7/ 25th, 2016 | Author: Ken |
長雨
The long rain
雨がつづいた。それは烈しい雨、ひっきりなしの雨、なまあたたかい湯気のたつ雨だった。
・・・それは小糠雨であり、土砂降りであり、噴水であり、目を打つ鞭であり、足首をさらう底流である。
あらゆる雨を水浸しにする雨、雨の記憶すら溺れさせる雨。
・・・それは人間の手を皺だらけの猿の手に変えてしまう。いつまでも降り止まぬ、固いガラスのような雨。
「長雨」レイ・ブラッドベリ/刺青の男(1951)
遭難した宇宙船の隊員が太陽ドームを求めて雨びたしのジャングルを彷徨する。一人、また一人と・・・
梅雨とはいえ鬱陶しい日々が続く・・・
6/ 18th, 2016 | Author: Ken |
12人の推理する男たち
DETECTIVE
古いミステリー傑作選を読んでいると、面白いコラムがあった。ニカラグア政府が1972年にインターポール(国際刑事警察機構)の50周年を記念して記念切手を出したのだ。シャーロック・ホームズに名誉が与えられたのは当然として、ニーロ・ウルフ、デュパン、ポアロなど不滅の名探偵たちだ。エラリー・クインもいるし、探偵じゃないけれどペリー・メイスンもいるんだ。これレイモンド・バーだよね。サム・スペードなんてH・ボガートそっくりだ。TVや映画に敬意をはらっているんですね。こんなの見ると嬉しくなってしまいますね。あなたは何人知っていますか?
●シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)1854年1月6日生:ワトスン博士、コナン・ドイルは出版代理人。
●ピーター・ウィムジイ卿( Lord Peter Death Bredon Wimsey ):ドロシー・L・セイヤーズ/ブロンド、灰色の目、典型的上流階級。
●ネロ・ウルフ(Nero Wolfe):レックス・スタウト/マンハッタンに住む巨漢・デブ、外出嫌い。美食家、料理人まで雇っている。
●ペリー・メイスン(Perry Mason) :E・S・ガードナー/彼は実の弁護士である。
●チャーリー・チャン (Charlie Chan):アール・デア・ビガーズ/ホノルル警察の名警部、小太り短躯、「東洋の英知」と呼ばれる。
●ブラウン神父(Father Brown):G・K・チェスタトン/丸顔で眼鏡、短躯で蝙蝠傘。英国サセックス教区のカトリック司祭。
●C・オーギュスト・デュパン(C. Auguste Dupin):E・A・ポー/世界初の探偵。後の探偵諸氏の人物像に大いなる影響を与えた。
●ジュール・フランソワ・アメデ・メグレ(Jules François Amédée Maigret):ジョルジュ・シムノン。メグレ警視として有名。
●フィリップ・マーロウ(Philip Marlowe):レイモンド・チャンドラー/ハードボイルド。ご存知「タフでなければ・・・」
●サム・スペード(Sam Spade):ダシール・ハメット:マルタの鷹で登場。金髪の悪魔的容姿。
●エルキュール・ポアロ(Hercule Poirot):アガサ・クリスティ/口髭をたくわえたキザ紳士、「灰色の脳細胞」が冴える。
●エラリー・クイーン(Ellery Queen):F・ダネイとM・B・リー/エラリー・クイーンは著者の名前だけでなく物語の探偵名でもある。
5/ 17th, 2016 | Author: Ken |
Hoaxes and Scams・世に騙の種は尽きまじ・・・
Hoaxes and Scams
世に騙の種は尽きまじ・・・まあ、ナノ銀やらEM菌、水素水、〜に効く、シワ取りや若返り・・・おい、あの深層水とマイナスイオンはどこに行ったのだ? 登場する人たちを見ていると、何か自虐性さえ感じるCM攻撃だ。ン、信じるものは救われる、「プラシーボ」は「スパシーボ」なんだ。でも、史上最大で大好きな話は1938年のラジオドラマ「宇宙戦争」だ。H.G.ウェルズ原作を同姓のオーソン・ウェルズがドキュメンタリー・タッチで。この人を食ったやり方には喝采である。何度も「これはドラマである」とクレジットを入れているのに、みんなパニックになるんですね。番組の最後に、彼はこう言った。「これは、大人のためのハロウィンです。今夜の教訓をお忘れなきよう。それではみなさん、おやすみなさい」なんて!O.ウェルズの「フェイク」って映画見て!ピカソやマチスの贋作が・・・いやいや映画こそフェイクなんだよ。そして、この本は面白いよ。「詐欺とペテンの大百科」Hoaxes and Scams/カール・シファキス:570p上下二段組み。厚さと重みにたじろぐが、面白の何の。・・・まあ、いるはいるは、そのユニークな奇行と発想が・・・ぼくなんて一発で騙されそうだ。
2/ 16th, 2016 | Author: Ken |
切り裂きジャック。
さほどのミステリーファンじゃないが、ミステリーの大半は殺人事件だ。その中でも「切り裂きジャック」は未だに犯人探しが続いている。人間の最大のタブーを破るからこそ興味が湧くのだろうか?
●「イギリス流殺人事件の愉しみかた」◎ルーシー・ワースリー著/中島俊郎+玉井史絵・訳を読んでいると、あれッ?これ知ってる。 1888年ロンドンの切り裂きジャック(Jack the Ripper)、シャーロック・ホームズ、ジキル博士とハイド氏、猟奇的殺人事件や処刑、そしてドロシー・セイヤーズ、アガサ・クリスティと・・・ヴィクトリア朝事件を中心の雑学大全である。面白いの何の!(東京行きに携帯してこの分厚い本が静岡の辺で読了した。それくらい!)まあ、130年も前の事件だから無理もないが・・・この間もDNA鑑定でこれが犯人だ!というニュースがあった。 同著者による前作「暮らしのイギリス史」も異色の文化史だ。尾籠な話だがロンドンでも屎尿を郊外の野菜畑に撒いていたんだって・・・江戸と同じだ。と、本棚をかき回したら。他にももっとあったはずなんだが・・・。
●「JACK THE RIPPER」コリン・ウィルソンはリッパロロジストとという言葉の名付け親だ。まあ、その集大成がこの本だ。
何と!BBCが1965年にシャーロック・ホームズこそ犯人だ。という番組を作ったんだって。見てみたいものだ。
●「現代殺人百科」コリン・ウィルソン。殺人者達の羅列。
●「切り裂きジャック」日本のリッパロロジスト第一人者が仁加克雄だ。
●「真相」パトリシア・コーンウェルのは最初から犯人を挙げて追求するのだが、検屍官ケイ・スカーペッタのように鋭い推理が無い。この本のために7億円もの私財を資料購入や調査に使ったというが。手紙にしても犯人の挑戦状か劇場型の野次馬かは判断できていない。
●「ZODIAC」1969年サンフランシスコを中心に起こった未解決事件。犯人が新聞社に暗号手紙や証拠物件を送りつけ挑戦する。それをクロニクルのカトゥーン(一コマ漫画)作家が追求する。ダーティー・ハリーはこの事件を下敷きにしている。また本に忠実なドキュメントタッチの映画もあった。
●「診断名サイコパス」サイコパスとは「共感や恐怖を含む感情をまったく経験できない人間である」。良心、自制心、他者との紐帯を作る能力がない。知能が高く、警察に挑戦状や手紙を送りつける例が多い。日本でも「宮崎・幼女誘拐殺人事件」や「酒鬼薔薇聖斗事件」などが典型である。トマス・ハリス原作の「羊たちの沈黙」はハンニバル・レクターや犯人を実在のサイコパスをモデルにしている。
実際のサイコパス事件は耳目を集めるが、戦争という「巨大な人殺し」に人々は殆ど無関心だ。
チャップリンの「殺人狂時代」では「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む」。奴隷廃止論者、ベイルビー・ポーテューズは「人を一人殺せば人殺しであるが、数千人殺せば英雄である」と。アイヒマンは「百人の死は悲劇だが百万人の死は統計だ」と。スターリンも同じ事を言っています。いままた、日本でも「戦争が出来る法案」など・・・。このいま、世界では容赦のない殺人が日々行われているのに。・・・人間とはナンなんだろう。
10/ 21st, 2015 | Author: Ken |
吠える男
時は1920年代後半…私はボストン児である。ヨーロッパを自転車で旅していた。ドイツ・モーゼル河畔で酷い熱を出し記憶を失った。
古い僧院の藁の上で気がつき、一人の修道僧が看病してくれていた。・・・奇妙な事に夜になるとどこからか泣き、吠え、喚く声が夜通し聞こえるのだ。修道僧は私には聞こえません。熱のためです。・・・ある夜、部屋を抜け出し吠え声の場所を探した。・・・窓から覗くと裸の男が泣きわめいていた。・・・後ろに総院長が立っていた。「その男は気が狂っているのです。悪魔なのです」。・・・私は鍵を盗み男を解放してやった。・・・私はボストンに帰り恰幅がつき穏やかな日々を送っていた。その頃から新聞に、ブラウナム・アム・イン生まれの男の記事が載るようになった。あの吠える男だ。・・・(ブラウナム・アム・イン=ヒトラーの出生地)
●叫ぶ男 ( The Howling Man )チャールズ・ボーモント著/小笠原 豊樹・訳「夜の旅その他の旅」(異色作家短編集)早川書房 1961
もう何十年も前に読んだのだが、また本箱をかき回してみた。上手い!何と言う技の冴えだ。「奇妙な味」の技巧小説である。ボーモントはレイ・ブラッベリに師事し38歳の若さの1967年に若年性アルツハイマーでこの世を去った。同じく「隣人たち」の意表を突くサスペンス。これは「侵入者」という映画になり本人も出演している。・・・こんな短編を読むとほとほと感心しますね。
●「誕生と破局」ロアルド・ダール著/開高健・訳「キスキス」(異色作家短編集)早川書房
オーストリーの辺境の街で一人の男の児が産まれた。母親はいままで三人の子を幼くして亡くしていた。「先生、助かりますよね・・・どうか生かせてください」「大丈夫ですよ丈夫に育ちますよ。ところでお名前は何と?」「アドルフですわ、きっと育ちますよね」。
実話を元にしているとはいうが、この話作りの技巧といったら!怜悧で皮肉でユーモアと辛辣と、残酷で読者をいたぶるエンターテインメントと・・・
10/ 19th, 2015 | Author: Ken |
The Maiden 乙女
彼女は比類なく美しかった。彼の眼にうつるのは彼女一人。彼は一時を惜しんで見つめ、恋いこがれた。すらりと高く、麗しく、彼女は立っていた。 ・・・彼女は自分の前に身を投げ出す男たちを、ひとり残らず、サディストらしい彼女のやり方で愛したのだ。 ・・・そして今、彼は彼女の方に疲れ切った頭をのせた。そして空を見上げ、恋する男の眼で彼女の顔の長い線に見入った。 ・・・そして二人 ・・・一枚の刃で結ばれた彼と彼女は深紅のオーガニズムにひたりながら、星の消え行く空の下に横たわっていた。
「乙女」レイ・ブラッドベリ・・・1ページにも満たないほどの短編だがその耽美、残酷美、プロット、リズムも冴え、奇妙な味の余韻がある。
ギロチンについてもっと知りたいのなら以下の本がお薦めです。
■「ギロチン―死と革命のフォークロア」 ダニエル ジェルールド著/金沢 智・訳/青土社
この恐るべき装置はフランス革命が生んだ。アンシャンレジームの矛盾を人道主義に基づいてと、発明された機械、ギロチン。ギヨタン博士は不名誉な名として歴史に残った。しかし先行する機械はあったのだ。「スコットランドの娘」「マンナイヤ」と呼ばれていた。あの父親殺しの悲劇の乙女ベアトリーチェ・チェンチも1599年に9月11日に執行された。・・・ギロチン、その血にまみれた誕生から廃止までの歴史、作家や芸術家たち与えた衝撃と大衆の受け止め方、恐怖の文化史だ。
■「死刑執行人サンソン」安達正勝・著/集英社新書
代々にわたってパリの死刑執行人を務めたサンソン家四代目の当主シャルル=アンリ。信心深く、国王、王妃を崇敬し敬愛していた。そして他ならぬその国王と王妃を処刑したことによって歴史に名を留める。それはフランス革命の裏面史だ。
■「ある首斬り役人の日記」フランツ・シュミット著/藤代 幸一 訳 白水Uブックス
ドイツ、ニュルンベルクの死刑執行人フランツ親方の日記。1573年から1617年までの刑罰の記録。
刑の執行月日、罪人の名前、その出身地、罪状、執行された刑罰が淡々と記述されている。(余談だがガストン・ルルーの短編「金の斧」は秀作である)。
■「パリの断頭台」バーバレ・レヴィ著/喜多迅鷹・元子/訳 文化放送開発センター出版部
フランスの死刑執行人・サンソン家の7代にわたるドキュメンタリー。
■「斬」綱淵謙譲 文春文庫
首切り浅右衛門として異名を馳せた男の歴史小説。七代に亘る一族の歴史と最後の首切り人吉亮を描く。その元ネタになったのが「山田朝右衛門の回想」報知新聞1908年。明治十三年に制定された刑法で「死刑ハ絞首ス」と定められた。浅右衛門吉亮の「斬」は使命を終えた。明治四十四年没。享年五十八歳。技に長け、大久保利通暗殺犯島田市朗らや、高橋お伝、雲井竜雄、夜おきぬ等を処刑した。その時、涅槃経の四句を心中に唱え、人先指を柄にかけるとき「諸行無常」、中指を下ろすとき「是生滅法」、薬名指を下ろすときに「生滅滅已」、小指を下ろすが迅いか「寂滅為楽ッ」という途端に首は前に堕ちるんです。と語る。
10/ 3rd, 2015 | Author: Ken |
The Lake みずうみ
波がぼくを、この世から、空飛ぶ鳥から、砂浜に遊ぶ子供たちから、岸辺に立つ僕の母から切り離した。・・・
・・・それは9月。夏の終わり。理由もなく悲しみが湧き上がってくる時期だった。
あの夏、湖で遊んだ初恋の少女タリィ、タリィの遺体は見つからなかった。「タリィ!戻っておいで、タリィ!」
ぼくは二人でしたように城をつくった。「タリィ、ぼくの声が聞こえたら、お城の半分を作るんだよ」。
それから10年が過ぎた。ぼくはハニムーンでこのみずうみに来た。その旅行も終わりに近づいた日、救命員が灰色の袋を抱いて
ボートからおりたった。「こんなおかしなことははじめてだ、死んでから十年にもなる」。
私は一人きりで渚を歩いていた。その水際に半分完成しただけの城が・・・。湖からちいさな足跡が・・・。
「残りはぼくが作ってあげるよ」。・・・私は砂浜にあがった。そこには・・・
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」/ウィアードテールズ誌1944:5 ”Dark Carnival”
彼の作品のなかでもいちばんに好きな一遍だ。何回読んだだろうか。初めては’60年代のMens’ Club誌だったと思う。
9/ 4th, 2014 | Author: Ken |
記憶術と書物
最近、ど忘れが多い。特に人名だ。何かをしながら、フト人名や物名が瞬時に出て来ないのだ。他のことを考えたりしていると簡単に思いだす。 …..そろそろ始まったのか?子どもの頃は一回聞くと忘れなかった。…..あの頃は情報が極端に少なくインプットも僅かでよかった。本当のところは大半は忘れているのに本人が覚えていることだけを憶えているから、良かったと過去形で思うのだろう。人は記憶するために記号や文字を発明した。つまり外部記憶だ。グーテンベルク以来、急激に情報量が増し、写真、ラジオ、TV、PC、インターネットと凄まじい勢いだ。それもここ20年ほどのことだ。まあ、99%はゴミみたいなものだし、憶える必要なんて更々ないのだが…..。
中世には記憶術が重要でトマス・アクイナスは抜群の記憶力で何人をも相手に同時に口述筆記をさせたという。12世紀のサン・ビクトールのフーゴーは「学んだことを記憶に留めない限り、何かを本当に学んだ、あるいは英知を養ったということにはならない。教育の高揚は、教えられたことを記憶するという、ただその一点にある」と言っている。記憶と想起によって人格が生まれるのだ。それらの記憶術はグリッドに順番に納めたり、暗喩や図像で記憶していく方法である。例えばノアの箱舟を想像し、細かく分けた部屋々に整理していく方法である(ハンニバル・レクターは「記憶の宮殿」を作り、各部屋に細部にわたる記憶を貯蔵するやり方だ)。あの人は「引き出しが多い」というのと一緒である。
しかし、世間で言う、記憶術、速読術というのはほとんどが眉唾だ。「サヴァン症候群」の特別な人は別として、変なコンサルが偉そうに言うが顔みりゃどんな程度か分かる。彼のビジネスなんだ、商売なんだ。こんなモノ知らない若造が何を抜かすか!聞く方も聞くほうだが。速読術なんかも、そりゃハウツー本なんて1~2時間で数冊 … いや目次を見ただけで程度が分かるサ。ほら、新聞の週刊誌広告ね。数分で全部読んだ気になるもの。あの程度なんだヨ。確かに年号や記号を言葉に置き換えるのは誰にも憶えがある。「スイヘイリーベボクノフネ」や「鉄砲伝来銃後良さ・1543」なんて憶えたものだ。しかし、その前後関係や背景、概念を知らなければ憶えたことにはならないのだ。メンデレーエフの元素周期表による各元素の名前だけ覚えたって、それについての性質や様々な知識があって始めて意味を持つ。
こんな本がある「元素をめぐる美と驚き」H.O.ウィリアムズ・早川書房 / エピソードに満ち満ちてほんとうに面白い。生きた化学史だ。いまはWikipediaやNet検索したら何でもあるから、憶える必要なんてない!そんなことを言う人がいるが、僕はこんな人とは口も聞きたくない。それは情報としての記号であって、単なる情報を身体の中に入れて培養・発酵させて、整理・理論し、はじめて統合された情報になるのだ。ぼくの場合、記憶は映像と結びついている。文章や言葉に触れると想像の中の映像が浮ぶ。またカラオケなんかのバックが流れると数十年間忘れていた歌詞が浮び、歌えるのも不思議だ。記憶って何なんでしょうかね。
最近「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」と呼ばれる脳活動が注目されている。複数の脳領域で構成されるネットワークで何もせずボンヤリしている時にも脳は活動を営んでいたのだ。この脳の「基底状態」とも言える活動に費やされているエネルギーは、意識的な反応に使われる脳エネルギーの20倍にも達するという。さらに興味深いことに,DMNの異常がアルツハイマー病やうつ病などの神経疾患とも関係するらしい。アルツハイマー病患者で顕著な萎縮が見られる脳領域は、DMNを構成する主要な脳領域とほとんど重なっているそうだ。安静時の脳活動を研究することによって、意識や神経疾患の新たな手がかりが得られるかもしれない。脳は1200~1500cc、体重の2%ほどで、血液の循環量は心拍出量の15%、酸素の消費量は全身の20%、酸素グルコース(ブドウ糖)の消費量は全身の25%と、いずれも質量に対して非常に多い。その内、考え事をしているのに使うのは5%ほどで、後は脳細胞のメンテナンスやDMNに使われているんだって。「下手な考え休むに似たり」というけれど、実はDMNに使っているんだ!「記憶という書物、そもそも心の中の書物に書き込むこと、記憶は知識の中核をなしその根本、鍛え上げられた記憶の中にこそ、人格や判断力、市民性、信仰が築かれる」。
「知識を獲得する際には、必ず感覚に訴えるものから始まり、心の働きによって鋭い感覚によってでも捕らえられない高次なものへと進む」–ヨハネス・ケプラー。
●「記憶術と書物」メアリー・カラザース/別宮貞徳/監訳(工作舎・1997年)古代ギリシア・ローマ以来の記憶モデルの変遷、中世に開発された記憶術の数々、そして記憶のために書物の映像化の工夫等々。分厚くて重い研究書だが、面白かった。
7/ 16th, 2014 | Author: Ken |
読了半世紀 …「月長石」。
嗚呼、疲れた。読み上げるのに半世紀もかかってしまった。今は昔、ミステリーなんぞに興味がわき読み始めたころ、名作解説書には必ず登場する名があった。ウィリアム・ウィルキー・コリンズ(William Wilkie Collins)の「月長石・The Moonstone」だ。T・S・エリオットが「最初の、最長の、最上の探偵小説にして最大にして最良の推理小説」と称え、ドロシー・L・セイヤーズが「史上屈指の探偵小説」と呼んだ。「クラシックで本格」というやつを、いつか読んでやろうと思ったのだが、ハードボイルドや短編ミステリー、SFもあり怪奇もの、冒険ものと面白そうなのが一杯あって、どうも手が着けられなかった。時は移り・・・・・友人のミステリー研究家で古書店の店主と話していると絶賛するではないか!「最後の200ページは残りページを惜しむくらい面白い!」。そうか、じゃ、東京に行くから車中で読んでみるか。創元推理文庫:中村能三/訳 その779頁というボリュームに威圧感を覚えながらページをひも解いた。やはり時代なんですね。少々かったるい。
それまでかってな想像で「印度の因習と呪いが込められた月長石を奪い合い….、そう「マルタの鷹」や丹下左膳の「こけ猿の壷」みたいに波瀾万丈の話と思いきや、静かなものなのである。1850年代のヴィクトリアン華やかなりし頃の上流階級のお話で、語りがすこぶる長い。疲れたら弁当を食べたりビールを飲んだり、他の本を読んだりしながら往復で読み上げた。やはり時代なんだ。アヘンチンキを飲んで再現したり、何派か知らないが教会主義者が出てきたり(S・ホームズのカーファックス姫の失踪にもありますね。また、どうも好きになれないねノブレス・オブリージュなんていう偽善が…、今でも時々いますよね。マジに戦争で将校の方が兵より死傷者が多かったなんて言う人が)、英帝国主義真っ盛りで世界中の植民地から富を搔っ攫ってきたバブル時代なんだ。日本では明治の中頃で列強を真似して敗戦へと続く…。
まあ、それなりに面白かった。特別のトリックがあるじゃなし、見事な推理があるじゃなし、読み終わって膝を叩く痛快感もないけれど、(少し前の時代には、SF、怪奇、ミステリー、推理、探偵、暗号、すべての大海である、あのE・A・ポーがいたのにね)・・・
名作というのはこんなもんなんだろうか。とにかく半世紀もかかって読み上げた。
5/ 30th, 2014 | Author: Ken |
胡乱な話。
最近NHKで「超常現象」や「超心理学」の番組が目に付く。エンターティンメントしては面白いが、真面目に取り上げるほどのテーマなのだろうか。一応、科学を装ってはいるが限りなく「疑似」に属するものだ。SFとしての「超常現象」や「超心理学」はイマジネーションを刺激するし、その不可思議で奇妙な感覚に浸りたいために映像、映画、小説、研究書などをむさぼるのだが…..。現実に返ってみれば「あったらいいな」それくらいで「馬鹿らしいこと」この上ない。胡乱なのである。限りなく疑似科学である。ただ人間は心理の複合体であり「信じる」「信じない」が同居し曖昧模糊としたものだ。DNAか?生い立ち、環境か?様々な要因はあろうが「神」「心霊」「魂」「スピリチャル」… 否定はしてみてもどこかにアプリオリな畏怖や文化としての存在を感じずにはいられない自分がある。
人間とは厄介なものだ…。「超心理学」を信じる人は多いし、もしかしたら人間は本能としてそのように出来ているのかも知れない。それら「超常現象」を否定するものは少数派である。コミュニケーションのために顔では笑っているが内心は腹立たしいのである。そりゃあればどんなに!だから片っ端からそれ系の本を読んでみたのだが、読むほどに阿呆らしい。
真面目な本はないのかと探した。その昔の福来友吉博士の御船千鶴子事件を始め、宮城 音弥の「神秘の世界 超心理学入門」 岩波新書( 1961)これも心理学という「夢」「精神分析」などという「疑似科学」に近いものであった。そして、大槻義彦、茂木健一郎といったタレントによる著作は軽いを通り越して安っぽいことこの上ない。そう、それは科学者を装った芸人である。あの、コリン・ウィルソンも膨大な著作の背景には「そうあればという期待値」が高すぎる。ブライアン・ジョゼフソン「科学は心霊現象をいかにとらえるか」も、ノーベル賞科学者だって「生」「性」「人間関係」「怒り」「悲しみ」などの俗っぽいことに心を悩ますし、敬虔な宗教信者だって沢山いるのだ。それこそが人間であって矛盾の固まりなのだ。米ソ冷戦の時代には「スターゲート計画」という超能力諜報研究を米軍が行っていたという。何たるナンセンス!78年には「フューリー」なんてスターゲート計画に題材を取った映画もあった。そこで新型ソ連原潜を言い当てたと主張するジョー・マクモニーグルのリモート・ビューイング(遠隔透視)があるなら最近の「マレーシア航空の行方不明事件」なぞ一撃のはずなのに……。また、サイコロや○×☆などのゼナーカードを使い、統計学によって、それが起こる確率は何十万分の1だから、ある!と言われても、宝くじに当たる人も、隕石に当たった人だっているのだ。あなたの素である受精卵だって。そう、それも偶然の一部でしかない。
「超心理学」の著者、石川幹人氏は「科学的に説明できないものは信用しない」という態度は残念だ。「信用しない」という信念自体が非科学的だからだ。と主張するが、本を読むと「あるという期待」が文章の隅々に表れている。そこで、「利己的な遺伝子」ドーキンス博士にご登場願おう。彼は言う「無神論者は誇りを持つべきだ、卑屈になる必要はない、なぜなら無神論は健全で独立した精神の証拠だからだ」無神論を無超能力という言葉に置き換えてみればいい。世の中には「水の記憶」「水にありがとう」「ホメオパシー」「ヒーリング」「水子霊」「自己啓発」「EM菌」「波動」などといった言葉が蔓延している。また、それを信じて実践している人も多い。一体、人間とは知恵を持ったが故に「幸せと不幸」を背負った存在になってしまったのか。これって原罪なのだろうか?