッド・サーリングの「ミステリー(トワイライト)・ゾーン」ああ!もう一度見てみたい!
「ヒッチコック劇場」何たって原作からして凄いんだ!ロアルト・ダールの「南から来た男」とかドロシー・L・セイヤーズやジョン・コリア、ヘンリー・スレッサーなんて名手たちの名作揃いなんだから….。ああ、切りがない。情報が新鮮で輝きTVがTVであった時代…今年は放送開始60周年だそうだ。…ン?いま?大きな50インチの板だけれどTVなんてほとんど見ないね。だってあまりにも詰まらないんだから。媚びと追従と醜悪とオツムの弱そうなタレント?が面白くもないのに…憮然とするしか。
…おっと!60年前に大宅壮一が言ったっけ「一億総白痴化」って。
まあ、「進め一億火の玉だ!」とか「一億総懺悔」とか、一億って語呂がいいんですね。「〜讃えて送る一億の歓呼は高く天を突く〜」…もういいよ。つまりぼくも歳を喰ったってわけだ。といいながらPCでYou Tubeなんか見ているんだから。
9/ 15th, 2012 | Author: Ken |
エイリアン、お前もかッ!
お許し下され今回は支離滅裂です。【Alian】異邦人、【営利案】金儲け企画、【鋭利案】切れ味鋭い考え、【絵入り餡】フォーチューンケーキ。…………かのギリシャ神話曰く、兄のプロメテウスは「先の知恵」すなわち先見の明を持ち、神から火を盗んで人類に与えた。弟のエピメテウスはepi(後の) metheus (知恵)という「後知恵」である。「タラとレバ」なんですね。あの時ああしていれば良かったと後悔する、まるで私だ。
人類はどこから来たのか? 壮大なタイトルに牽かれて映画「プロメティウス」を観てきた。ウーン、如何な物か!なんでしょうかね。政治家の発言みたいになってしまうが、入場料を払った以上文句の一つも言わせてもらわねば…..。あの鬼才リドリー・スコット監督、それだけに期待をしますわナ。ところがどうだ、船長は長距離トラックの運ちゃんがお似合いだし、主人公の女性科学者は一昔前のカラオケスナックのママみたいだ。その他の乗員も似たり寄ったりでちっとも科学者や宇宙飛行士に見えない。アンドロイドはアラビアのロレンスの真似をするし、この探検プロジェクトのオーナー老人の登場は?だしメイクも酷いし、そのスタイル抜群の娘なんて!
CGと3Dはたっぷりなんだが、「エイリアン」とスピルバーグの「インディ・ジョーンズ・クリスタルスカル」(もういいよ!)とスティーヴン・キングの「ザ・ミスト」(2007/フランク・ダラボン監督:後味の悪さは相当なもの)を足して3で割って、混ぜて薄めたらたらこんなもんか! 舞台は2090年代なのに安モノのカジュアルを着たり拳銃を撃ったり(おいおいレーザー銃でも無いの?)チンケな火炎放射器、兵員輸送車やヴィークルもイラク戦争じゃないんだよ!「地球の空気と同じだ」と言って簡単にヘルメットは脱ぐは(あのー、未知のウィルスとか…..)ハードのお膳立てがどうしようもありませんね。
おまけに「人類はどこから来たのか?」と哲学的考察でもあるのかと思ったら、….あのエンジニア(創造者)とはアメリカで勢力を持つID(インテリジェント・デザイン)受けを狙ってかしら? ……どうせならツァラトゥストラぐらいの名前にすればいいのに!
太古に宇宙人が地球に訪れてDNAをまき散らした?それ何時?40億年前?…..A・C・クラークの「モノリス」の方が! 宇宙船の中も惑星も1G、冷凍冬眠や超光速飛行、それはオバカSFだから許せるとしても、宇宙船のプラスチック・コックピットのペラペラさ(宇宙船の形態はクリス・ロスの描くところのパクリ感がありますね)、ロボット(2にも登場しましたね。首が飛ぶのも二番煎じ?)がアシモフの三原則を破って「人命より会社の命令を最優先する」のも有りかな? 超推進エンジンがイオン?…もうマイナス・イオンのブームも去ったことだし、エイリアンの宇宙船が落ちながらのしかかってくるときに横に逃げたらいいのにネ。
生物兵器の開発?….あんな大きなものでは?ウィルスは極微だし無数に増えるから怖いのでしょう?イカのお化けもどこで栄養とって巨大化したのでしょう? 一番にツッコミたいのは老人の車椅子、撮影所近辺の病院から借りてきたの?…おいおい宇宙船の中は地球重力1Gで制御出来るんだろ? カッコいいデザインの反重力車椅子でも用意しろよ。
それで思い出した「2001年宇宙の旅」はいま見ても古びませんね。そしてタルコフスキーの「ソラリス」も。やはりしっかりした背景、コンセプト、哲学がなければ、どんな娯楽作品だってそれまでですね。CGや技術がいくら凄かっても「観るのは人間」だし、観客だって馬鹿ではありません。いくらエンターテインメントだと言っても内容を求めますよ。
監督のリドリー・スコットは「決闘者」を観て大好きになり「エイリアン」では最高に面白い!脱帽!だった。ギーガーの世界も超不気味だった!(早速、画集「ネクロノミコン」を買いました)そして「ブレードランナー」(1982)もなかなか。シド・ミードのデザインが秀逸(「画集センチネル」も最高ですね)!….映画で特に記憶しているのは増田喜噸みたいな親父が「二つで充分ですよ!」かな….。嗚呼、リドリー・スコット老いたり!映画産業とハリウッドの凋落、大きなシネコンのホールには僕を入れて観客はたったの二人!ポップコーンもコークも不味かった…..。
●「エイリアン」監督:リドリー・スコット(1979)大好きだ。「エイリアン2」(1986)監督:ジェームス・キャメロンまでは付合えた。でもプレデターと競演(2004)するとはお終いだ、堕落だ!
●「プレデター」(1987)監督:ジョン・マクティアナンは結構いけました。「プレデター2」は苦笑以下だった。「プレデターズ」(2010)監督:ニムロッド・アンソール…..もう合掌するしかないですね。
嗚呼、噫、ああ、エイリアンよ、プレデターよ、ターミネーターよ、堕落の道を歩む….お前もか!
12/ 13th, 2011 | Author: Ken |
痴の欺瞞。
苦いというか、一抹の羞恥心(電車の中じゃ広げられない)さえ感じる本を読んだ。それなら最初から読まなければいいじゃないか!と問われるが、そのタイトルの大袈裟さと科学を装った、いかにも科学啓蒙書か研究書の装いが手にさせたのだ。序文を読みながらヤバいナと感じたのだが、いったいどんな人物が書いているのか著者の思考と人間性を追求したくなり読み上げた。最初からヤオイやコンノケンイチ、あのアダムスキーなら笑い飛ばしトンデモ本としてシュールさを楽しめるのだが、なまじ教授様がマジ?に数百ページの大著となる「苦みを伴った痛み」すらあるのだ。
「見えない世界を科学する」著者:岸根 卓郎/出版社:彩流社
アッ、これ60〜70年代に流行ったニューエイジじゃないか!ところが2011年出版である。まず「波動」なる言葉が出現する。トンでも系、危ない系、カルト系、スピリチャル系が好む言葉である。この言葉だけで胡散臭いのである。お笑いなのである。この「波動」はハイゼンベルグの不確定性論やシュレディンガーの波動関数とは全然関係がない。彼らにとって便利な言葉で不可思議は全て波動なのだ。また「ゆえに」とか「要するに」という言葉が頻繁に登場するが全く論証がないのである。例えば物理学の次元である三次元+時間=四次元と言いながら、三次元=過去・現在・未来、四次元はあちらの世界である死の世界である!そのミンコフスキー空間風の図式さえある。アインシュタインの相対性理論や量子力学の解釈問題を言葉だけ頂いて勝手に使っているだけである。「右脳・左脳」「コペンハーゲン解釈」「パラダイム」….F・カプラやR・シェルドレイクの形態形成場仮説の孫引きを多用し、著者は真剣に論じている積もりなのだろうか?この程度の知力、科学理解力で科学を語れるのだろうか?本当に名誉教授なのだろうか?
まあ、船井幸雄の「100匹目の猿」(これも怪しげ学者ライアル・ワトソンからの孫引き)や自称科学ジャーナリストの喰代栄一のトンでも世界と同じである。そして後半は支離滅裂でなんでもありである。ハイポニカ農業や出ました「ホメオパシー」類型そのものである。「人類究極の謎」を最先端科学の量子論や形態共鳴論によって解き明かす。と大見得を切るが、そこには暗澹たる無知と思い込みの論理?たわごとの洪水である。彼らは一元論による東洋哲学や宗教との共有を主張するが、それは形而上学的な心の問題であり道徳や倫理、人生の教えであり、科学とは一切関係がないはずだ。
物理学者ジュレミー・バーンスタインは、量子力学は、けっして禅哲学にはなりえない。光子は、けっして人間の意識の動きを表示することはできない。相対性理論は、倫理学の相対主義とはなんの関係もない。と述べている。
「ダーウィニズム150年の偽装 」唯物論文化の崩壊と進行するID(インテリジェント・デザイン)科学革命 渡辺 久義/原田正・著/アートヴィレッジ
こちらの方は結構真面目でダーウィニズムの矛盾点や解釈に異論を唱えているのだが、著者たちの根底にある思想?思い込みから科学的客観性に色がついてしまうのだ。おなじみのニュートン、デカルト以来の還元主義、二元論批判から「宇宙の意思」「人間原理」最後には「絶対存在」「神?」に行き着くのだ。……何かおかしい?なぜだ?….なーんだ、この本の背景は統一教会だったのだ。(私の偏見なんだろうが、どうもね)
そうなると正反対の有名な唯物論者リチャード・ドーキンスに登場してもらわなければバランスがとれない。「利己的な遺伝子」「盲目の時計職人」「虹の解体」「悪魔に仕える牧師」「神は妄想である」「進化の存在証明」と過激ダーウィニストここにありだ。
今は亡きカール・セイガンによる「科学と悪霊」、彼は最後の著書として疑似科学に堕ちいる人間の迷妄さに警告を発しながら逝った。私も人生を迷ってばかりなのだが理知的に生きたいものだ。まあ、イワシの頭も信心からと「おまじない」も「迷信」も「ゲンをかつぐ」「血液型」「都市伝説」「陰謀論」も酒の上の楽しみ程度なら罪がなくて楽しいのだが….。
4/ 7th, 2011 | Author: Ken |
勇魚。
何十年かぶりに「白鯨」を読み直してみて、ジョン・ヒューストン、脚本レイ・ブラッドベリ、主演グレゴリー・ペックの「白鯨」(1956年)の印象が強く残っている自分を発見した。随分脚色してあるのだブラッドベリが。そのイメージで読んでしまうんですね。
どうしても映像の方が印象が強いのだ。原作ではエイハブが白鯨の背で手招きなんかしないのに…。日本でも「鯨神」(1962)年という映画があった。監督: 田中徳三、脚本: 新藤兼人、原作: 宇能 鴻一郎(あの「わたし…しちゃたんです」。のあの人ね)、主演は勝新、本郷功次郎、藤村志保、江波杏子だったっけね。それなりに面白かったよ。
過日米国東海岸を旅したことを思い出した。ボストン、ニューベッドフォード、ニューポート、ケープコッド、そしてナンタケット。またナンタケットレッドという錆びたような紅色の独特の赤色がある。褪せたキャンバス地のショーツなんかデッキでそれはもう素敵に映えるのだ!まるで鯨の血で染めたのか?と思ってしまう。
また日本の捕鯨に対して世界中がかまびすしい。シーシェパードの行動なんかテロリストに近いものがある。「鯨は賢い動物だから….」「じゃ、世界中で戦争して人間を殺しているじゃないか」。「環境保護の象徴」「それは分かる。でも…」。「かってアメリカこそ捕鯨王国だったし白鯨が描くのも鯨讃歌だ。そして日本に開国を迫ったのも捕鯨じゃないか。ペリーが黒船を率いてね」「時代が変わったのだよ。いまさら鯨を食べなくても…」「じゃ牛や豚ならいいのか….」論議は果てがない…。思い出すよ、敗戦後子どものころ飢えて飢えて…唯一のタンパク質が鯨だったのだ。南氷洋に出航する図南丸とキャチャーボートの活躍をニュース映画で見て心を踊らせたものだ。そして乾物屋の店先に真っ黒になった鯨肉があって、蠅取り紙が物憂に廻っていたっけ….。鯨食肉は文化だと声高に喋る人がいるが、尾身にしてもハリハリ鍋にしても、コロもオバケもいま食べてみると別段美味しいとも思わない。鯨は食べるものから愛でるものに変わってきたんだね。鯨はデカイ。大きいだけで人間は驚異と畏怖を感じる。戦艦大和、スカイツリー然りですね。
1/ 19th, 2011 | Author: Ken |
無惨やな
欧羅巴の街並には古めかしい彫刻やモニュメンが多い。その時代々の権力誇示だね。ギリシャ神話や英雄、偉人、軍人、聖人がこれでもかこれでもかと…。我が国にはかって道祖神やお地蔵さんはあったけれど、近代日本は公共物に彫刻、オブジェ、モニュメントの類いが多いのである。それがまた悪趣味というかお粗末というか街の景観と遊離しているのだ。…..金色の巨大ウンコとしか見えないのもあるね。まあ中心は豊満な女性のヌードである。
わが神戸には特に多いように思われる。セクハラだ!なんで女性なんだ?フェミニズム信奉者が文句をつけないのも疑問だね。本来日本の文化には白日のもとに裸体を愛でる習慣なんてありはしない。恐らく明治以降欧羅巴に追いつけとばかり模倣を繰り返したのだが、残念ながら欧羅巴文化にはギリシャ、ローマを源流とする肉体礼賛の美意識が二千年にわたってあった。それを東洋の島国がここ百年一生懸命形だけ真似したんだね。芸術だ!アートだ!文化だ!文句あっか!
お役人も審査官も美や芸術なんて分からないから、分かった振りして格好だけつけたんだね。市民の税金を使ってさ。ウーム、これは芸術だ!アートという言葉は魔法の言葉で何でも許されるのだ。…..だってアートなんだから。また偉い美術の先生は権威というお墨付きを得、小役人はお追従するしね。そんなこんなで町並みと全く釣り合わない裸体大会となったわけだ。
….大蔵山の公園でギョッとした。地上に堕ちたビーナスである。強風のせいか?酔漢の狼藉か?無惨にも頭をカチ割られ転がる自分の腕を見つめているのである。コーカソイド系の顔と身体で大和撫子とは違う種族である。それだけに乾いた悲みがある。
…..サルヴァドール・ダリはミロのヴィーナスの美はどこに埋まっているのだ?とヴィーナスに「抽き出し」をつけた….。これは美の真髄を見る良い機会だと頭部の中を覗いてみたのだが美なんてどこにもない空っぽである。恨めしそうに頭部の欠片と堕ちた腕を見つめる姿が何とも無惨で、嗚呼!無常と叫びたくなった。まあ、駄洒落の線でいくと「手の切れた女に用はない」というところか…。
そしてまたもやデザイン都市宣言である。行政やお役人がデザインなんて分かるの?またぞろ偉い先生と大手代理店が文化都市にはデザインが相応しいとか言ったんだろう。じゃまず公共出版物でもホームページでも綺麗にデザインしろよ。汚らしくも幼稚で媚びたゆるキャラ大会じゃないか!そういえばIDって知ってる。インテリジェント・デザインのこと。そう、この宇宙も地球も人間にあまりにも都合よく出来ている。それは超存在である「神」がデザインしたからだ。….と。進化論を否定する原理主義ですね。
芸術なんて歴史が時間が証明するものじゃないのかな。人を感動させるものは残るし時を経ても美しい。決して行政やマスコミや業者が札束で評価するもんじゃないし。難しいね…..そうだ!日本の場合は「お上」がゲージュツという崇高な?使命?の原理主義で…..。
10/ 21st, 2010 | Author: Ken |
時計じかけの兵士たち
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、人間に危害を与える危険を見過ごしてはならない。
第二条 ロボットは人間の命令に従わなくてはならない 。ただし第1条に反する場合はこの限りではない。
第三条 ロボットは第1条、第2条に反するおそれがない限り自分を守らなければならない。
これはあまりにも有名なアイザック・アシモフによるロボット3原則である。そしてロボットの名の由来はチェコスロヴァキアの作家カレル・チャペックの戯曲「R.U.R./ロッサム万能ロボット会社」1921年に始まる。 ところがだ、最近、人間に奉仕? するはずの機械が人殺しの道具となって現れてきた。「時計仕掛けの殺し屋」だ。いや、ちょっと待てよ。ギリシャ神話に始まり人造人間の歴史は人間以上の強力兵士を作る事に情熱をかけてきたのではないか?
投石機、銃砲、軍艦、戦車、飛行機、ミサイル、おまけに戦場ロボだ。そういえば洋の東西を問わず甲冑武者はロボットにそっくりだ。つまり装甲人間だ。秦の兵馬俑なんて人造人間兵士の夢だね。だが、ハイテクの恐ろしいほどの発達により21世紀に入ると形相がガラッと変わった。Robot War、Nintendo Warと呼ばれる現代の戦争はゲームと酷似してきた。
何しろアフガニスタンでは無人偵察攻撃機、プレデター(捕食者)やリーパー(刈り取り機、死神)が上空から監視攻撃する。これはなんと12,000kmも離れたアメリカ本土からコントロールしている。まさにTVゲームだ。ということは人を殺してもゲームと同じで心が痛むはずがない。喜々としてゲームを楽しむんじゃないか?地上でもロボット兵器が這い回り人間に替わり危険任務を遂行するのだ。宗教という原理主義にあまりにも忠実、神という抽象性を信じる人間、この精神主義的人間を駆り立てロボットに自爆テロで対抗する。これもテロリストを洗脳でロボット化しているのではないか。
日本だって偉そうには言えない。太平洋戦争末期には精神主義をお題目に「神風特攻隊」や人間爆弾「桜花」、人間魚雷「回天」、モーターボート爆雷「震洋」、人間機雷「伏龍」、人間地雷「肉薄攻撃・爆薬を担いで戦車のキャタピラに身を投げる」、他にも特攻兵器の数々….。こんな攻撃を命じた指揮官ほど非人間的存在はない。死ぬことが目的と化した作戦で何が国体護持なんだ。こんな記録を読む毎に見る毎に怒りで胸が痛む。
まあ。鉄人28号だって究極の兵器として戦争末期に研究・誕生した。とで始まる。…….ロボット。力強く愛らしく、友人としてのアシモフのロボットや鉄腕アトムというロボット、そんな話は夢でありセンチメンタリズムなんだろうか。「からくり儀右衛門」(田中 久重寛政11〜明治14、久重が創設した田中製造所は後年、東芝となる)のお茶汲み人形なんてそれはもう!…..と言いながら世の中、ロボットみたいな思考の人間が増えているとか。……ン!携帯依存症ネ、あれって携帯電話に人格依存しているようにも見えるがなー。
「ロボット兵士の戦争」 P・W・シンガー/日本放送出版協会。先日NHKでも放送されたハイテク兵器と軍産複合体をレポートする。
「日本ロボット戦争記-1939〜1945」井上晴樹/NTT出版。第二次大戦中の世界のロボット兵器をSF、技術、風俗、小説、漫画から
解説する。その克明に調査した資料たるや!海野十三と挿絵の伊藤幾久造、この「地球要塞」なんか挿絵の完成度が凄い。
そして詩人、佐藤春夫がVI兵器に寄せた詩「流星爆弾」なんて!〜我は世界の怨恨を先端に秘め….闘志と天意とを両翼として報復の舵機あり…
…携帯電話、PC、あまりにも当たり前のハイテク機械に埋まって自覚することもなく日々凡々と過ごす私。これでいいのかね?