5/ 5th, 2014 | Author: Ken |
Bit from It? It from Bit ?…… 何か味気ないネ。
Bit from It とは物理学者ジョン・ホイーラーが「宇宙のあらゆるものは情報であり、その情報(bit)を観測することによって存在(it)が生まれる」と言った。確かに人間は五感を通じてしか情報を得られないから、「存在の全ては情報であると」….。
そんな難しいことを言いたいんじゃなくて、It from Bitの時代になってしまったんだ!という一抹の寂しさを感じる話だ。そう、手触りあるアナログから無味乾燥したデータというデジタルになってしまったのだ。僕はデザインの仕事を半世紀も続けているが、ン、90年代の初めにAppleの Macを使い始めてから、毎日キーボードとマウスの生活だ。三角定規もデバイダーも鉛筆も筆も何もかもデジタルになってしまって味気ないことこの上ない。
かってLPジャケットにはズッシリとした手応えと1フィート角のデザインがあった。そのデザインに憧れて無理をして高価なレコードを買ったものだ。それが、テープになり、CDになり、ネット配信になった。簡単すぎて….。カメラもデジカメになって、撮影は簡単だし(実はモデル撮影でも置影でも構想と準備や設定が大変なのだ。これで質が極まるのだが…)画像合成や修正も簡単(腕があれば)だ。デジタルというBITになって簡単だけれどもイージーになってしまった。つまり、お手軽なんだ。だから品質もギャラもね。本だって雑誌だってそうだ。あの若く貧しき時代に、古本屋で手にとった「洋書」(古いネ)の艶やかでダイナミックで新鮮で!レイアウトもイラストレーションも写真も!ジョージ・ロイスもハーブ・ルバーリンも、ボブ・ピークのイラストも。本だって「電子書籍」だ。僕はモニターで見ても読んでも、消した瞬間に何も記憶に残らないのだ。
つまり「読む」のではなく「見る」んですね。映画もわざわざ映画館に行かなくった。昔はTVで見たい放送があると急いで帰ったものだ。…..ビデオからDVDになり、HDになり、またはYou Tubeでお手軽だ。あの年に数十本見た映画少年も今やほとんど行かなくなった。…また、たまに行っても詰まらん映画で失望ばかりだ。….僕も古いのかね?もう歳なのかね?….やはり人間は感じてこそ印象となるのだ。もう人間サイズで実感できるものと言ったら「食べ物」くらいしかないのだろう。第一、罪がないしね。だからFBやBlogなんかで食べ物ばかりの記事になるのだろう。…..僕は通勤電車は書斎だと思っている。本を読む楽しみとは「知らないことを知る」こともあるけれど、読むという行為は頭のなかで声を出さずに「想像と映像を見ている」んですね。つまり「イメージ」という実態の無いものが見えるのだ。イメージとは脳の記憶と連鎖と思考が、あるかごときItを作り出し、それをまた絵や文章でアウトプットすることなのだろう。でも、「モノ」という「アナログのIt」から「デジタルというBit」に流れるのは時代の必然だ。…でも何か寂しいですね。
と、言いながら、この画像もPCのデジタルだからこそ出来るのだが…..。でも、見る人は人間というアナログ存在と感情なんだから。
3/ 21st, 2014 | Author: Ken |
「U-ボート」…紙とフィルムの上の戦争。
「これは小説だが、フィクションではない。ここに語られる事件を、著者は身をもって体験している」
これは「Uボート」ロータル=ギュンター・ブーフハイム著(松谷健二 : 訳/早川書房:1977)に捧げられた賛辞だが、まさにこの本には、汗と油と垢と悪臭にまみれた艦内、その密閉された潜水艦内の狭隘な空間のなかで、閉塞感と疲弊感を、わざと卑猥で下卑た軽口で息苦しさを誤魔化す乗員たち。敵駆逐艦に制圧され、爆雷の轟音と圧壊の恐怖という極限状況の中での苦闘が皮膚感覚でリアルに伝わってくる。そして戦争という虚無感を声高に押し付けるものもない。就航1150隻のUボート、779隻沈没、2隻拿捕、Uボート兵員3万9000人のうち2万8000人が帰らなかった….。その原作を忠実に再現した「Uボート」監督:ウォルフガング・ペーターゼン(1982西ドイツ)深海でのたうつ潜水艦の緊迫した乗員の心理状態までもが息苦しいほどに迫ってくる。…
敗戦国の映画には悲壮感と虚無感があるのだが、戦勝国のハリウッド映画にはアクションとフィクションとエンターテインメントしか伝わってこない。勝てば官軍、正義の戦争?には反省や痛みが伴わないのだ。
そして我が国の「真夏のオリオン」監督:篠原哲雄(2009)もう潜水艦や旧海軍のことを、全然勉強していない人たちが脚本、演技している。状況設定や軍事技術・時代背景の描写を想像すらしなくて作るからこうなるのだ。嗚呼!戦後は遠くなりにけり。戦争を知らない世代、いや調べようともしない人たちなのだろう。安っぽいセンチメンタルである。….まあ、潜水艦という過酷な環境でありながら、乗員の顔や服が汚れていない。……大声で怒鳴るのが演技と勘違いしている。潜水艦用語の独特の符丁と復唱さえやらないのだから。原作「雷撃深度一九・五」池上司/読みかけて途中で投げ出した。まず、雷撃深度一九・五って何?戦艦でも喫水10m前後なのに…潜望鏡深度だってそれ以下だし…? 「眼下の敵」(1958)監督:ディック・パウエル、出演:ロバート・ミッチャム、クルト・ユルゲンスのパクリである。….いつの頃からか映画が佳境に入るとフォークソング調のJPOPなんか流れて….見ているこちらが暗闇のなかで赤面し、恥ずかしくなって席を立ち映画館を逃げ出すのだ。日本映画ってどうしようもないですね。またYOU TUBEなんかでも実録映像に安っぽいポップスが、いかにも悲劇性と哀しみを掻き立てようと….この神経って何なんだろうか?
そこで今までに読んだ本や映画を思い出した。
●「U-ボート戦記:デーニッツと灰色狼」ヴォルフガング・フランク著(松谷健二:訳/フジ出版社:1975)Uボート部隊の栄光と悲劇、ドイツ海軍提督デーニッツとの物語。Uボート全史と言える。
●「鉄の棺」ヘルベルト・A・ヴェルナー著:フジ出版(1974)
●「U-ボート977」艦長であったハインツ・シェッファー著(1950)
●「U-ボート・コマンダー」ペーター・クレーマー著
その他多くのムック版やU-ボートの本があるが、ST-52による全溶接建艦の話やXXI型やワルタータービンの話など切りがない。
●「轟沈 印度洋潜水艦作戦記録」日映(1944)インド洋で通商破壊戦にあたった日本の潜水艦に、海軍の報道班が乗り組んで、作戦の様子を取材したものだ。と言うが、恐らく内地に帰還する潜水艦で撮影したものか?
●「海底戦記 伏字復刻版」(中公文庫)の山岡荘八/著と同じ頃か?
●「海底十一万浬」稲葉通宗(朝日ソノラマ)
●「伊58潜帰投せり」橋本 以行(学習研究社)回天作戦中、重巡インディアナポリス撃沈。
●「あゝ伊号潜水艦」板倉光馬(光人社NF文庫)ご子息に何度かお会いしたことがある。
●「消えた潜水艦イ52」佐藤仁志:(日本放送出版協会)その最後と沈艦を探すドキュメンタリーをNHKで見たことがある。
●「深海からの声 Uボート234号と友永英夫海軍技術中佐」富永孝子(新評論)
●「鉄の棺」斉藤實(光人社NF文庫)
●「伊号潜水艦訪欧記 ヨーロッパへの苦難の航海」伊呂波会 編(光人社)
●「深海の使者」吉村昭(文藝春秋)この本で初めて遣独潜水艦のことを知った。
●「潜水艦伊16号通信兵の日誌」石川幸太郎:草思社….運命の魔の手が迎えに来るその日までこれにて….ハワイ海戦以来の陣中日誌、一冊目を終る。読み返す気もない。幾度か決死行の中にありて、気の向いたときに書き綴ったもの。そしてわれ死なばもろともにこの世から没する運命にある。しかし、第二冊目を書き続けてゆかねばならない。運命の魔の手が、太平洋の海底に迎えに来るその日まで。…淡々と描かれたハワイ真珠湾攻撃、マダガスカル島攻撃、インド洋通商破壊作戦、南太平洋ソロモン海戦に参戦。19年5月19日、ソロモン諸島北西海面で伊一六潜と運命を共にした。
…….もちろん私は戦争は知らない。しかし父や兄の時代は戦争そのものが日常であり、ほんの昨日のことであったのだ。
9/ 12th, 2013 | Author: Ken |
華氏451度
火の色は愉しかった。ものが燃えつき、黒い色に変わっていくのを見るのは、格別の愉しみだった。……. 何十年ぶりに何度目かの「華氏451度」を読んでみた。時代が何か画一化され、ネットだスマホだゲームだ。「風立ちぬ」だ、「倍返しだ!」「あまちゃん」だ「東京オリンピック」だ…..。先日も「花は咲く」が流れ始めたのでTVを消すと、愚息が「オヤジ、人前ではせん方がええで」と抜かしやがった。電車の中で小難しそうな本を開いたり、ぼくはこんな本を読んでいますとは言い出せない。だからブログで吐き出しているんだ。別に「花は咲く」が悪いんじゃない。そのお手軽さと、”いかにも”が気持ち悪いんだ。ほら、”音楽エイドとか ”愛は地球を救う”なんて…..言葉だけでご勘弁をと言いたくなる。それを毛嫌いする奴は反社会人だ!のイメージ。………ぼくだって「阪神淡路大震災」で相当な….。大阪市長「中年H」の言動、「ヘイトスピーチ」の醜悪さ、嗚呼!「腹立ちぬ、いざ怒りめやも」だ。
本を持っても読んでもいけない社会。国旗や国家を強要する社会。権力が威張る社会。「自分」という眼を閉じる社会….。華氏451度(摂氏233度)は紙の燃えはじめる温度である。本書は、Fahrenheit 451(1953)はレイ・ブラッドヴェリのベストスリーに入るのではないだろうか。当時のアメリカに吹き荒れていたマッカーシズム、赤狩り、その忌まわしさと恐怖が書かせたのだろう。
「禁書」権力が有害と見做した書籍、いや、国民に知恵と理性による疑問を持たせないために政府が仕組んだ陰謀である。かって歴史には度々行われ、特にナチによる1933年の映像は有名である。これは記録フィルムで見ることはできるが「インディ・ジョーンズ」でもこのシーンを再現していた。火炎の持つ異様な興奮と高揚、ぼくもあの場にいたら思わずジーク・ハイル!と言ったかも………。
小説ではサラマンダー(火蜥蜴)のシンボルを戴く焚書官(ファイアーマン・fireman)である。蔵書や読書が反社会的であり、焚書官は本を火焔放射器で焼き尽くすのが任務だ。密告が奨励される相互監視社会である。家庭で人々は3DTVを彷彿させる映像に浸り「家族」と呼ばれる番組が主婦を虜にしている(あの….流ドラマを思い出しますね)。耳には海の貝と呼ばれるイヤホーンを四六時中差し込んで….。権力者は国民が馬鹿であるほど好都合なのだ。知らず、聞かず、語らず、考えず、自由を求めず、与えられたものだけで満足する愚民こそが必要なのだ。ディストピア(反ユートピア)の近未来を描いている。権力者が作った虚妄の番組で、思考停止にさせ、 戦争という危機を煽る社会なのだ。かって、ハックスリーの「素晴らしき新世界」があった。オーウェルの「1984」があった。日本でも現実として治安維持法があり思想的書物を持つ人たちを特高や憲兵が残酷に取り締まった。戦争中には「大本営発表」という捏造で人々を煽りながら、書
物による個人の直感、洞察力、認識力の高まりを抑えたのだ。非国民!と叫んでね。
そうそう、TVが始まった頃に「一億総白痴化」という言葉が流行りましたね。いまならネットで「七十億総白痴化」か!…..使い方次第だと思うけど。北朝鮮や中国ではネットを規制しているけれど….。「私たちにはキングもエンペラーもいらない。…..緩やかなアクセスと動いているコードがあるだけだ」。
「書物」とは知的財産なのだ。活字(いまはフォントといいますね)を文法というルールに従って並べれば文章というものになり、そこには想像力という映像(クオリア)を見る。なぜ記号の羅列から「喜び、好奇心、泣く、笑う、同情、怒り」などという情動が喚起されるのだろう(ぼくは古いのかモニターで見ても頭に残らない。消した瞬間に大半は忘れる。想像や感情が湧かないのだ。なぜなのだろう?)。「数学」は物理現象を記号で書き表し、「音楽」は楽譜という記号から美と快感と情動が起こり、「映像」は視覚記録と幻影を作りだした。いまや、すべてはビットという単位で作られ、データという電子で構成されている。
このウェブ時代に入りPCや携帯電話もたかがここ十数年のことなのだ。スマートフォンは携帯PCだし、どこまで行くのだろう。面白いことに、かって勤勉のシンボルであった二宮金次郎の銅像ね。背には薪を背負い、寸暇を惜しんで読書している。〜手本は二宮金次郎〜だ。でも街を歩いたらバックパックを背負いスマホを見ながら歩く人々が多い。あれっ?二宮金次郎と同じ格好だ。
9/ 3rd, 2013 | Author: Ken |
「種の起源」とダーウィン。
人類の知性が著した革新的思想の本といえば、古代ギリシャから現代まで無数にあるが、その中でもパラダイムシフトを起こした本といえば、ニュートンの「プリンキピア」、ダーウィンの「種の起源」、アインシュタインの「相対性理論」だろう。・・・は間違っていた!という本をたくさん見かけるが(コンノケンイチさんなんて凄いですね。そのトンデモ度合に嬉しくなります)特に多いのが「アインシュタインは間違っていた」が多い。物理学者にもこの手の手紙が多いそうだ。そこで物理学者は「それを数式で説明してくれますか?」(ちょっとイヤミ)という返信を出したら、絶対に返事はないそうだ。ニュートンやアインシュタインはポパーのいう反証可能性と再現性と実験、数式で証明できるが、進化論となると誰でも進化論者になれる。だから、150年以上論争が続き、いまだに喧々諤々である。
……「種の起原」。今まで引用や部分的にしか読んだことがないからこの際通読してみた。エッどこが? 僕たち日本人にとっては教育のせいもあるだろうが、極めて自然に受け入れられる。やはり背景にある文化が論争を呼ぶのだろう。アメリカではいまだに「進化論」を教えるな!教えるのなら「創造論」も同等に教えろ!とか、科学的を装って「ID・インテリジェントデザイン」だ!と喧しい。「アダムの臍論争」もそうだ。アダムにヘソがあれば母から生まれたのであり、神が作ったものではない!(どうして男にも無用の乳首があるのでしょうね?)と。また気をつけたいのは書店や図書館にこの手の「創造論」の本が鎮座ましましているから気を付けたいものだ(それなりに面白いが最後に某宗教団体の名があるから?ですね)。僕だって花カマキリや木の葉虫の擬態には驚嘆するし、蜂や蟻の社会性、べっこう蜂の戦略、植物と昆虫の適応など、この絶妙とも言える生物の生態はダーウィン説だけではとても説明できるとは思われない。19世紀にはまだDNA二重螺旋もゲノムも知られていなかったけれど…。
しかし、現代がそれを知ったかといってダーウィン説を否定できる証拠もないし、あまりにも未知が多すぎる…..。「種の起源」を読んでみても、今までこんなことに誰も気づかなかったのか!と言う気がする。1859年11月24日はキリスト教社会には激甚の日だったのですね。ダーウィンの「種の起源」の本意を大きく分ければ、
1)進化論そのもの 2)共通起源説 3)種の増殖説 4)漸進説 5)自然選択、性選択 という所だろう。
いまだに論争が絶えないのだが、その中でもリチャード・ドーキンスは「創造論」批判の急先鋒だ。利己的遺伝子論で「自己複製する実体の生存率の差によって全ての生命は進化する」「無神論者は誇りを持つべきだ、卑屈になる必要はない、なぜなら無神論は健全で独立した精神の証拠だからだ」「無神論は進化を理解することの論理的な延長である」と、鼻息が荒い。……まあ、科学と宗教は別次元の話だし、神を信じなくても人生において「哲学としての心の慰め」に宗教は大きな力を発揮する。ぼくは八百万の神々は迷信だし、創造論は神話だし、「原罪」だなんて何のことだかわからない。「ああ、神様!」と言うこともあろうが、ダーウィンからドーキンス(どの本も本当に面白い)の考えに強く惹かれますね。
10/ 1st, 2012 | Author: Ken |
猫町伝説。
猫とは不思議な生き物だ。気ままで優雅、毅然、おすまし、しなやか、残酷、媚びたり媚びなかったり、と、女性の性格に例えられることが多い。人間に一番身近な動物でありながら妖怪譚や神話のたぐいが。 ……..あれは夢の中の出来事だったのだろうか?
そう、ポール・デルヴォーの絵のような町、凍りついた時間、あまりにも静かな夜に猫が次々と集まってきて僕の頬に極めて柔らかい感触が……気がつけば枕元で喉を鳴らして愛猫がくっついて寝ていた。……どこかに猫の町がありそうな気もする。
「いにしえの魔術」アルジャノン・ブラック ウッド:北フランスの小さな中世風の佇まいの町。宿屋の女将は大きな斑猫を思わす。傍らを柔らかく匂いのいいものが通り過ぎた。宿屋の娘だ。安息日(サバト)の夜、窓々に人の顔が現れぴょんと地面に飛び降りる。その瞬間四つ足の猫に変身するのだ。わたしも抗いがたいその衝動に駆られる…..。
「猫町」萩原朔太郎:そして「ウォーソン婦人の黒猫」…..猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭ひげの生はえた猫の顔が、額縁の中の絵のようにして、大きく浮き出して現れていた。
……ああ このおほきな都會の夜にねむれるものはただ一疋の青い猫のかげだ…….
「猫の泉」日影丈吉:フランスの片田舎ヨンという町にたくさんの西藏猫がいると言う。その地で私は三十番目の外来者で予言を聞いて欲しいと頼まれる。大時計が刻を打つ、その機械音から予言を聞くのだ。…..ガッタン ルルー グルール グルルール それがヴァッタン(去れ) ジュンノム(若者よ) デリージュ(洪水) ロルロージュ(大時計)と聞こえたようなきがした。…..
「黒猫」エドガー・アラン・ポー:…..完全犯罪と調子に乗って妻を塗り込めた壁を叩く。その壁からすすり泣きか悲鳴のような…..。
「我が輩は猫である」夏目漱石、言わずと知れた。
「長靴を履いた猫」ヨーロッパの民話だが明治の我が国に翻訳された。題名は「猫君」(びゃうくん)、その挿絵が奮っている。裃に居住まいを正した猫君が正座して…かわいいね。
「チシャ猫」ルイス,キャロル:不思議の国でのアリスに出てくる猫は消えたのにニヤニヤ笑いだけが残っている…..。他にもロバート・A・ハインラインの「夏への扉」、レオノール・フィニの何て言ったかな?そうだ!「夢先案内猫」だ。とか…
猫にあんまり関係ないけれど水が相転移するカート・ヴォネガット・Jrの「猫のゆりかご」とか。「空飛び猫」というのもいた。
そうそう「鍋島化け猫騒動」とか、谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のおんな」もあったな。映画は森繁だった。
ほかにも僕の知らない猫話がたくさんあるのだろうな。
3/ 15th, 2012 | Author: Ken |
鍵穴から覗くは誰ぞ?… 密室ミステリーの密かな愉しみ。
本格ミステリーと言えば密室殺人事件だ。世界初の諮問探偵オーギュスト・デュパンが登場し快刀乱麻を断つ冴えを見せるE・A・ポーの「モルグ街の殺人事件」を源流として、それより古典的密室トリックとして名高い、ガストン・ルルーの「黄色い部屋の秘密」、ジョン・ディクスン・カーの「三つの棺」など枚挙に暇がない。世界中のミステリー作家が頭の冴えとトリックにチャレンジしありとあらゆるパターンの密室事件が書かれてきた。勝手な想像だが数万の、いやそれ以上の密室があるのだろう。密室はチャレンジ欲をそそるのだ。俺がもっと新鮮なアイディアを考えだしてやると….。
あのホームズも「まだらの紐」「唇の曲った男」などで活躍、日本では江戸川乱歩が「D坂の殺人事件」「屋根裏の散歩者」を、横溝正史が日本的開放家屋での「本陣殺人事件」を著した。名作と呼ばれるものは数多あるのだが、本格ものは結局、合理的で整合性のある結末を提示しなければならないからトリックが分かった時点で、なーんだ!と興醒めするものも多い。むしろ文章作法のレトリックに凝る作品の方が読者に挑戦状を叩きつける….答えは文章中にあると。大きく分類すれば心理的トリック…機械的トリック…物理的トリックに分けられる。後はそれらの組み合わせの様々なバージョンだ。しかし何故こんな面倒な工作をするのだろうか?
●自殺に見せかける ●アリバイ工作のため ●第三者に罪をなすりつける ●自己顕示欲 ●時間差の錯覚を利用 ●記憶の錯覚を利用 ●他に誘導するためのミスディレクション、等々。 機械的・物理的トリックとしては●鍵穴から糸を利用して内側から鍵を差す。● 毒ガス・毒液をかける、長い針でインスリンを注射 ●毒蛇、毒蜂などの致死性毒を持つ小動物を使う(実際軍事用にそんな蜂ロボットを作っているとか) ●矢を射る、氷の弾丸 ●圧搾空気、ウォータージェット、レーザー光線….. ●死体に見せかけ実は生きている ●窓枠が外れる、部屋全体がエレベーター ● 家がトレーラーハウスで移動 ●殺してから部屋を作り家を建てる ●部屋の温度を急変させたり、幽霊など幻視を演出しトラウマに衝撃を与え心臓麻痺を起こさす(そんなこと可能?四谷怪談か?)。●催眠術を使う….
どれもこれも無理がありますね。だから社会派ミステリーが生まれたのだ。と、言いながらTVのドラマは酷いもんだ。「死ぬ前に教えておいてやろう」…なぜか東尋坊の断崖が多いですね、オイオイ、無駄口叩くまえに殺っちゃったら…..。取り調べ室に容疑者と刑事、赤トンボの音楽、親子丼、「お前は本当の悪じゃない。全部吐いて真人間になるんだ。…号泣」いい加減にしてよ!。
これがファンタジーや恐怖小説や、SFなら奇想天外なオチで読者を煙に巻くこともできるのだが…….。
憶い出すままに、思考機械による独房からの脱出、また1.5メートル幅、両側は手がかりの無い壁。数秒で犯人が消えた?… 答えは「歩いて登った」ロッククライミングでありますね。山小屋で脚を折った男、松葉杖も無く小屋に火をかけられた。…どうして逃げる? ヒント:歩くのは脚だけではない。サーカスの空中ブランコの実演中に観衆の目前で一人が消えた?昔キオの大魔術では双子を使ったとか、ディビット・カッパーフィールドの舞台では箱ごと空中に持ち上げられ閃光破裂音で消える。途端に観客席の後から爆音とともにハーレー・ダビットソンに跨がったカッパーフィールドが登場、鮮やかでしたね。彼は自由の女神さえ消したのだ。
… 読者の推理・想像を超えるオチを求めてミステリー作家は呻吟苦闘するのだが、人間という大きさを抜け出ささすためには4次元空間でも通らなければ物理的に不可能だ。おまけに現代は音声、録画、GPS、携帯電話、監視カメラ、衛星、無人監視偵察機、グーグルアース、DNA分析、果ては粒子加速器の放射光による極微の物質分析まで出来るのだから….。やはり密室ミステリーは時代が長閑だった19世紀から20世紀にかけての知的お遊びだったのだろう。これからもハイテクをかいくぐって新鮮な「密室殺人事件」が書かれるのだろうか。ところがフーデーニも吃驚の歴とした「密室からの脱出」が現実にあるのだ。現代の量子力学によると古典的物理学理論では乗り越えられないポテンシャル障壁を量子効果によって透過してしまうのだ。粒子の波動関数が障壁の外まで染み出してしまうからだ。走査型トンネル顕微鏡や電子デバイスなど現代の様々な機器に応用されているのだ。あなたのPCもフラッシュメモリーもね。そしてこの宇宙も無から有に、量子のゆらぎがトンネル効果で生み出されたというのだ。まさに密室ミステリーもここに極まれりだ。
4/ 18th, 2011 | Author: Ken |
魔犬…..何でも十傑。
世の中にはとんでもないその道の大家がいるもので、シャーロッキアン達はその典型だろう。架空の人物をここまで深く研究し夥しい論文を発表し続けているのだ。恐らくシェィクスピア研究以上ではないだろうか。カノン(聖典)60編、せいぜい鞄に入る量でしかないが、研究書なら部屋一杯になるだろう。ぼくは純粋のシャーロッキアンではないが、なぜか子どものころより強く惹かれ何回再読しただろう。そして研究書の類いも結構読んできたものだ(いくら好きだからといってとてもそこまではできないね)。そこで自分なりの採点をして10傑を選んでみた。通俗かも知れないがそれぞれにはそれなりの思い入れがある。まあ、これが好きだ!それだけ。
1位 バスカヴィル家の犬 …..怪奇な伝説、荒涼たる風景、底なし沼、そして青白い魔犬。舞台装置と言い、二人の活躍といい…。
2位 まだらの紐………………蛇には耳が無いしミルクは飲まない。難点は多いのだがミステリアスな雰囲気がいいんだね。
3位 唇の曲がった男………….アイディアがいいんだね。そしてホームズが阿片窟にいたりして。
4位 赤毛組合 …………………こんな馬鹿な話は無いのだが、そのアイディアに脱帽だ。三人のガリデブも基本構造は似ていますね。
5位 青いガーネット …………話の意外性がおもしろい。帽子からの推理、鵞鳥、ケチな小悪党、パブやコベントガーデン市場は当時のロンドンを彷彿させる。当時の下町なんか凄かったのだろう。切り裂きジャックなんか跋扈して….。
6位瀕死の探偵……………….いま読めばけっこう陳腐なんだが小学生のころはそのアイディアに唸りましたね。
7位 踊る人形……………………暗号小説だが、これだけの材料で推理するとは!ポーの「黄金虫」の方がはるかに緻密なんですが….。でも人形の落書きが暗号というのがね。
8位 六つのナポレオン……….これもアイディアの素晴らしさ。これ以後この手のやり口が….。本物を目眩ませさせるため大量殺人とか。
9位 ぶなの木屋敷の怪………..物語の出来よりヴァイオレット・ハンター嬢がね。ホームズには何故かヴァイオレットという名前がよく登場する。それはホームズの妹の名前がそうだったからだ。「ぼくの妹だったら行かせないね」この一言が答えである。当時は教育ある女性の仕事は家庭教師しかなかったのですね。そしてストーリーは何だか「ジェーンエア」や「レベッカ」とダブってしまうのですが…。
10位……最後は迷うのです。ホームズがデビューした「緋色の研究」か、あの女性アイリーン・アドラーか、モーンスタンか、ホームズが復活した空き屋か、嗚呼! 迷ってしまいます。
★ワーストなら、ほらあれですよ….ホメオパシーかレメディか、ホルモン剤か、またまたバイアグラか。
3/ 26th, 2011 | Author: Ken |
おお!モビーディックだ。
「白鯨」(1851)ハーマン・メルビル。背景は旧約聖書の臭が満ちている。主人公イシュメールはアブラハムが女奴隷に生ませた子供である(創世記)。船長のエイハブは聖書のアハブ(列王伝)、この王はユダヤ教徒と対立し暴君である。また鯨に飲まれ腹中で過ごしたヨナの話もある(ヨナ記)。
おまけに出航前にはイライジャ(エリア)という預言者まで現われる。書かれた時代、ピルグリムの東海岸という場所柄、聖書が深く根を降ろしているのは当然として、エイハブ船長にとってモービー・ディックとは何か。
「仇敵」ならば復讐である。「邪悪の象徴」ならば、巨大な悪に立ち向かう英雄である。「神」であるならば、神の創造に挑戦する人間、自然を克服し支配しようとする人間の傲慢か?それとも人間の愚かな行為か。いやエイハブ船長こそが悪なのか?エイハブの憑かれたような復讐心と狂気は….。エイハブにとってはモービー・ディックは悪意が凝縮した姿としてあり、モービー・ディックを倒すことは、この世の悪を見極め打倒することなのだろうか……いやいや白鯨の意味は何なのか? 白人種の奢りと衰退なのか?そいうえば登場人物も人種は様々である。現実主義者の一等航海士スターバックは白人、全身刺青に覆われた誇り高い銛打ちクィークェグは太平洋諸島人、アフリカ系の黒肌のダグー、アメリカ・インディアンのタシュテゴ、拝火教徒、クエーカー教徒などなど……。
嵐が近づきセントエルモの妖しい火が燃える。そして発見!「潮を吹いている。雪の山のような瘤。おお、モービー・ディックだ」。死闘三日目。銛を打ち込むエイハブ。綱がエイハブの首に巻きつきエイハブは、海中深く引きずり込まれ船も藻屑と消えた。イシュメールだけがクィークェグの作った棺桶につかまり助かる。
「白鯨」は謎が多い小説だ。だからこそ惹かれ読み続けられ歴史的名作と言われる所以だろう。でも、ぼくは象徴とか哲学なんかあまり考えたくない。海洋冒険譚として読むのだ。鯨辞典でもあり帆船時代のワクワクする冒険の面白さだ。そしてとにかく大きい、デカイことは迫力と圧倒性である。ティラノザウルスにしてもブラキオサウルスにしても大きく強いだけで嬉しくなってしまうのだ。まして史上最大の動物である鯨、そして巨大で真っ白で島のごとき抹香鯨ときたら誰だって仕留めたいと思うだろう。単純に言えばそうなるのだが …
だが、現代の世界で見るとアメリカにとって「白鯨とは」アルカイダか? オサマ・ビン・ラディンか? いやいや、根底にネオコンサバティズムやファンダメンタリトであるジョージ・W・ブッシュこそ白鯨か?…….やはり白鯨とは何なんだろう…..。
2/ 14th, 2011 | Author: Ken |
さかしま
そいつは倦怠というやつだ。…… 偽善の読者よ、同胞よ、兄弟よ。ボードレール:悪の華
フロルッサス・デ・ゼッサントという男がいる。貴族の末裔であり同族婚による劣勢遺伝子のためか病弱で過敏過ぎる神経症、E.A.ポーのアッシャー的人物だ。かっては放蕩を快楽を蕩尽し、19世紀末のブルジョワ民主主義と効率至上主義を嫌い、ひたすら趣味と洗練と美意識のためにひきこもり人工楽園をつくり上げる。自己趣味に徹した内装とラテン文学、ボードレールとマラルメの詩、食虫花や人工花、香水幻想、口中オルガンと称するリキュールの微妙なカクテル、音楽、幻想美術について延々と語られるのだ。デカダンス文学の聖書とも評されるが、誰だって自分の趣味嗜好の世界。そう、自己の糸で紡いだ繭のなかで、温々とした羊水に浮かぶ胎児のように幻想に漬りたいのだ…。
船を模した造りにアクアリウム、奇矯なオレンジ色の部屋、東洋の絨毯をより引き立てるために黄金と宝石を散らした鎧を亀に着せ、神経症による幻覚と、空想のなかで人工的技巧美を熱愛し、反自然的なものを求め続けるのだ。「本物の花を模した造花はもうたくさんで、彼がいま欲しいと思っているのは、贋物の花を模した自然の花であった」。
またジャック・カロやヤン・ロイケンの残酷さに満ちた絵画、そしてルドンの不安をかき立てる版画、モローの「サロメ」は淫蕩とヒステリーの呪われた女神である。ゴヤの絵を(カロは1633年にエッチングによる「戦争の惨禍」を描き、ゴヤも1810年に「戦争の惨禍」を同じく版画で描いている)壁に掛け、趣向と追求の饒舌ぶりは果てがない。旅に出ようと思いパリの駅まで行くが、結局想像力でどこへでも行けるとすれば行く事も無いと帰ってる….。
衰頽した精神、沈鬱な魂、移ろいやすくも繊細な神経。無為と懶惰と倦怠の裡に身を沈めるのだ。最後には医師から、このままでは神経症は快癒しないので、パリで普通の生活を命じられる。….彼は「己の投影・夢の宮殿」住居を引払うのだった。……...ただ根底にあるカトリシズムへの憧憬と反発、その奥にあるものは日本人の私にはとても掴むことが出来ない。文化の根本的差異であろう。全編に流れるのは第六感ともいえる「美意識」。通俗と俗悪を嫌い、意識と知性の高揚のために「美」を求めるのだ。
●ジョリス=カルル・ユイスマンス/著 澁澤龍彦/訳 光風社出版: 翻訳は流麗で訳者による丁寧な註がまた素晴らしい。
2/ 4th, 2011 | Author: Ken |
御用だ!……何でも十傑。
御用だ!神妙にしろイッ!捕物帳はなんて愉しいんだ。この日本独自のミステリーは岡本綺堂「半七捕物帳」を嚆矢をもってするが、そこには「半七は江戸の隠れたるシャアロック・ホウムズであった……」とある。でも江戸時代は科学的操作方法も無かったし、ミステリーといっても理詰めの推理の構成は不可能だ。そこで結局町奉行配下の与力,同心、目明しが大江戸八百八町を生きいきと駆ける…その情緒、風俗、人々の人情味など独特の日本的風景エンターテインメント物語になった。逝し世の面影をよすがとするわけだ。
⚫️【半七捕物帳】岡本綺堂 明治中期に律儀で昔かたぎの半七老人の思い出を、茶飲み話を聞くうちに手柄話や失敗談、情緒たっぷり。
⚫️【銭形平次捕物控】野村胡堂 親分、てえ変だ、てえ変だ!…何でえ、うるせえぞ、ガラッ八!
⚫️【明治開化安吾捕物帳】坂口安吾 鹿鳴館時代を背景に旗本の末孫で洋行がえりのハイカラ男結城新十郎。剣術師範泉山虎之助、戯作者花廼屋因果、それに氷川の隠居勝海舟が絡む。海舟の冷徹な推理は……なんだ。
⚫️【若さま侍捕物手帖】城昌幸 若さまが船宿喜仙の二階座敷で、ちびりちびりと、そこへ岡っ引きの小吉が駆け来んでくる…。
⚫️【顎十郎捕物帖】久生十蘭 長大な顎から付いたあだ名とそのコンプレックスを持つ風来坊、仙波阿古十郎の活躍を描く捕物帳。
⚫️【人形佐七捕物帳】横溝正史 妖艶・情痴・怪奇・諧謔・残酷のからむ横溝正史ならではの面白さ。神田お玉が池のイケメン佐七。
⚫️【風車の浜吉捕物綴】伊藤桂一 小石川伝通院で風車を売るもの静かな男、浜吉。ある事情から江戸所払いになった暗い過去、元は根津の親分と言われた岡っ引きだった。諸国を放浪し人足時代におぼえた籠風車作り。世を偲んでひっそりと生きているが…。
⚫️【加田三七捕物そば屋】村上元三 旧幕時代、南町奉行所同心であった加田三七、御維新後湯島で蕎麦屋を始めた。だが昔の血が騒ぐ。
⚫️【貧乏同心御用帳】【岡っ引きどぶ】柴田錬三郎 何人もの親無し子を育てながらの貧乏同心、大和川喜八郎。岡っ引きどぶ、こいつは武士を捨てて飲む・打つ・買うの放蕩三昧。まあ狂四郎やら色んなのが出てくるは…。柴錬ここにあり!
⚫️【神谷玄次郎捕物控】藤沢周平、北町奉行所の定町廻り怠け者同心。
⚫️【耳なし源蔵召捕記事】有明夏夫 大阪弁がええねー。舞台は明治やさかい、化学をケミカル→舍密となって科学的捜査や岡蒸気に乗るのが大好きやし。耳なしの海坊主親分が一発カマス!。ほら浪速のど根性でっせ。
⚫️【彩色江戸切り絵図】【無宿人別帳】松本清張 切り絵図の「蔵の中」なんて大店の殺人事件なんだが、ある朝庭に穴が掘ってあってその中で男が死んでいる。一体何んで穴掘ったんだ?以外や以外、さすが清張ミステリー….。人別帳の大牢の話、こりゃ凄い、老名主、詰めのご隠居なんて、おめー、ツルはどうした?少し暑苦しいぜ、さくを作ろうぜ、きめ板で…..そして赤猫だーッ。
⚫️【鬼平犯科帳】池波正太郎 言わずと知れた火付盗賊改、長谷川平蔵だ。おとなしく縛につけイ!最近は彼の食生活のほうが人気!
⚫️【深川安楽亭】山本周五郎 捕物帳じゃないが、江戸の吹きだまりにのなかの人情。映画「いのちぼうにふろう」小林正樹の傑作。
●「与力同心目明しの生活」(1970年)横倉辰次:生活史叢書:捕物帳を読むにはその背景を。伝馬町の牢のしきたりなんてそれはもう!刺青の違いや縛り方、刑罰、お仕置き……興味がそそられる。江戸時代の刑罰はこのようだったのだ。首切り朝右衛門なんか……。
●「図解・隠し武器百科」(1977年)名和弓雄/新人物往来社:江戸時代は道具の発達は無かったという定説があるが、何のなんの、あるはあるは、あらゆるユニークな武器の百貨店だ。飛び道具印地ってご存知?子連れ狼に印地打ちの男が登場したりして。
よう、よう!それにしても「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」は気に食わねエぜ、だってよ、最後は権力を振り回すんだぜ。何が庶民の味方でぇ、てめえは上にいてよ、食うや食わずのあっしらのことが分かるかッてんダ!てやんでェー!