2/ 15th, 2018 | Author: Ken |
南からきた男
Man from the South
「ヒッチコック劇場」の最高作は何だろう?迷う所だが「南からきた男・Man from the South」かな? リゾートで老人が若い男にライターを10回連続で火を着けられるか?という奇妙な賭けを持ちかける。成功すれば高級車をやる。失敗したら指を一本よこせという。賭けが始まる…。机に指を縛り付け肉切り包丁が…。一回、二回、三回、…七回目…。そして…その時・・・。 原作:ロアルド・ダール「あなたに似た人」、主演:S・マックイーン、ピーター・ローレ。戦慄のブラックジョーク。ゾクゾクしますね。
2/ 15th, 2018 | Author: Ken |
マリオネットの葬送行進曲
HITCHCOCK
古い「ヒッチコック劇場」を夜毎3本づつ見た。シャルル・グノー作曲の「マリオネットの葬送行進曲」に乗ってヒッチが登場。いいんだな〜これが。おとぼけ・センス・ウイット・皮肉・・・洒落てるんですねー。あれは高校時代だった。TVはもちろん、古本屋でヒッチコック・マガジンを買って夢中になったもんだ。ヘンリー・スレッサー、ドアルド・ダール、ジョン・コリア、ロバート・ブロック、スタンリイ・エリン・・・そしてマガジンでは拳銃特集なんてね。そりゃ「南からきた男」なんてスティーブ・マックイーンとピーター・ローレなんだよ。サスペンスに夢中になっていると最期に痛烈でアイロニーに満ちたどんでん返し。プロットと技巧で見せるんだ。読ませるんだ。チクショー、ヤ・ラ・レ・タ!!
2/ 15th, 2018 | Author: Ken |
恐るべしYouTube
YouTube
恐るべしYouTube : 前からもう一度見たいと思っていた映画がある。「秘密殺
2/ 15th, 2017 | Author: Ken |
「沈黙」: Silence
Silence : 主よ、あなたのお顔を考えました。・・・その最も美しいものを。・・・最も聖らかなものと信じたもの・・・その時、踏むがいいと銅板のあの人は司祭にむかって言った。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前に踏まれるために、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。「沈黙」遠藤周作(1966)
映画「沈黙」マーチン・スコセッシ監督(2016)を見た。その記憶が薄れないその日のうちに何十年ぶりに「沈黙」篠田正浩(1971)も見た。もちろん原作も読み直した。両作とも原作に忠実だし、同じシナリオかと思うほどだ。さて、出来は?正直に篠田作品の方が良かったですね。まず、俳優の重みが違う。セットに時代感がある。武満徹の緊張感ある音楽、宮川一夫のカメラ映像美、鶏が時を告げ、司祭が手枷をかけられ石段を歩む姿はゴルゴダへの路か。スコセッシ版はすだく虫の音が記憶に残った。私のような不信の徒にとって、神、信仰、天国などはわからない。しかし、長崎の地で400年に渡って隠れ切支丹に歌い継がれるオラショ(祈り)がある。映画にもあるように日本的に変容されてはいるが・・・。信仰とは何なんだろうか。
慶長十年(1605)に天正少年使節団が持ち帰った印刷機で「サカラメンタ提要」という典礼書が出版された。グレゴリオ聖歌の旋律が記されている。それが長崎・生月島の隠れキリシタンによって「オラショ(祈り)」として歌い継がれている。変貌と激しい訛のなかにラテン語の原型やグレゴリオ聖歌の旋律が姿を止めている。皆川達夫さんの本、TVでも見た事がある。レコードで聞く事が出来ます。時を越えて・・・。
2/ 15th, 2017 | Author: Ken |
Love, your spell is everywhere……Gloria Swanson
カーチス・フラーの名盤「Blues-ette」(1959)、針を降ろした瞬間、ユニゾンで響くFivespot after darkのサウンドに引き込まれた思い出がある。そしてLove, your spell is everywhereも美しい。1929年の映画”The Trespasser ・トレスパッサー”のためにEdmund Goulding 作曲、Elsie Janis 作詞、主演のグロリア・スワンソンが歌っている。
さっそくyoutubeで探してみた。・・・やはり時代というか、そんなもんかですね。そして、あの名作「サンセット大通り」監督ビリー・ワイルダー(1950)を何度目になるだろうかまた見直した。よく出来ていますね。過去の栄光の妄想に正気を失った大スター。殺人を犯し、群がる報道陣とフラッシュ、傲然と艶然と階段を降りる・・・シュトロハイムがアクション!と。同年作の「イヴの総て」のベティ・デイヴィスもなかなかだが、彼女の「何がジェーンに起こったか」の狂気度も凄かった。・・・時代を風靡した銀幕のビッグスターが老醜と狂気を演じる。だからこそよけいに凄みが・・・。
4/ 30th, 2016 | Author: Ken |
死戦を越えて、苦戦を越えて。
長い間、見たい観たいと思っていた映画がある。そして50年の時が過ぎ、やっと手に入れた。「独立機関銃隊未だ射撃中」(1963東宝・監督:谷口千吉、脚本:井出雅人、主演:佐藤允、三橋達也、太刀川寛、他)。ぼくは当時19歳で和歌山に入院していた。病院を抜け出し映画館に行った。黒澤明「天国と地獄」との二本立てだった。戦争末期、ソ満国境守備隊、侵入する圧倒的なソ連軍、映画のほとんどは狭いトーチカの閉鎖された空間だけである。トーチカとはロシア語で点を意味する。つまりベトンで固めた点拠点に過ぎない。・・・いま改めて見るとスターリンのオルガン(カチューシャ・ロケット砲)や特撮はチャチだし、ソ連軍がアメリカ軍のように日本の音楽を流して投降勧告をしたのだろうか?またIS-2戦車が参戦した事実もない。わざとベーテー戦車(ノモンハン時の主力ソ連戦車BT-5)という所が当時の空気を知っている脚本の巧さなのだ。そして92式重機関銃の詳細な取り扱い、30連保弾板と給弾、銃身交換などの描写や対戦車・九九式破甲爆雷のシーンはなかなかである。そして、監督も役者もスタッフ全員が戦争を越えて来た重みが、セットやミニチュアのそれらを覆い尽くす凄みがある。特に貧しい農民出身の渡辺上等兵(佐藤允)がいい。千人針で作ったシャツを着、背には武運長久の文字、五銭と十銭玉を縫い付け、死戦を越えて、苦銭を越えて、と。
独立機関銃隊未だ射撃中
独立機関銃隊未だ射撃中
悲しい銃後の女たちの願いである。一針々、出征する兵士の母や妻が街頭に立って、道行く女性千人に糸目を結んでもらい武運長久を願った。与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」は強い女だが、大塚楠緒子の「お百度詣」はあまりにも日本的な願いであり涙を誘う。
ひとあし踏みて夫(つま)思ひ、 ふたあし国を思へども、 三足ふたゝび夫おもふ、 女心に咎ありや。
朝日に匂ふ日の本の、 国は世界に唯一つ、 妻と呼ばれて契りてし、 人も此世に唯ひとり。
かくて御国と我夫と、 いづれ重しととはれれば、 たゞ答へずに泣かんのみ、 お百度まうであゝ咎ありや。
3/ 21st, 2014 | Author: Ken |
「U-ボート」…紙とフィルムの上の戦争。
「これは小説だが、フィクションではない。ここに語られる事件を、著者は身をもって体験している」
これは「Uボート」ロータル=ギュンター・ブーフハイム著(松谷健二 : 訳/早川書房:1977)に捧げられた賛辞だが、まさにこの本には、汗と油と垢と悪臭にまみれた艦内、その密閉された潜水艦内の狭隘な空間のなかで、閉塞感と疲弊感を、わざと卑猥で下卑た軽口で息苦しさを誤魔化す乗員たち。敵駆逐艦に制圧され、爆雷の轟音と圧壊の恐怖という極限状況の中での苦闘が皮膚感覚でリアルに伝わってくる。そして戦争という虚無感を声高に押し付けるものもない。就航1150隻のUボート、779隻沈没、2隻拿捕、Uボート兵員3万9000人のうち2万8000人が帰らなかった….。その原作を忠実に再現した「Uボート」監督:ウォルフガング・ペーターゼン(1982西ドイツ)深海でのたうつ潜水艦の緊迫した乗員の心理状態までもが息苦しいほどに迫ってくる。…
敗戦国の映画には悲壮感と虚無感があるのだが、戦勝国のハリウッド映画にはアクションとフィクションとエンターテインメントしか伝わってこない。勝てば官軍、正義の戦争?には反省や痛みが伴わないのだ。
そして我が国の「真夏のオリオン」監督:篠原哲雄(2009)もう潜水艦や旧海軍のことを、全然勉強していない人たちが脚本、演技している。状況設定や軍事技術・時代背景の描写を想像すらしなくて作るからこうなるのだ。嗚呼!戦後は遠くなりにけり。戦争を知らない世代、いや調べようともしない人たちなのだろう。安っぽいセンチメンタルである。….まあ、潜水艦という過酷な環境でありながら、乗員の顔や服が汚れていない。……大声で怒鳴るのが演技と勘違いしている。潜水艦用語の独特の符丁と復唱さえやらないのだから。原作「雷撃深度一九・五」池上司/読みかけて途中で投げ出した。まず、雷撃深度一九・五って何?戦艦でも喫水10m前後なのに…潜望鏡深度だってそれ以下だし…? 「眼下の敵」(1958)監督:ディック・パウエル、出演:ロバート・ミッチャム、クルト・ユルゲンスのパクリである。….いつの頃からか映画が佳境に入るとフォークソング調のJPOPなんか流れて….見ているこちらが暗闇のなかで赤面し、恥ずかしくなって席を立ち映画館を逃げ出すのだ。日本映画ってどうしようもないですね。またYOU TUBEなんかでも実録映像に安っぽいポップスが、いかにも悲劇性と哀しみを掻き立てようと….この神経って何なんだろうか?
そこで今までに読んだ本や映画を思い出した。
●「U-ボート戦記:デーニッツと灰色狼」ヴォルフガング・フランク著(松谷健二:訳/フジ出版社:1975)Uボート部隊の栄光と悲劇、ドイツ海軍提督デーニッツとの物語。Uボート全史と言える。
●「鉄の棺」ヘルベルト・A・ヴェルナー著:フジ出版(1974)
●「U-ボート977」艦長であったハインツ・シェッファー著(1950)
●「U-ボート・コマンダー」ペーター・クレーマー著
その他多くのムック版やU-ボートの本があるが、ST-52による全溶接建艦の話やXXI型やワルタータービンの話など切りがない。
●「轟沈 印度洋潜水艦作戦記録」日映(1944)インド洋で通商破壊戦にあたった日本の潜水艦に、海軍の報道班が乗り組んで、作戦の様子を取材したものだ。と言うが、恐らく内地に帰還する潜水艦で撮影したものか?
●「海底戦記 伏字復刻版」(中公文庫)の山岡荘八/著と同じ頃か?
●「海底十一万浬」稲葉通宗(朝日ソノラマ)
●「伊58潜帰投せり」橋本 以行(学習研究社)回天作戦中、重巡インディアナポリス撃沈。
●「あゝ伊号潜水艦」板倉光馬(光人社NF文庫)ご子息に何度かお会いしたことがある。
●「消えた潜水艦イ52」佐藤仁志:(日本放送出版協会)その最後と沈艦を探すドキュメンタリーをNHKで見たことがある。
●「深海からの声 Uボート234号と友永英夫海軍技術中佐」富永孝子(新評論)
●「鉄の棺」斉藤實(光人社NF文庫)
●「伊号潜水艦訪欧記 ヨーロッパへの苦難の航海」伊呂波会 編(光人社)
●「深海の使者」吉村昭(文藝春秋)この本で初めて遣独潜水艦のことを知った。
●「潜水艦伊16号通信兵の日誌」石川幸太郎:草思社….運命の魔の手が迎えに来るその日までこれにて….ハワイ海戦以来の陣中日誌、一冊目を終る。読み返す気もない。幾度か決死行の中にありて、気の向いたときに書き綴ったもの。そしてわれ死なばもろともにこの世から没する運命にある。しかし、第二冊目を書き続けてゆかねばならない。運命の魔の手が、太平洋の海底に迎えに来るその日まで。…淡々と描かれたハワイ真珠湾攻撃、マダガスカル島攻撃、インド洋通商破壊作戦、南太平洋ソロモン海戦に参戦。19年5月19日、ソロモン諸島北西海面で伊一六潜と運命を共にした。
…….もちろん私は戦争は知らない。しかし父や兄の時代は戦争そのものが日常であり、ほんの昨日のことであったのだ。
12/ 2nd, 2013 | Author: Ken |
ゥワーッ!大好きだ!Mr.ハリーハウゼン。
いま映画はCG全盛である。何だって造れるのだ。ここ数年でとうに亡くなった俳優が完璧なCGで蘇るのではないか …?でも、どうしてCG映画ってあんなに退屈なんだろう? 確かに見たこともない怪獣や変身やスペクタクルは満載なんだがほとんどが印象に残らないのだ。「ああ、またか」で終わってしまう。3D映画も 3DTVも「だからどうした」になってしまうのだ。名作「キングコング」(1933)だって何回も作られているが、やはり本家に止めを刺すのだ。動きや合成はチャチかもしれないが「センス・オブ・ワンダー」があるんだ。「真珠湾攻撃」も数々の映画が作られたが「ハワイマレー沖海戦」(1942)がオリジナルだ。「パール・ハーバー」(2001)なんて、CGは凄いのだが、くだらんを超えて退屈極まりない極低のものだった。特撮(この言葉、古いネ)は面白い。しかしそれを超えた「ドラマ」があってこそ特撮も生きる。しかしだ、特撮を見せる映画もある。
そこで、大好きな映画に「アルゴ探検隊の大冒険」原題: Jason and the Argonauts(1963)がある。楽しいの何のって!確かにB級映画かもしれないが、特撮監督のレイ・ハリ−ハウゼンの形を1コマずつ撮影するモデルアニメーション手法に嬉しくなってしまう。そして人形と俳優が一体となって動く「ダイナメーション」、俳優の演技に合わせてコマ送り人形を動かすのだ。つまりマニュアルなんだ。手作りなんだ。もう、必然性のない撃ち合いやカーチェイスは願い下げだし、CGで都市を破戒したり怪物がゾロゾロ出てきてもアクビしっか出ないもんね。「アルゴ探検隊の大冒険」は彼の最高作だろう。青銅の巨人タロス、もうワクワクするではないか!動きは稚拙だが驚きの映像だ。踵の蓋を開けると溶岩のような熱湯が吹き出し倒れるなんざ….。吠える岩もいいね。 狭い海峡を船が通ろうとすると岸壁が崩れてくる。突如ポセイドンが現れ崩れる崖を抑えて船を通すのだ。大きな魚の尻尾が現れたりするリアルさが何とも最高!そして龍の歯を撒くと大地を割って7人の骸骨剣士が現れる。そしてチャンバラだ。クリーチャーのあの動きったら!もう!
今年5月レイ・ハリ−ハウゼン(92歳)が亡くなった。昨年に逝ったレイ・ブラッドベリ(91歳)とは高校時代からの友人だそうでである。ブラッドベリもハードSFではない。ファンタジーというか、少年の眼だ。….ハリーハウゼンもそうなのだ。現代のCGは遥かにリアルでありスピードと驚きの動きがある。しかし昔のダイナメーション動きは稚拙なのになぜ強烈な印象を与えるのか?
そう言えば … 近松門左衛門が語ったと言われる「虚実皮膜論」というのがあった。
「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰が有るもの也」。微妙な「虚」と「実」の間に芸があり観客を魅了するのだ。
何と江戸期に「人形浄瑠璃」で喝破している。太夫、三味線、人形使いの「三業」による三位一体の演芸である。誰だって人形なのは知っている。人形を操る三人も丸見えだし、絵空事であることは分かり切っているのだ。なのに何故、涙を誘うのだ。知らぬ間に人形だけに集中し、あたかも人形に心あるように見えるのだ。それは観客の集中力と想像力というものに依拠しているのだ。人形に感情移入し状況に同化するのだ。…..小説しかり、音楽しかり。注意を向ければ、自分が見たい聴きたいものだけが、見え聞こえるのだ。人形の向こうにドラマを見るのだ。ハリーハウゼンもその辺をよく知っていたのだろう。
11/ 18th, 2013 | Author: Ken |
リメイク考。
リメイク流行りである。アイディアが枯渇したか、わざわざ映画館に足を運んだのに、あまりのチャチさ雑さ作品に呆れたり、怒ったり、映画の衰退をまざまざと実感してしまう。これだけ映像技術やレンズ、CGが発達しても作り手のセンスやアイディアが無ければ所詮、駄作でしか出来ないのだ。そこでリメイクだ。まあ、お手軽なのである。「椿三十郎」のリメイクを見たが学芸会じゃあるまいし、その劣化性は鼻白むというより、苦笑しかないではないか! モノマネ以前の問題だ。黒澤明監督に失礼である。
【一命】嗚呼、時代劇の最高作を何としてくれる。何か汚された気がするのは私だけだろうか。おまけにカンヌ(とっくに何とか賞なんて地に落ちて宣伝用としか感じないが….)に出品するなんて恥ずかしい限りだ。前作【切腹】とは品格、質、重量感、比べるのも烏滸がましい限りである。原作は滝口康彦『異聞浪人記』である。作者は『明良洪範』にある短い話からきっかけを得たそうだ。
そこでネットで検索してみた。あるんですね。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/990298/91 巻之十二にある
「其頃は浪人甚だ多くして諸侯方ヘまで合力を乞に出たり 或日井伊掃部頭直澄居屋敷へ浪士一人来りて永々浪人致し既に渇命に及び候間だ切腹仕度候 介錯の士を仰付られ下さるべしと云 直澄聞れて其武士は吾家に抱へられ度き望みか或は大分の合力でも受たき望か内心に在んなれど左様は言はずしてわざと切腹致たくと言ふならん 其言ふ所に任せ切腹さすべしと云 是に因て食事をさせ切腹致させけるあとで直澄後悔しけると也 又神田橋御殿へ浪人推参し飢に及び候間だ御合力下さるべし 左様なくば御門内を汚し申さんと云 此時詰居たる者は大久保新蔵伊那傳兵衛など名高きしれ者ばかり詰居たれば幸ひ也 新身刀のためしにこやつを切て見んなど云けるを其浪人もれ聞て忽ち迯去しと也 是より諸侯方へ浪人の推参する事止みけると也」と………
【切腹】1962 ●監督:小林正樹 ●脚本:橋本忍 ●音楽:武満徹 ●撮影:宮島義勇 ●受賞:カンヌ国際映画祭(1963年 審査員特別賞)、ブルーリボン賞(主演男優賞:仲代達矢、脚本賞) ●キャスト:仲代達矢(津雲半四郎)、三國連太郎(斎藤勘解由)、
丹波哲郎(沢潟彦九郎)、石浜朗(千々岩求女)、岩下志麻(美保)、その他。監督はあの「人間の条件」を作った人であるから当然として、橋本忍の脚本は原作を深く解釈して無駄がない。時代考証も整い、武士の歩き方、角の曲がり方など卒がない。半四郎と勘解由との丁々発止の緊張感、「武士に二言は無いな」…半四郎は黙って脇差を少し抜き、ビシッと収める。言葉以上の言葉を見せるのだ。宮島義勇の映像も重く美しい。音楽の武満徹も鶴田錦史の薩摩琵琶の迫力ある響きで緊張感が胸に迫る。主演の仲代達矢は当時29歳だが五十歳台の半四郎を演じている。丹波哲郎(彦九郎)の端正で冷徹な演技、冷酷で底意地の悪い家老を演じる三國連太郎、この両者の対決こそが肝心なのだ。武士道の「面目」という儀式に象徴される「切腹」、武士の魂たる大小まで売り渡し、竹光など手挟む求女は、武士の風上にもおけぬ輩なのである。求女のそれが竹光であったと知った時、半四郎はいまだに大小にしがみついてていた己に愕然とし、刀を叩きつけ「このようなものに」と慟哭するのだ。だからこそ所詮は人間であるからこその「生きる痛み」を知ろうとしない井伊家の「武士道」「面目」「虚飾」という立前を糾弾するのだ。映画作りの生真面目さと緊張感、スタッフの意気込みがひしひしと伝わる、映画史に残る不屈の名作である。
【一命】2011 監督:三池崇史、脚本:山岸きくみ、音楽:坂本龍一、市川海老蔵(半四郎)瑛太(求女)、役所広司(勘解由)脚本は随所に橋本忍の剽窃が見られる。また時代考証も甘く、現代言葉が出てきたりして…..海老蔵の半四郎はとても戦国武士の成れの果てとも思えない弱々しさである。囁くような声、おまけに若すぎる。これではまるで兄弟ではないか。瑛太の求女も頭の鈍い高校生じゃないか!とても四書五経を教える寺子屋の師匠にはみえないし、三両を!と絶叫したり、落とした卵を地面に口を添えて啜るなんざ….見たくないですね(それが狙い?)。音楽も平板で全く印象に残らない。玄関の衝立も「切腹」では虎、「一命」では牛、苦笑しましたね。冒頭、終わりの表玄関、赤備えの甲冑….パクリじゃないか!
一言で言えば「カラーでのリメイクの作りよう、どんなものかと得と拝見仕ったが、やはり見苦しい」。
五十年という時が過ぎ、時代性というか製作者たちのパラダイムが違い過ぎるのですね。「切腹」は監督、スタッフ全員が戦争を超えてきた世代である。人間が生きる最低限を見てきた世代である。だから凄みがあるのだ。じゃ、現代人はどうすれば良いのだ?それは想像力である。誰も江戸時代に生きたことはない。所詮は作り事である。フィクションである。しかし、その時代を考証し深く知ることによりイメージを練り上げ、映画上に創造さすのだ。・・・だけど「現代の観客には武士言葉なんて分からないから現代語で話すのだ」と。それなら髷も付けなさんな。…武士道物しか描かない極めつけの劇画家平田弘史氏なら何と言うだろうか。彼は「武士道無残伝」だったか「切腹」を克明に劇画化していた。台詞も顔も同じである。VIDEOもDVDも無い時代である。何回映画館に通ったのだろう。たぶん「一命」なんぞ切って捨てるだろう。いや武士として「恥を知れ!」と。そうそう、名作「子連れ狼」の劇画脚本家、小池一夫氏が昔テレビで言っていた….「切腹」こそ時代劇の最高峰だ!と。…..僕も18歳からいままで20回以上は見ている。いやこれからも見るだろうな。台詞もシーンもすっかり覚えてしまったが、良い物は何回見ても見飽きないのだ。
9/ 12th, 2013 | Author: Ken |
華氏451度
火の色は愉しかった。ものが燃えつき、黒い色に変わっていくのを見るのは、格別の愉しみだった。……. 何十年ぶりに何度目かの「華氏451度」を読んでみた。時代が何か画一化され、ネットだスマホだゲームだ。「風立ちぬ」だ、「倍返しだ!」「あまちゃん」だ「東京オリンピック」だ…..。先日も「花は咲く」が流れ始めたのでTVを消すと、愚息が「オヤジ、人前ではせん方がええで」と抜かしやがった。電車の中で小難しそうな本を開いたり、ぼくはこんな本を読んでいますとは言い出せない。だからブログで吐き出しているんだ。別に「花は咲く」が悪いんじゃない。そのお手軽さと、”いかにも”が気持ち悪いんだ。ほら、”音楽エイドとか ”愛は地球を救う”なんて…..言葉だけでご勘弁をと言いたくなる。それを毛嫌いする奴は反社会人だ!のイメージ。………ぼくだって「阪神淡路大震災」で相当な….。大阪市長「中年H」の言動、「ヘイトスピーチ」の醜悪さ、嗚呼!「腹立ちぬ、いざ怒りめやも」だ。
本を持っても読んでもいけない社会。国旗や国家を強要する社会。権力が威張る社会。「自分」という眼を閉じる社会….。華氏451度(摂氏233度)は紙の燃えはじめる温度である。本書は、Fahrenheit 451(1953)はレイ・ブラッドヴェリのベストスリーに入るのではないだろうか。当時のアメリカに吹き荒れていたマッカーシズム、赤狩り、その忌まわしさと恐怖が書かせたのだろう。
「禁書」権力が有害と見做した書籍、いや、国民に知恵と理性による疑問を持たせないために政府が仕組んだ陰謀である。かって歴史には度々行われ、特にナチによる1933年の映像は有名である。これは記録フィルムで見ることはできるが「インディ・ジョーンズ」でもこのシーンを再現していた。火炎の持つ異様な興奮と高揚、ぼくもあの場にいたら思わずジーク・ハイル!と言ったかも………。
小説ではサラマンダー(火蜥蜴)のシンボルを戴く焚書官(ファイアーマン・fireman)である。蔵書や読書が反社会的であり、焚書官は本を火焔放射器で焼き尽くすのが任務だ。密告が奨励される相互監視社会である。家庭で人々は3DTVを彷彿させる映像に浸り「家族」と呼ばれる番組が主婦を虜にしている(あの….流ドラマを思い出しますね)。耳には海の貝と呼ばれるイヤホーンを四六時中差し込んで….。権力者は国民が馬鹿であるほど好都合なのだ。知らず、聞かず、語らず、考えず、自由を求めず、与えられたものだけで満足する愚民こそが必要なのだ。ディストピア(反ユートピア)の近未来を描いている。権力者が作った虚妄の番組で、思考停止にさせ、 戦争という危機を煽る社会なのだ。かって、ハックスリーの「素晴らしき新世界」があった。オーウェルの「1984」があった。日本でも現実として治安維持法があり思想的書物を持つ人たちを特高や憲兵が残酷に取り締まった。戦争中には「大本営発表」という捏造で人々を煽りながら、書
物による個人の直感、洞察力、認識力の高まりを抑えたのだ。非国民!と叫んでね。
そうそう、TVが始まった頃に「一億総白痴化」という言葉が流行りましたね。いまならネットで「七十億総白痴化」か!…..使い方次第だと思うけど。北朝鮮や中国ではネットを規制しているけれど….。「私たちにはキングもエンペラーもいらない。…..緩やかなアクセスと動いているコードがあるだけだ」。
「書物」とは知的財産なのだ。活字(いまはフォントといいますね)を文法というルールに従って並べれば文章というものになり、そこには想像力という映像(クオリア)を見る。なぜ記号の羅列から「喜び、好奇心、泣く、笑う、同情、怒り」などという情動が喚起されるのだろう(ぼくは古いのかモニターで見ても頭に残らない。消した瞬間に大半は忘れる。想像や感情が湧かないのだ。なぜなのだろう?)。「数学」は物理現象を記号で書き表し、「音楽」は楽譜という記号から美と快感と情動が起こり、「映像」は視覚記録と幻影を作りだした。いまや、すべてはビットという単位で作られ、データという電子で構成されている。
このウェブ時代に入りPCや携帯電話もたかがここ十数年のことなのだ。スマートフォンは携帯PCだし、どこまで行くのだろう。面白いことに、かって勤勉のシンボルであった二宮金次郎の銅像ね。背には薪を背負い、寸暇を惜しんで読書している。〜手本は二宮金次郎〜だ。でも街を歩いたらバックパックを背負いスマホを見ながら歩く人々が多い。あれっ?二宮金次郎と同じ格好だ。