1/ 11th, 2010 | Author: Ken |
寂寥と崇高と。
フリードリヒの絵の前では何を語ればよいのか…。荒涼、廃墟、静寂、薄明、黄昏、静謐、峻厳、茫漠、孤独、畏怖、崇高…。
こんな言葉をいくら書き連ねても意味はない。書は言を尽くさず、言は意を尽くさずだ。カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774〜1840)ドイツのロマン主義絵画を代表するとあるが、宗教的含意を含む風景画である。何なんだろうね、この不思議な世界に誘う絵は。
彼は「まず精神の目でタブローを見るために、きみの目を閉じるがよい」と言ったそうだが、精神の目によって眺められたヴィジョン、直観、印象を感覚的に表現した絵。それはフリードリヒ自身の人間を見ることなんだろう。
自画像は恐ろしいほど厳しい顔をしている。同時代の風景画家ターナーの色彩と較べるとフリードリヒには凍てつく凛々さが漂う。上は「海辺の修道士」下は「樫の森のなかの修道院」と「氷の海」。暗鬱な北欧の冬から生まれた眼なのだろうか。
12/ 27th, 2009 | Author: Ken |
マグリットに会いに行く。
姫路市立美術館、ここは素敵な美術展をするのでつい行ってしまう。お城の横の赤レンガの建物群は、かって陸軍の兵器庫・被服庫として建設されたもので、後に市役所として利用されていた。その姿が何とも美しい。なぜ素敵かというと「幻想美術」、特にルネ・マグリットやポールデルボー、レオン・スピルアールトなどベルギー・コレクションやユニークな企画を見せてくれるからだ。何年か前になるが「戦争と美術」というタイトルで日本画中心による戦争絵画展があった。何か日本画というと立体性に欠けた線描写で、デッサンもアンバランスな感を受けるが、なかなかどうして凄みさえ感じられた。なかでも横たわった兵士の顔が日の丸の旗で覆い隠されている絵なんかも、軍の要請で描かれたものの受取りを拒否されたという。その時代の空気を映しているというか絵画は結局、画家の真情なんですね。長野県上田にある「無言館」の戦没画学生のどの絵にも、決して巧みではないが溢れるような生の喜びや肉親への愛が感じられる…。
こんどジェームズ・アンソール展が開かれるそうだ。これも見逃すわけにはゆくまい。
12/ 27th, 2009 | Author: Ken |
怖い絵
返り血に染まった腕には異様なほど巨大な剣、足元には首を切断された巨人ゴリアテが横たわる。振り返る少年にはミケランジェロのダビデの雄々しさすらない。青白い微笑みは巨大な昆虫を退治した少年の酷薄さか?卓越した古典主義的技法で描くリヒャルト・ミュラーの世界は蠱惑的ですらある。カラヴァッジオもダビデを描いている。おのれカラヴァッジオの首を持つ少年には微かな嫌悪感の表情を見るのだが、これはカラヴァッジオ自身への破滅的マゾヒズムなのか?…..残虐なだけにますますお前は美しい。
12/ 26th, 2009 | Author: Ken |
寂しさの果てなむ国ぞ………。
この静謐で不安、そして孤独な畏れは彼の心象風景なのか。—–日没の最後の一照りにすべてが真っ赤に染まり、あまりにも静寂、あまりにも孤独に、声にならない声をあげるムンクの「叫び」に通じるものがある。
レオン・スピルアールト(1881〜1946)。
ブルージュの美術学校に通ったとあるが、といえばローデンバックの「死都ブルージュ」が思い起こされる。憂いと沈鬱、ぼんやりとした不安。昼と夜の狭間 … 逢魔時、かろうじて支える精神のバランス … 十月は黄昏の国か。
12/ 25th, 2009 | Author: Ken |
地獄の釜開き
うろ憶えだがたしか…さあさあ地獄の釜開き、そこからは白い馬、赤い馬、黒い馬、青ざめた馬が飛び出すであらう…。
とはマニエリスム美術を論じたグフタス・ルネ・ホッケ「迷宮としての世界」に捧げた三島由紀夫の言葉である。その本の表紙にはモンス・デジデリオの宮殿が飾られていた。残骸と悪夢のような描写は「死を想え(メメント・モリ)」か。ペストの惨禍、近代に変わりつつある時代の不安か。
Dies irae, dies illa, Solvet saeclum in favilla 彼の日こそ怒りの日なり、 世界を灰に帰せしめん。
ディエス イッレ ディエス イッラ その日は怒りの日。—–この絵はヒエロニムス・ボス、ブリューゲルの「死の勝利」に繋がるのではないか。恐ろしいが魅惑的である。
12/ 23rd, 2009 | Author: Ken |
崩壊と破局。
黄金に輝く列柱が音も無く崩れ去る一瞬、その下に蠢く人間の生と死のドラマ。破局と崩壊、幻想建築と世界の終末の画家、モンス・デジデリオ。
1600年前半バロック時代に咲いた妖しくも華麗な「狂気」である。過剰なまでの装飾性、不安定性、繊細で異端、幻視者(ヴィジョネール)の眼。その眼は虚無を見つめる地獄への誘いだ。しかし、モンス・デジデリオという人物はいない。それらの作品はフランソワ・ド・ノームとスリュイという二人の画家が描いたものだという。
上記は「偶像を破壊するユダ王国のアサ(聖堂の崩壊)」フィリップ・ウイリアム美術館・ケンブリッジ
12/ 23rd, 2009 | Author: Ken |
静寂。
風もそよともしない青漆黒の海、岩塊だけが夕陽の残照に一瞬の輝きを見せる。暗緑い空に向って密集した糸杉が立ち聳える。岩塊に刻まれた墓室、漕ぎ寄せる一艘の小舟、白布で身体を覆た人物が木乃伊のように立つ、櫂の音も水の滴りさえも聞こえぬ。時間は止まり、一切の静寂、ここは忘却の海か。死者の島か。
——アルノルト・ベックリーン(1827〜1901)「死の島」1880 彼は5点の「死の島」を描いた。現在ベルリンにある1点はかってヒットラーが所有していた。第4版は現在行方不明である。孤独とペシミズムが底流にあるとはいえ、画家には「生の島」という作品もある。憧憬と楽園的な明るい島は「死の島」と対極をなす。「死の島」凍てつくような孤独、暗鬱なメランコリーは都市の喧噪と憂鬱、輻輳する社会からの逃走なのか。時の止まった一切の静寂のなかに凍りついた永遠を見る。
12/ 22nd, 2009 | Author: Ken |
美はしきもの見し人は…。
美はしきもの見し人は、 はや死の手にぞわたされつ、
世のいそしみにかなはねば、 されど死を見てふるふべし 美はしきもの見し人は。
愛の痛みは果てもなし この世におもひをかなへんと
望むはひとり痴者ぞかし、美の矢にあたりしその人に愛の痛みは果てもなし。
げに泉のごとも涸れはてん、 ひと息毎に毒を吸ひ
ひと花毎に死を嗅がむ、 美はしきもの見し人は げに泉のごとも涸れはてん。
アウグスト・フォン・プラーテン 生田春月訳
透麗、たおやか、恥じらい、優雅、気品。ゼピュロス(西風)の息吹く微風の赴くままに、貝殻に乗った乙女がこの岸辺に流れ着いた。ヴィーナスの誕生だ。サンドロ・ボッティチェッリ1485年頃。この女性を初めて見たのは何時の頃だったのだろう。美術の教科書には必ず載っていたしAdobe Illustratorのアイコンで散々見て来た。いつのまにかCGの絵になり品性が損なわれたがCSになり消えてしまった。モデルは「麗しのシモネッタ」と讃えられたフィレンツェ一の美女、シモネッタ・ヴェスブッチ。二十三歳で夭折した彼女の病名は肺結核。焦点の曖昧な眼、微かに紅潮した頬、白い肌、これらは全て肺結核の症状を現していると言う。美人薄命とはこのことか!「何と青春は美しいか。しかし、それは逃げてしまう。歓ばんとするものは歓べ。明日のことはわからないのだから」ロレンツォ・デ・メディチ。輝くルネッサンスの栄光よ…ボッティチェッリの捧げし春の戴冠よ…。「草原の輝き、花の栄光、されどそは暁の露に似たり」「空の空、ああすべての空の空なるかな」ウァニタス(生のはかなさ)と…。
⚫️サンドロ・ボッティチェッリのウェヌスの誕生と春/アビ・ヴァールブルグ著 伊藤博明 監修 富松保文 訳 ありな書房クアトロチェント(15世紀)の芸術家たちに古代への「関心を抱かせた」ものが何であったかを明らかにする。
⚫️ヴィーナスを開く・裸体・夢・残酷/ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著 宮下志郎・森元康介 訳 白水社 帯にはフロイト、サド、バタイユを通じて、ボッティチェッリの名作「ヴィーナスの誕生」「ナスタージョ物語」を分析し、エロスの豊穣さに向けた解放と、タトナスの残酷さによる裂開へと導く。とあるが、まさにヴィーナスの解剖にまで至る。「メディチ家のヴィーナス」。クレメンテ・スジーニという蝋細工師が作った異常なほどリアルな蝋模型なのである。開かれた裸体、ヴィーナスの美しさの神秘はどこにあるのか。ダリはヴィーナスの彫像に引き出しを付けたが…。
⚫️春の戴冠/辻邦生(1977)花の聖母教会 – サンタ・マリア・デル・フィオーレ大堂、フィレチェの栄耀と没落、メディチと画家ボテッチェリ、パッツイ家、サヴォナローラの暗躍・・・滅びる故に美しい?
11/ 27th, 2009 | Author: Ken |
風雅の技法 … 洗練。
「嵯峨野名月記」辻邦生。琳派の能書家・本阿弥光悦、絵師・俵屋宗達、開版者・角倉素庵が作り上げた「嵯峨本」。
美を求め、美に掛けた男たちを描く。華麗に語られ歌われる優美と典雅の世界…。ちょうど隣の神戸市立博物館で東洋美術展が開かれていた。早速行ってみると嵯峨本(私は見たことがない)はないが、光悦と宗達の「鹿下絵和歌巻」を見ることができた。優美な宗達の絵に美しい光悦の書。
現代風に言うとレイアウト、タイポグラフィー、押さえた色彩がデザインされているのだ。その空間処理の見事さ。洗練の極地とはこういうことか!と分からぬまま感心した次第だ。これが戦国の荒々しい時代を生きた男たちの作とは…。ゆえに理想の美を作ろうとしたのではないだろうか。