9/ 29th, 2015 | Author: Ken |
「秋の門」
秋
「秋の門」秋がギャロップで駆けてくる・・・あの幻想画家ルネ・マグリットに限りないオマージュを。
8/ 14th, 2015 | Author: Ken |
夏休みはインディ・ジョーンズになる。
7/ 2nd, 2015 | Author: Ken |
Computed Tomography
最近どうも頭が冴えない。マ、昔からですが。
そこで断層撮影してみた。なーんだ、キャベツで出来ていたのだ。道理でネ。
6/ 23rd, 2015 | Author: Ken |
CUBE
2/ 5th, 2014 | Author: Ken |
乱歩幻影
正月に「江戸東京博物館」に行った。暗い展示室を漫ろ歩いていると浅草十二階「凌雲閣」の前に出た。見上げていると急に床が揺らいだ。地震?お屠蘇が効いた?立ち眩み?両眼を押さえてしゃがみ込んだ。ゆっくりと立ち上がり頭を振り眼を瞬いていると風景が一変しているではないか!揺らめく蜃気楼のように夜の浅草十二階の下に立っていたのだ。……黒いインバネスを羽織った背の高い男が話しかけてきた。
顔は細面で、両眼が少しギラギラしすぎていたほかは、一体によく整っていて、スマートな感じであった。そして、きれいに分けた頭髪が、豊かに黒々と光っているので、一見四十前後であったが、よく注意してみると、顔じゅうにおびただしい皺があって、ひと飛びに六十ぐらいにも見えぬことはなかった。その黒々とした頭髪と、色白の顔面を縦横にきざんだ皺との対照が、はじめてそれに気づいた時、何か非常に無気味な………そう、違和感があった。
「あなたは十二階へお登りなすったことがおありですか?ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこれんな代物でございましたよ」。
それだけ言うと黒い風呂敷包を持って、背後の闇の中へ溶けこむように消えていったのである。彼は何者なのだ?押絵と旅する男か?遠く曲馬団のジンタの響きが漂ってくる。帝都の暗闇に蠢く陰獣、黄金仮面、怪人二十面相、豹男、道化師、一寸法師、…おどろおどろした乱歩の世界に不気味さと不快さを持ちながら耽溺したものだ。まあ、紅色彩りエログロと奇形的好奇心を猛烈に刺激するのだ。乱歩の美学を表したものは「火星の運河」だろう。白昼夢とも幻影ともとれる小品だが、彼の美意識の告白なんだろう。
…鬱蒼とした森の奥、その暗闇に暗く淀んだ沼がある。岩島があり全裸の美女がいる。その白い肌を爪で掻き毟り流れだす鮮血の赤、それが火星の運河のように、黒い背景に白い肌と無数の赤い溝の対比を映し…こんな世界だ。
十二階「凌雲閣」は明治23年(1900)に建てられ大正12年9月1日(1923)の関東大地震で崩壊した。だから「怪人二十面相」(1936)は登場しないんですね。「怪人二十面相」はアルセーヌ・ルパン、明智小五郎はシャーロック・ホームズを彷彿させるし、少年探偵団はベイカー・ストリート・イレギュラーズだ。昭和31年に始まったラジオ放送では興奮した。テーマ曲は今だって歌えるのだ。
〜ぼ、ぼ、僕らは少年探偵団 勇気りんりんるりの色 望みに燃える呼び声は 朝焼け空にこだまする ぼ、ぼ、僕らは少年探偵団〜
少年探偵団に入会するとBD(Boy Detectives)バッジが貰えるのだ。痛烈に欲しかった!あれから57年…あの少年よ、いま何処……
12/ 2nd, 2013 | Author: Ken |
ゥワーッ!大好きだ!Mr.ハリーハウゼン。
いま映画はCG全盛である。何だって造れるのだ。ここ数年でとうに亡くなった俳優が完璧なCGで蘇るのではないか …?でも、どうしてCG映画ってあんなに退屈なんだろう? 確かに見たこともない怪獣や変身やスペクタクルは満載なんだがほとんどが印象に残らないのだ。「ああ、またか」で終わってしまう。3D映画も 3DTVも「だからどうした」になってしまうのだ。名作「キングコング」(1933)だって何回も作られているが、やはり本家に止めを刺すのだ。動きや合成はチャチかもしれないが「センス・オブ・ワンダー」があるんだ。「真珠湾攻撃」も数々の映画が作られたが「ハワイマレー沖海戦」(1942)がオリジナルだ。「パール・ハーバー」(2001)なんて、CGは凄いのだが、くだらんを超えて退屈極まりない極低のものだった。特撮(この言葉、古いネ)は面白い。しかしそれを超えた「ドラマ」があってこそ特撮も生きる。しかしだ、特撮を見せる映画もある。
そこで、大好きな映画に「アルゴ探検隊の大冒険」原題: Jason and the Argonauts(1963)がある。楽しいの何のって!確かにB級映画かもしれないが、特撮監督のレイ・ハリ−ハウゼンの形を1コマずつ撮影するモデルアニメーション手法に嬉しくなってしまう。そして人形と俳優が一体となって動く「ダイナメーション」、俳優の演技に合わせてコマ送り人形を動かすのだ。つまりマニュアルなんだ。手作りなんだ。もう、必然性のない撃ち合いやカーチェイスは願い下げだし、CGで都市を破戒したり怪物がゾロゾロ出てきてもアクビしっか出ないもんね。「アルゴ探検隊の大冒険」は彼の最高作だろう。青銅の巨人タロス、もうワクワクするではないか!動きは稚拙だが驚きの映像だ。踵の蓋を開けると溶岩のような熱湯が吹き出し倒れるなんざ….。吠える岩もいいね。 狭い海峡を船が通ろうとすると岸壁が崩れてくる。突如ポセイドンが現れ崩れる崖を抑えて船を通すのだ。大きな魚の尻尾が現れたりするリアルさが何とも最高!そして龍の歯を撒くと大地を割って7人の骸骨剣士が現れる。そしてチャンバラだ。クリーチャーのあの動きったら!もう!
今年5月レイ・ハリ−ハウゼン(92歳)が亡くなった。昨年に逝ったレイ・ブラッドベリ(91歳)とは高校時代からの友人だそうでである。ブラッドベリもハードSFではない。ファンタジーというか、少年の眼だ。….ハリーハウゼンもそうなのだ。現代のCGは遥かにリアルでありスピードと驚きの動きがある。しかし昔のダイナメーション動きは稚拙なのになぜ強烈な印象を与えるのか?
そう言えば … 近松門左衛門が語ったと言われる「虚実皮膜論」というのがあった。
「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰が有るもの也」。微妙な「虚」と「実」の間に芸があり観客を魅了するのだ。
何と江戸期に「人形浄瑠璃」で喝破している。太夫、三味線、人形使いの「三業」による三位一体の演芸である。誰だって人形なのは知っている。人形を操る三人も丸見えだし、絵空事であることは分かり切っているのだ。なのに何故、涙を誘うのだ。知らぬ間に人形だけに集中し、あたかも人形に心あるように見えるのだ。それは観客の集中力と想像力というものに依拠しているのだ。人形に感情移入し状況に同化するのだ。…..小説しかり、音楽しかり。注意を向ければ、自分が見たい聴きたいものだけが、見え聞こえるのだ。人形の向こうにドラマを見るのだ。ハリーハウゼンもその辺をよく知っていたのだろう。
7/ 26th, 2013 | Author: Ken |
真夏の夜の夢。
暑い!バテ気味である。疲れている。食欲もない。栄養でも付けなくっちゃ……。
最近は料理屋に行くとみんな食べる前に写真を撮影しまくるね。ブログの「食べ日記」に載せるんだろうな。ぼくはそんな趣味はないし「更科日記」は蕎麦屋食べ歩きじゃないし、「土佐日記」はタタキ料理の話でもない。「断腸亭日乗」は大食いの日記じゃないことぐらいは、まあ知っているが….。
何にしようかな? メニューを睨んでいると Spaghetti al Nero di Seppie が目についた。そうだ「イカスミ・スパゲッティ」にしよう。スパゲッティ・ネーロ、真っ黒なパスタだ。運ばれてきたスパゲッティの皿にフォークをつけようとした。一瞬テーブルが揺らいだ…..熱中症かな?
何と!スパゲッティのなかに苦痛に歪む顔がある。ゴルゴン?メデューサ?… ぼくは石のように凍りついた。幻覚であることは分かっているのだが… もう食欲が無くなった。
★メデューサの有名な絵ならカラヴァッジョだろう。あの驚愕の表情は何に驚いているのだろう。
★巨匠ルーベンスも凄い。…..でも芸術とホラーはどこで別れるのだろう。
4/ 16th, 2013 | Author: Ken |
時計仕掛けの棋士。
プロ棋士がコピュータに破れる。こんな記事を見た。「ツツカナ」というソフトで先月にも「ponanza」がプロ棋士を破り対戦成績はコンピュータソフトの2勝1敗になったそうだ。だからどうなんだ!僕たちは飛行機も新幹線もネットだって使っているじゃないか。
機械に負けたからってコンピュータのCPUに熱いコーヒでもぶっかけるか電源を切りゃいいのだ。と言いながら何か寂しいですね。チェス(西洋将棋)も日本の将棋もインド古代のチャラトンガが起源と言われている。二千年の歴史があるのだ。一方コンピュータのチェスの歴史を見ると半世紀ほど前にクロード・シャノン博士が論文を発表、以来デジタルとなり、1988年チェスコンピュータがグランドマスターを破り、1997年には史上最強と言われた名人ガルリ・カスパロフがコンピュータと対戦して破れた。VVSIチェスプロセッサーを搭載した「ディープ・ブルー」は1秒間に2億手を解析するそうだ。なにしろ3分間に400億の局面を計算し、過去100年間の序盤戦を記憶しているだと…。
僕は将棋もチェスも全く不調法なのだが興味は尽きない。「2001年宇宙の旅」でもHAL9000が対戦していたネ。いずれ人間型ロボットが実際に手を動かしたり仕種や表情まで出て来たらどうなるのだろう。少し気味悪い気もするが…。
まあ、寛政から明治にかけて活躍した「カラクリ儀右衛門」こと田中久重も凄い男だ。東芝の創業者であり、彼の作った「万年自鳴鐘」という見事な万年時計を国立化学博物館で見た事がある。その精密さはマニュアルの限界に挑む好奇心の発露である。ギアやゼンマイ、クランクの時計仕掛けには機構の知恵に嬉しくなってしまう。コンピュータはつかみ所もなく、音も無く稼働するメカニズムもないのだ。その点カラクリ仕掛けは人間的だ。ロンドン・ピカデリーサーカスのフォートナム&メイソンの時計、みんなあんぐりと口を開けてお上りさんをやっている…..。おいおい人形に見蕩れていると財布を摺られますゼ!
しかし最も愉快な話は1770に年ハンガリー・ブレスブルグの貴族ヴォルフガング・フォン・ケンペレン男爵によって作られた「トルコ人・The Turk」だ。人間相手にチェスを指し、以後1854年に消失するまで84年間にわたりほとんどの試合に勝利したと言うのだ。トリックが行われていないということを確かめさせるために、対戦前に内部を觀客に見せて、これは自動機械であり人が隠れていないというパフォーマンスもやったのだ。あのナポレオン・ボナパルトやベンジャミン・フランクリンとも対戦した。 「ザ・ターク」はケンペレンが死去すると、ケンペレンの息子が1808年にメトロノームの発明者でもあるメルツェルに売却。そしてアメリカにも渡りE.A.ポーも「メルツェルの将棋差し」という短編を書いたこれは人間が隠れていて駒を動かしていると推理している。1820年にロンドンのロバート・ウィリスが手品だと暴くまで誰にもバレなかった。ザ・タークはチェスの名人が内部に隠れて操作する手品であり悪戯だったのだ。何とも楽しい話で箱の内部を見せるなんざ現代のマジックでよくやる手を使っているのだ。こりゃ脱帽!
チェスといえばイングマール・ベルイマン監督の「第七の封印」(1957)が思い出される。猖獗を極める黒死病、邪教が蔓延り、不安覆われる時代、無益な十字軍遠征から祖国に帰還する騎士(マックス・フォン・シドー)、死神が現れる。彼は神の存在と自らの命を賭けたチェスで死神と対決するのだ。それは死を恐れる時間稼ぎではなく、神の存在を確認し、無益な戦役で揺らいだ信仰を取り戻すためのものだった…。しかし彼は死神にチェスの敗北をする。魂の救済も神との対話も何一つ達成できなかったが、素朴な旅芸人の一家を死神から守ることには成功する。荒れ果てた城で妻と再会、「而して小羊、第七の封印を解き給いたれば…」無残にも死神が現れ、その場に居た者すべての命を奪ってしまう。翌朝死神の魔の手から無事逃げ出した旅芸人一家が見たのは、死神に先導され数珠繋ぎになって
「死の舞踏・ダンスマカーブル」を踊る犠牲者たちの姿だった….。このシーンは今も眼に焼き付いている。「神はなぜ沈黙しているのか」!問う映画だった。モノクロームの映像が美しい……。
現代はインターネットというハイテク魔術?によって世界中と将棋やチェスを対戦できる時代だ。またガイ・フォークスの仮面を被ったアノニマス(匿名の)というハッカー集団もいる。…..「我々はアノニマス。 我々は軍団。 我々は許さない。 我々は忘れない。 待っていろ!」その人を喰ったやり方は現代のThe Turkみたいだ。
3/ 7th, 2013 | Author: Ken |
コケカキィキィーッ!… メディアはメッセージである。
コケカキィキィーッ! この怪鳥の叫び声が耳の底に残っている。おどろおどろした異形と妖怪の世界だ。夕暮れともなると拍子木の音が聞こえる。紙芝居だ!タダ見は後ろ! 「黄金バット」「水星魔人」「墓場奇太郎」そして「コケカキィキィ」だ。ストーリーも絵も忘れてしまったが、話は荒唐無稽で絵だって今見れば毒々しい泥絵具でぞんざいなものだろう。当時は紙芝居の絵は手描きで、もちろん印刷なんてしやしない。作者が適当に話を展開するから矛盾だらけだ。…それでよけいにシュールな味を出したのだろうか。
しかし、紙芝居のオッサンが頭のてっぺんから発するコケカキィキィーッ!の奇声はいまだに鳴り響くのだ。この辺を知りたくて姜 竣著「紙芝居と(不気味なもの)たちの近代」青弓社:を読んでみたのだが、その成立背景はなんとなく分かったのだが…。
当時はメディアはラジオ、新聞、リーダーズ・ダイジェスト日本語版、怪しげなカストリ雑誌であり、子ども向けはあったのだろうがなかなか手に入らなかった。「少年」「少年倶楽部」「冒険王」「譚海」….もう!ボロボロになるまでページを繰ったものだ。「紙芝居」も、そんな「好奇心と怖いもの見たさ」と「情報」を運んで来たのだ。まさに「メディアはメッセージ」なんですね。
60年代の中頃にマーシャル・マクルーハンが「人間拡張の原理…メディアの理解」だったかで語った言葉だ。僕も早速買って読みましたね。「機械の花嫁」とか「グーテンベルクの銀河系」なんかね。名前からしてカッコいいんだ。でも分かったような分からないような…まだPC、携帯電話、スマートフォンなんて夢かSFの世界だった。しかし、彼は現代のワールドワイド・ウエッブ時代を予見していたのだ。いまじゃメディアと簡単に言うけれど本来の意味は「媒体」や「中間」でmediumには「霊媒」という意味もある。まあ情報を伝達したり記憶するCDやUSBなどの道具もそう呼びますね。
….マクルーハンの言いたかったことって何なんだろ?メディアとはマトリョーシカみたいに入れ子細工になっていて、過去のテクノロジーやハードウェアが新時代には内容としてのソフトウェアになっている。と言いたかったのか?テクノロジーの発達が人間の能力の拡大・延長となりインターネットで世界同次元、同時刻にリアルに伝達・体現できるということか?
彼は「人間は電子のスピードで変化する答え、それも数百万という答えに囲まれている。生き残れるか、コントロールできるかは、正しいところにあって正しい方法で探査できるかにかかっている」。と言うが ….PCが人間的になった?…感性?
…感性工学…だからアイコン?…ユルキャラ?「それは感性の復活に他ならない」。感性という電気メディアで「あなたの感覚はマッサージされているのかもしれない」。止しておくれよ!そう装っているだけジャン!だれがアイコンごときで変わるものか!お遊びじゃないか!「いま頭骨の外部に脳をもち、皮膚の外部に神経を備えた生命体にふさわしい、完全に人間的な穏和と静寂を求めている」。だって?「人間は、かつてカヌー、活字、その他身体諸器官の拡張したものに仕えたときと同じように、自動制御装置のごとく忠実に、いま電気の技術に仕えなければならない」。ふーん、かって「紙芝居は教育に悪影響を及ぼす」と言った。「TVは一億総白痴化になる」と流行った。「ゲームは思考力を無くす」と。「ネットは中毒になる。携帯電話は会話を無くす…真の人間関係が崩壊する」とも。…それで街中にマッサージ屋が蔓延る訳か!正に「メディアはマッサージである」。…いやアンドロイドは電気羊の夢を見るのか?
10/ 1st, 2012 | Author: Ken |
猫町伝説。
猫とは不思議な生き物だ。気ままで優雅、毅然、おすまし、しなやか、残酷、媚びたり媚びなかったり、と、女性の性格に例えられることが多い。人間に一番身近な動物でありながら妖怪譚や神話のたぐいが。 ……..あれは夢の中の出来事だったのだろうか?
そう、ポール・デルヴォーの絵のような町、凍りついた時間、あまりにも静かな夜に猫が次々と集まってきて僕の頬に極めて柔らかい感触が……気がつけば枕元で喉を鳴らして愛猫がくっついて寝ていた。……どこかに猫の町がありそうな気もする。
「いにしえの魔術」アルジャノン・ブラック ウッド:北フランスの小さな中世風の佇まいの町。宿屋の女将は大きな斑猫を思わす。傍らを柔らかく匂いのいいものが通り過ぎた。宿屋の娘だ。安息日(サバト)の夜、窓々に人の顔が現れぴょんと地面に飛び降りる。その瞬間四つ足の猫に変身するのだ。わたしも抗いがたいその衝動に駆られる…..。
「猫町」萩原朔太郎:そして「ウォーソン婦人の黒猫」…..猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭ひげの生はえた猫の顔が、額縁の中の絵のようにして、大きく浮き出して現れていた。
……ああ このおほきな都會の夜にねむれるものはただ一疋の青い猫のかげだ…….
「猫の泉」日影丈吉:フランスの片田舎ヨンという町にたくさんの西藏猫がいると言う。その地で私は三十番目の外来者で予言を聞いて欲しいと頼まれる。大時計が刻を打つ、その機械音から予言を聞くのだ。…..ガッタン ルルー グルール グルルール それがヴァッタン(去れ) ジュンノム(若者よ) デリージュ(洪水) ロルロージュ(大時計)と聞こえたようなきがした。…..
「黒猫」エドガー・アラン・ポー:…..完全犯罪と調子に乗って妻を塗り込めた壁を叩く。その壁からすすり泣きか悲鳴のような…..。
「我が輩は猫である」夏目漱石、言わずと知れた。
「長靴を履いた猫」ヨーロッパの民話だが明治の我が国に翻訳された。題名は「猫君」(びゃうくん)、その挿絵が奮っている。裃に居住まいを正した猫君が正座して…かわいいね。
「チシャ猫」ルイス,キャロル:不思議の国でのアリスに出てくる猫は消えたのにニヤニヤ笑いだけが残っている…..。他にもロバート・A・ハインラインの「夏への扉」、レオノール・フィニの何て言ったかな?そうだ!「夢先案内猫」だ。とか…
猫にあんまり関係ないけれど水が相転移するカート・ヴォネガット・Jrの「猫のゆりかご」とか。「空飛び猫」というのもいた。
そうそう「鍋島化け猫騒動」とか、谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のおんな」もあったな。映画は森繁だった。
ほかにも僕の知らない猫話がたくさんあるのだろうな。