8/ 10th, 2013 | Author: Ken |
耽美的映像美 …「斬る」。
60年代初頭、黒澤明監督の「用心棒」続いて「椿三十郎」が封切られた。その荒々しいまでの画面、異様な設定の宿場で繰り広げられる凄まじいまでの殺陣に喝采を叫んだ。従来の時代劇、いやチャンバラ映画に引導を渡したのだ。肉と骨を断ち切る、いやブッタ斬る効果音、噴出する血しぶき、スピード感とダイナミズム。今までの白塗り美剣士の踊りのような殺陣の概念を変えたのだ。これを見た映画各社とも悩んだだろうな。美男剣士が飯の食い上げなのだ。…..その中でみずみずしくも新鮮な時代劇が現れた。
「斬る」(1962年)原作:柴田錬三郎の「梅一枝」、監督:三隅研次、脚本:新藤兼人、撮影:本田省三、主演:市川雷蔵、藤村志保、万里昌代、天地茂、他。何が違うかって?…..画面がデザインされているのだ。1:2.35のシネスコ画面がレイアウトされているのだ。全編、耽美的映像美に満ちているのだ(ぼくは当時デザインを学ぶガキだったから、もう見とれてしまった。それから何回見ただろう)。
冒頭、極端に片寄った左隅に侍女の横顔 … 正面 … 赤い蹴出しと白足袋、暗い板の間に映り込みが美しい … 結い上げた髪をカメラがゆっくり下がると … 緊張した美しい顔 … 天井からの俯瞰撮影 … 眠る側室の布団に正座して …「国のため。お部屋様のお命申し受けまする」… 巨大な枯れ株に対比して白装束侍女と打首役の侍 … 白刃に滴る水 … 見合す侍女と侍 … 白刃一閃 … 太陽。この調子でストーリーは続くのだ。お話は柴錬、得意の数奇な産まれの孤高の天才剣士、女性的とも思える雷蔵の端然とした姿が美しい。これはグラフィックデザインだ。処刑場の侍女と侍、これは父と母だ。シネスコ横長画面に見つめ合う二人、この空間処理、デザインしたいために作った映画か?… 旅での途中で事件に遭遇、追手に追われる姉弟 … 弟を逃がすため白い肌、緋縮緬の襦袢、懐剣、素裸で立向かい「情けを知れ!」死とエロティシズムだ。 … 世は尊王攘夷の嵐に … 水戸 … 枯野で襲いかかる浪士団を切り、懐紙で刀を拭う、懐紙が空に舞い …. 刺客との一騎打ち、カメラが引くと、何と刺客の頭から股まで真っ二つ(漫画的だが新鮮)。… 水戸先代公命日とあって両刀をを預け … 刺客が…梅の枝を取り三絃の構え … 喉を挿し貫き … 仏間に駆けつけ…次々に無人の部屋の襖を開き … 主人大炊頭は既に絶命。… 静かに自刃。 … 最後にまたあの太陽が…….。監督のセンスと美意識に満ちた映画である。
◯監督の三隅研次は職人なんですね。何とか賞なんかに無縁だが映画作りが実に上手い。そう、A・アルドリッチとかW・フリードキンとか …日本では岡本喜八、五社英雄とか娯楽映画に徹した監督は面白い。世界のクロサワだって娯楽映画こそ最高なんだ。
★You tubeには何でもあるのですね。フルムービーで http://www.youtube.com/watch?v=qI9kZgu9GvI
2/ 12th, 2013 | Author: Ken |
TV、そしてボクシングに昂る…そんな時代も。
街から人と車が消えたことが何度かある。1969年7月20日、アポロ11号の月面着陸だ。そして1974年10月30日、コンゴ(当時 ザイール共和国)の首都キンシャサで闘われたWBA・WBC世界統一ヘビー級王座ジョージ・フォアマンにモハメド・アリが挑んだ一戦だった。
もちろん僕も期待と興奮で待ち望んだのだ。ほら吹きクレイことカシアス・クレイの”Float like a butterfly, sting like a bee” (蝶のように舞い、蜂のように刺す)華麗なフットワークと鋭い左ジャブは大男で鈍重なヘビー級の概念を変えたのだ。そしてモハメド・アリに改名、激しくなったベトナム戦争を背景に徴兵を拒否、ヘビー級王座を剥奪され、3年7か月間ブランク、そして実力で王座奪還を果たし復帰、折から高まった公民権運動にも積極的に参加、黒人差別への批判的な言動を繰り返した。
その頃のチャンピオンは「象をも倒す」と言われたジョージ・フォアマンだった。年齢的に最良の時代に試合が出来なかったアリはもう全盛期を過ぎたと見られていたのだ。…試合にはイライラさせられた。アリはロープを背にガードを固めてひたすら打たれるだけ。あの軽やかで派手な闘いぶりを期待していただけに、フラストレーションが積もり悪態をつきながら…..ラウンドが過ぎていった。
フォアマンも打ち疲れた。8ラウンドだった。一瞬の隙をつきアリのワンツーが炸裂、フォアマンが崩れた。あっけないKO勝利だ。これを「キンシャサの奇跡」と呼ぶそうだが、アリはクレバーな ” rope a dope ” という戦法だとうそぶく。フォラマンは一服盛られたのだという噂もあるが(そういえばdopeには麻薬の意味もあるね)、アリは奇跡を呼ぶ男として名声を不動のものにした。
60年代、エスクアイア誌が輝いていた。あの名アート・ディレクター、ジョージ・ロイスのアイディアと機智に富んだ表紙に驚いた。僕はデザイン学校に通っていたのだが、英語も分からないくせに古本屋で見つけては眺めていたのだ。どうしたらこんな発想ができるんだ? それ以来、学校の課題も稚拙な頭で考え制作提出した。成績は悪かったですね。日本のデザインの世界には、こんなデザインは通用しないのだ。レイアウトもノンデザインに見えて、実はダイナミックで神経が行き届いているのに。アリに矢が刺さった表紙なんて、 グイド・レーニかソドマの「聖セバスチャンの殉教」だ。それが「モハメッド・アリの受難」!このウィット! 脱帽だ!
TVが熱かった。ボクシングが燃えていた。そんな時代だった。ファイティング原田 vs キングピッチ戦に万歳を叫び、カミソリパンチの海老原、黄金のバンタム、エデル・ジョフレ、ロープ際の魔術師ジョー・メデル …..いつかアリも猪木と闘うモンキービジネス化し、ボクシングもマイク・タイソンの頃から試合を見なくなった。いまは全く見ない、いや見たくないのだ。まず階級が多すぎる。いつのまにこんなに増えたのだ。だからやたらとチャンプが多い。おまけにK兄弟だなんて…..フッ!。デフレ現象、低品質の安売りのオンパレードだ。スポーツもエンターティンメントだと分かってはいるさ。しかし、プロレスもキックボクシングもK1もいつしか消えていった。いろいろと問題も多いが「相撲」はまだ歌舞伎と同じく、あの古式に法り命脈を保ってはいるが….。どうだかね。
1/ 9th, 2013 | Author: Ken |
独立愚連隊 … そして映画看板
俳優、佐藤允が逝った。僕は彼の大ファンだったのだ。金壷眼の特異な風貌は用心棒や殺し屋役によくはまった。和製ウィドマークと呼ばれ後半には和製ブロンソンとも呼ばれた。「暗黒街」シリーズや「野獣死すべし」(1960:東宝)では殺し屋、黒いシャツに白ネクタイのギャングがよく似合った。貸本の「影」や「街」なんかのタフガイもこんな格好だったのだ。目深に被ったソフト帽、トレンチコートという小道具はこのジャンルには欠かせないものになった。ブラックジャック(革袋に砂と鉛を入れた凶器)…これは大藪春彦の小説で知った。当時の不良(死語?)はメリケンサックやチェーンをいつも忍ばせていたものだ…時代が分かるネ)。
そして「独立愚連隊」(岡本喜八監督1960:東宝)だ。面白いの何の!それまでの日本製戦争映画は反戦思想を反映して暗く重かった。ハリウッド製は星条旗パタパタで、登場する日本兵はドジで間抜けで、歩哨は首を刈れるはGIの一連射で数十人は倒されるは、おまけにかっこ悪い軍服とゲートルで不釣り合いな38式歩兵銃だ。「独立愚連隊」の主人公は細身のパンツに革の短パンを重ね、軽機関銃を腰だめで連射するは、スパイ容疑の美人(何と!隠し砦の雪姫様だよ)の銃殺シーンでは処刑将校のブローニング拳銃の銃口を手の平で押さてうそぶくのだ(ブローバック機構だから発射できない)。ラマ寺の廃墟や鶴田浩二扮する馬賊の頭領、元恋人の慰安婦(いまこの言葉には注意を要する)は雪村いずみだ。気が狂った隊長は三船敏郎だし、八路軍の大集団を殲滅するやら、痛快この上なしだ。彼のふてぶてしさ、精悍さ、戦闘機乗り的眼光、それでいてコミカルな味は劇画の主人公みたいなのだ。
「独立愚連隊西へ」では八路の隊長フランキー堺が絶妙でしたね。まあ、戦争西部劇、コミックパロディー物の愉快な映画なんだが、日本人は生真面目だから「戦争を茶化すとは何事かッ!」「散華した人たちに恥ずかしくないのかッ!」とか顰蹙を受けたとも聞く。
しかしだ、戦争の愚かしさを笑い飛ばすのは反戦映画だとも言える。余談だが戦争を経験してきた人たちが作った映画には何か凄みのようなものと哀感があった。それが80年代からの戦争映画には妙なフォーク調ソング、最悪は近頃の初音ミクだろう。…その低次元の捉え方、お手軽なのだ。その心底のイージーさに恥ずかしくて汗が流れる。クサイのだ。愚劣の臭気なのだ。….ああ、恥ずかしい。
そして戦争映画の隠れた傑作「独立機関銃隊未だ射撃中」(谷口千吉監督1964:東宝)で佐藤允は機関銃手の上等兵役だった。農村出身で遺書を書くシーンでは覚束ない字で「とったんは…..」、ソ満国境のトーチカの中だけという設定も、敵戦車にアンパン(破甲地雷)で肉薄したり、「西部前線異常なし」を意識したエンディングの空しさ…。
… 映画館の暗闇に身を沈め時間を忘れる没入の快感。もう、あんな時は二度とないのでしょうね。映画の黄金時代だった。映画館の看板も巨大でおどろおどろしく、キッチュで欲望をそそったのだ。この正月に前から気になっていた「青梅市」に行ってみた。レトロな昭和を売り物の町おこしだ。映画の看板がたくさんあるというので … ところが美大生のアルバイトか? 小さいのだ、ショボイのだ。あの大胆で大げさでポップでキッチュな大看板を見たかったのに。これがシネラマだ!とかベンハーとか、黄金の腕、ナバロンの要塞、大いなる西部とかね…..。
昔は看板職人が駐車場みたいな広い場所にベニア板のパネルで何十畳もある看板を泥絵の具で描いていた。弟子たちと分業でね。近くで見ると雑いのに看板として立ち上げると、錦之助や大友龍太郎、唐獅子牡丹の健さん、カーク・ダグラスが圧倒的な存在で迫ってくる。…最後に先生は梯子に昇り仕上げだ。おもむろにホワイトを入れる。B・ランカスター白い歯が眩しく、A・エグバーグの唇が輝き、ヘップパーンの瞳がひと際眩しくなるのだ。まさに画龍点晴とはこのことだ。あの職人、名人も時代とともに去っていったのか……。
11/ 28th, 2012 | Author: Ken |
Farewell my Lovely…..さらば愛しき女よ
戦争の足音が近づく1941年・夜のロスアンジェルス下町、やるせないアルトがむせび泣く、クレジットが流れる、ネオンが映る安ホテルの窓、初老の男のつぶやき「最近疲れを感じる….関心はジョー・ディマジオの連続安打だけだ….」この哀愁がたまらないのだ。(連続56安打というディマジオの不滅の記録が生まれ、12月8日には太平洋戦争が始まった。この前の年にはディズニーのファンタジアが封切られた。オールカラー、ステレオ、クラシック音楽をテーマに…嫌になるね、我が国では軍歌と特高、憲兵が…贅沢は敵だ!の時代なんですよ)
閑話休題 … 大男ムース・マロイ(ジャック・オハローラン)これがいいんだ、チンピラのS・スタローン、こんなマーロウ映画はもう作ることが出来ないだろう。だって時代背景を理解している人がいなくなったのだから….。いまソフトにトレンチコートなんて人いますか? 探偵なんて家業も浮気調査くらいなものだろう。スマートフォンやGPS、DNA鑑定とくりゃタフガイも形無しだ。… ハードボイルドは男の夢だからいいんですよ。最後のシーンもいいですね。「ポケットの二千弗が家が恋しいとサ…泣かせますね。
★世の中には親切で同じことを感じる人がいるものだ。 http://www.youtube.com/watch?v=JiiBwT9h2u8 をぜひ見てほしい。…この方にお会いする事があったらフォアローゼスを並々と一杯ご馳走したいものだ。
「さらば愛しき女よ」(1975年)●音楽 デヴィッド・シャイア 監督 ディック・リチャーズ 出演 ロバート・ミッチャム、シャーロット・ランプリング、ジョン・アイアランド 他
9/ 15th, 2012 | Author: Ken |
エイリアン、お前もかッ!
お許し下され今回は支離滅裂です。【Alian】異邦人、【営利案】金儲け企画、【鋭利案】切れ味鋭い考え、【絵入り餡】フォーチューンケーキ。…………かのギリシャ神話曰く、兄のプロメテウスは「先の知恵」すなわち先見の明を持ち、神から火を盗んで人類に与えた。弟のエピメテウスはepi(後の) metheus (知恵)という「後知恵」である。「タラとレバ」なんですね。あの時ああしていれば良かったと後悔する、まるで私だ。
人類はどこから来たのか? 壮大なタイトルに牽かれて映画「プロメティウス」を観てきた。ウーン、如何な物か!なんでしょうかね。政治家の発言みたいになってしまうが、入場料を払った以上文句の一つも言わせてもらわねば…..。あの鬼才リドリー・スコット監督、それだけに期待をしますわナ。ところがどうだ、船長は長距離トラックの運ちゃんがお似合いだし、主人公の女性科学者は一昔前のカラオケスナックのママみたいだ。その他の乗員も似たり寄ったりでちっとも科学者や宇宙飛行士に見えない。アンドロイドはアラビアのロレンスの真似をするし、この探検プロジェクトのオーナー老人の登場は?だしメイクも酷いし、そのスタイル抜群の娘なんて!
CGと3Dはたっぷりなんだが、「エイリアン」とスピルバーグの「インディ・ジョーンズ・クリスタルスカル」(もういいよ!)とスティーヴン・キングの「ザ・ミスト」(2007/フランク・ダラボン監督:後味の悪さは相当なもの)を足して3で割って、混ぜて薄めたらたらこんなもんか! 舞台は2090年代なのに安モノのカジュアルを着たり拳銃を撃ったり(おいおいレーザー銃でも無いの?)チンケな火炎放射器、兵員輸送車やヴィークルもイラク戦争じゃないんだよ!「地球の空気と同じだ」と言って簡単にヘルメットは脱ぐは(あのー、未知のウィルスとか…..)ハードのお膳立てがどうしようもありませんね。
おまけに「人類はどこから来たのか?」と哲学的考察でもあるのかと思ったら、….あのエンジニア(創造者)とはアメリカで勢力を持つID(インテリジェント・デザイン)受けを狙ってかしら? ……どうせならツァラトゥストラぐらいの名前にすればいいのに!
太古に宇宙人が地球に訪れてDNAをまき散らした?それ何時?40億年前?…..A・C・クラークの「モノリス」の方が! 宇宙船の中も惑星も1G、冷凍冬眠や超光速飛行、それはオバカSFだから許せるとしても、宇宙船のプラスチック・コックピットのペラペラさ(宇宙船の形態はクリス・ロスの描くところのパクリ感がありますね)、ロボット(2にも登場しましたね。首が飛ぶのも二番煎じ?)がアシモフの三原則を破って「人命より会社の命令を最優先する」のも有りかな? 超推進エンジンがイオン?…もうマイナス・イオンのブームも去ったことだし、エイリアンの宇宙船が落ちながらのしかかってくるときに横に逃げたらいいのにネ。
生物兵器の開発?….あんな大きなものでは?ウィルスは極微だし無数に増えるから怖いのでしょう?イカのお化けもどこで栄養とって巨大化したのでしょう? 一番にツッコミたいのは老人の車椅子、撮影所近辺の病院から借りてきたの?…おいおい宇宙船の中は地球重力1Gで制御出来るんだろ? カッコいいデザインの反重力車椅子でも用意しろよ。
それで思い出した「2001年宇宙の旅」はいま見ても古びませんね。そしてタルコフスキーの「ソラリス」も。やはりしっかりした背景、コンセプト、哲学がなければ、どんな娯楽作品だってそれまでですね。CGや技術がいくら凄かっても「観るのは人間」だし、観客だって馬鹿ではありません。いくらエンターテインメントだと言っても内容を求めますよ。
監督のリドリー・スコットは「決闘者」を観て大好きになり「エイリアン」では最高に面白い!脱帽!だった。ギーガーの世界も超不気味だった!(早速、画集「ネクロノミコン」を買いました)そして「ブレードランナー」(1982)もなかなか。シド・ミードのデザインが秀逸(「画集センチネル」も最高ですね)!….映画で特に記憶しているのは増田喜噸みたいな親父が「二つで充分ですよ!」かな….。嗚呼、リドリー・スコット老いたり!映画産業とハリウッドの凋落、大きなシネコンのホールには僕を入れて観客はたったの二人!ポップコーンもコークも不味かった…..。
●「エイリアン」監督:リドリー・スコット(1979)大好きだ。「エイリアン2」(1986)監督:ジェームス・キャメロンまでは付合えた。でもプレデターと競演(2004)するとはお終いだ、堕落だ!
●「プレデター」(1987)監督:ジョン・マクティアナンは結構いけました。「プレデター2」は苦笑以下だった。「プレデターズ」(2010)監督:ニムロッド・アンソール…..もう合掌するしかないですね。
嗚呼、噫、ああ、エイリアンよ、プレデターよ、ターミネーターよ、堕落の道を歩む….お前もか!
3/ 24th, 2012 | Author: Ken |
モ、もう一度、会いたい。
そう、あの頃、暗闇のなかで見た映画。何故か心の隅に沈積し、普段は忘れているのだが時折りかすかな香りとも光景ともつかぬものが漂い、もう一度見てみたいという衝動に駆られる。あのスクリーンに魅入れられ没入したものは….。いま見れば詰まらないのかも知れないが、その朧げな映像の断片が眼前を過るのだ。この情報の時代だ。探せばDVDで発売されているのもあるだろう。しかし、場末の映画館でぽつねんと一人見入っいた時、ENDマークまで通常世界の時間は完全に止まっていた。あの暗闇のなかで….。
● 「独立機関銃隊未だ射撃中」(1963)監督:谷口千吉 佐藤允出演とあったので題名からも独立愚連隊モノの新作かと思った。…敗戦間近のソ満国境、トーチカに立て籠る日本軍に嵐のようなソ連軍が迫る。閉塞したトーチカの中だけが舞台、秀作です。
● 「沖縄健児隊」(1953)鉄血勤王隊の少年たち。爆薬を背負い戦車に肉薄する少年兵、「戦艦大和が来るぞー!大和はまだかー!」絶望のなかでは嘘と分かっていても微かな望みを叫びたくなる。そんなシーンがあったように思える。なにしろ、ぼくはほんの子どもだった。暗闇のなかで堪らなくなり泣きました。「ひめゆりの塔」、「きけわだつみの声」も同じ頃でしょうか。
●「泳ぐ人」(1968)不思議なイントロである。逞しい肉体、スイムパンツだけの男が林のなかからプールサイドのパーティに…..、眩しげに空を見上げ、そうだ「泳いで帰ろう」。友人たちのプールを泳ぎ過ぎながら男の過去や本当の姿が浮かび上がってくる….。
●「ある戦慄」(1967)N.Y.の深夜の地下鉄、乗り合わせた様々な人々、そこに凶悪な二人のチンピラが乗り込んでくる。傍若無人の振る舞いに乗客たちは。ああ恐ろしい。暴力の前の人間、あの乗客の一人が僕だったら….見るのが堪らなくなる。
● 「秘密殺人計画書」(1963)この面白さ!大物俳優が意外な姿で。フィリップ・マクドナルド原作/ジョン・ヒューストン監督。ジョージ・C・スコット、トニー・カーティス、カーク・ダグラス、バート・ランカスター、ロバート・ミッチャム、フランク・シナトラ等が変装とトリックを駆使して…。最後に「皆さん分かりましたか?」
ああ、もう一度、ぜひ、是非とも、見てみたい。
●「銃殺」(1964)監督:小林恒夫、主演:鶴田浩二。霧の中から兵隊が行進、歌声が聞こえる。〜汨羅の渕に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ 混濁の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く….. 世界恐慌の波は日本にも吹き荒れ、世相は悲惨と混乱で疲弊していた。東北では娘たちの身売りが….祖国を憂える青年将校達は二・二六事件を…。ほとんどの2.26映画は見たし、文献、小説等も数多く読んでみたのだが、この映画が当時の世相と蹶起の心情を一番映しているように感じた。処刑シーンは史実を踏まえて圧倒的。
●「シェラデコブレの幽霊」(1964)あまりに恐ろしい映像描写で試写会で体調が悪くなる者が続出した…の伝説がある。(ダリのアンダルシアの犬も当時失神する女性が続出したと言う)確かポジネガ反転による幽霊映像の記憶がある。世界に2本しかフィルムが残っていないそうだ。その1本は日本にあると噂に聞く。昔、TVの洋画劇場で見た。DVD化されないものだろうか。
●「マスター・ガンファイター」(1974)五社英雄の「御用金」そのもの。舞台を西部に移して。連発銃と刀を持った流れ者が、権力の横暴と戦うのだが。監督はフランク・ローリン、「御用金」では竹馬の友でありながら戦う仲代達矢と丹波哲郎、かじかむ指に息を吐きかけながら….背景は海岸で漁民達の御陣乗太鼓が勇壮に鳴り響く…。アメリカ版ではインディオたちが仮面を被り太鼓を打ち鳴らし、…そこまでソックリにやるか!
● 「恐怖の振り子」(1961・AIP:B級映画専門?)E・A・ポー原作「振子と陥穽」異端審問にかけられた男に巨大な刃物の振子が刻一刻と迫る。シャー、シャー……。まあB級映画なんだが、何しろ脚本がリチャード・マシスンだ。ロジャー・コーマンが「アッシャー家の惨劇」(1960)に続いて発表した作品。続いて「赤死病の仮面(1964)。それにしてもポーの原作を彼の詩のように格調高く美意識と幻想を文学的、芸術的視点で描いた映画はないのか?「世にも怪奇な物語」のウィリアム・ウィルスン(アランドロン)はなかなかだったが。写真集では「黒夢城」サイモン・マースデンが素晴らしい。そこには崩壊した古城、苔むした墓地、 闇に浮かびあがる黒猫、幻想的いにしえの怪……。また、マシスン原作の「地獄の家」これは傑作。低くドロドロと鳴動する太鼓とベラスコの亡霊が….。それにしてもリチャード・マシスンは才人ですね。
●「眼には眼を」(1975)シリアの小都市、仏人医師 (クルト・ユルゲンス)、医師の怠惰さで現地人の妻が死ぬ。その夫である男の復讐譚。砂漠を彷徨し、炎天、渇き、医師は叫ぶ。「殺してくれ、死んだほうがましだ!」。男は言う「俺も女房が死んだ時そう思った。その思いをおまえに言わせたかった」。最後に男は街の方向を指し示す。男を信用しない医師は反対の方向に歩き始める。…カメラが引くと行手には茫漠と連なる荒れ果てた山々だ。….
●「悪魔の発明」(1958)チェコのアニメーションの巨人カレル・ゼマン:ジュール・ヴェルヌの同名原作を映画化したSF冒険活劇。背景はギュターブ・ドレか?ノスタルジックなエッチング。アニメと俳優の演技を合成。独創的な不思議世界を構築していた。
●「殺しのテクニック」(1966) 監督:フランク・シャノン、 出演:ロバート・ウェバー。…..狙撃銃の慎重なサイト合わせ…NYに向う…朝焼けに浮かび上がるマンハッタン。ビルの屋上からの狙撃、ライフルの組み立て、 風向、細かい描写がたまらない。 相棒の生意気な殺し屋が何と!あのフランコ・ネロだ。これぞB級映画の王道である。… 日本でも加山雄三主演 「狙撃」(1968)、殺し屋森雅之が襲いかかる犬の群に7.62ミリ・モーゼルC96で…。ゲバルトなんて言葉が流行った時代でした。そして、あの蠍の目の男ヘンリー・シルヴァ「二人の殺し屋」これもいいんだな。
●「ソルジャー・ボーイ“Welcome Home”」(1972)ベトナム戦争から帰還した4人の若者がカルフォルニアに向う、人々の眼は冷たい。「俺たちは祖国のために戦ったのじゃなかったのか?」。様々な冷酷な仕打ちにとうとう….田舎町で武装し皆殺しを…戦争に傷ついた青春の哀しさ。監督:リチャード・コンプトン、出演:ジョー・ドン・ベイカー、ポール・コスロ…..。「アメリカは遂に俺たちを愛してくれなかった」。
●「探偵スルース」(1973)流石はミステリーの帝国である英国劇だ。たった二人だけしか登場しない(三船敏郎とリー・マービンの「太平洋の地獄」も二人だけで)L・オリビエ&M・ケインが丁々発止と火花を散らし、変装と演技合戦でいかに相手を出し抜くかが見物である。豪壮な大邸宅のラビリンスの庭で….。
●「価値ある男」(1961)メキシコ映画、あの世界のミフネが、酒浸り、乱暴者、打ち買う、神頼み、の愚か者を演じる。なぜ価値ある男なのか? 最後のシーンで哀しくもある男の姿….。
ああ、ウーン、見てみたい!
3/ 19th, 2012 | Author: Ken |
アッ!電送人間だ!…B級だからってバカにするな!
B級といえばB級グルメの真っ盛りである。日本のブログの大半はこれで占めているのではないか….そんな気がする今日この頃である。
まあ、食べることならたいして罪が無いからいいのだけれど、食べログなんてステマ(ステルスマーケッティング、つまりヤラセが多いと報じられた。まあ行政も原発電力会社もやっていることだし….)。かってはレコードにもA面とB面があり、世間でBクラスといえば小馬鹿にした響きが感じられる。映画だってそうだ。文芸大作だの、芸術作品だの、構想十年、数百億ををかけただの….。
ところがB級は低予算、速撮り、大物スター出演なし。しかしアイディアと奇想天外さが売物だから、こりゃ面白い!に徹する訳だ。一種の爽快感ともいえるナンセンスとアホらしさが嬉しいのだ。キッチュの味とも言える。要はエンターテインメントなんだよ、活動写真なんだ。目くじら立てなさんな。…これだね。でも放浪癖の香具師のオッサンの話だの釣りキチサラリーマン物語。ああ、止めてヤメて!見ているこちらが恥ずかしい。釣りの話しならR・ハドソンの「男性の好きなスポーツ」スラップスティック・コメディ、ピンク・コメディとも言いましたね。
ドリス・デイの大ファンでした。「夜を楽しく」とか「恋人よ帰れ」これはマジソン・アベニューの広告屋のお話し。何と笑うハイエナ、R・ウィドマークも「愛のトンネル」でドリス・デイと。… 悩みなきパックス・アメリカーナの時代ですね。おおオールディズ&グッディーズの日々よ。プレスリーも青春ものに粋なアンちゃんでね。最近はスプラッターだの、CGだの、血飛沫と悲鳴と醜悪さとヌルヌル、ぐちゃぐちゃ、生理的不快感にこれでもか、これでもか…と。もう食傷してかえって詰まらないんですね。そう、品性を忘れたところに映画の末期的形相が見えてしまうのだ。
…あの期待に胸弾ませながら暗闇に座った密かな楽しみ。まだポップコーンもコカコーラも珍しく、トイレの匂いがかすかに漂う場末の映画館。二本立て三本立ては当たり前、四本立てを見た事がある。….時間がゆっくり流れていたのですね。当時は二本立てが常識だったから、A面は文芸大作でB面はおまけみたいなものだから喜劇や肩の凝らないイージーなものが多かった。森繁の「社長シリーズ」なんかね。いまでもカンズメ会社の宴会のCMソングを歌えるのだ。カーン、カーン、カンズメカーン、クジラだー…..松林宗恵監督に乾杯。
「獣人雪男」子どもだったけれどポスターを見て血が騒ぎましたよ。「電送人間」当時はファックスさえ無かったし、まさにインターネットの先取り?洋画「蠅男の恐怖」の影響でしょうね。「ガス人間第一号」これが好きなんだ。八千草薫さんの美しいことといったら!色白で清楚でつぶらな瞳に小さくぷっくりした下唇。ガス人間でなくても崇拝しますよ。落ちぶれかけた踊りの名取りなんだが、新作発表の題名は「情鬼」なんですよ。夜叉能面の下に綺麗ったらありゃしない八千草さんだ。爺やの左卜全がまたいい。そして最後が哀しいですよね。「美女と液体人間」「マタンゴ」、松竹では「ゴケミドロ」なんてのも、何とシャンソン歌手の高英夫も出演。東宝映画では水野久美さんの眩しい肢体、白川由美さんのクラブ歌手、土屋嘉男、中丸忠雄、平田明彦たちが常連….、本多猪四郎監督に敬礼!
…そしてダ、これは極悪B級、いやZ級、極悪、邪道、隠れた傑作?あの新東宝・大蔵映画のキッチュの極めつけ「地獄」(1960)ですよ。ダンテ・アリギエーリも真っ青(恐らく下書に)、おどろおどろしくも死装束に額に三角形の紙冠をつけを亡者の大群が地獄を行進するシーンなんざ、絶句!何と閻魔大王がアラカンなんですゼ。大霊界の丹波哲郎が出ていないのは残念、でも彼は今頃あの世で?….そういえば題名は忘れたがロビン・ウィリアムスの地獄に行くのもありましたナ、こりゃ結構いけますよ。
洋画でも嬉しくなるのが「大アマゾンの半魚人」とか、凄いのは題名が思い出せないのだが宇宙から巨大蜘蛛が襲ってくる、それがフォルクスワーゲンに毛皮を被せて巨大な脚をつけてゆらゆら走らすの。トリックがまる分かりで大爆笑でしたね。どなたか題名を教えてください。「バタリアン」とか世界で一番下品な人間「ピンク・フラミンゴ」ゲーッ!とか…。。「エルム街の悪夢」この頃はまだ真面目に見ていたのです。そうそう「トレマーズ」、巨大な芋虫が地中を猛スピードで突進する。あのケビン・ベーコンさん、やはり出ていましたね。大ファンですよ。「振動をあたえるなッ!」なんてね。これをコントロールしたら「黒部の太陽」でも、ヒマラヤ山脈をぶち抜くなんざ….土建屋が喜ぶぜ。「ベルリン忠臣蔵」サムライ大好きのドイツ人がいじらしい。「悪魔の毒々モンスター」日本人の父に会いにNYからウィンドサーフィンで日本に渡るやら、丸の内のビジネスマンの丁髷やら、鼻が鯛焼きになるやら…。
「カタコンベ」落ちのあまりの陳腐さに絶句。「死霊の盆踊り」あまりのアホらしさの都市伝説と噂に恐ろしくて未だ見ていない。「マチェーテ」無茶苦茶なんだが大物俳優出演、R・デニーロ、S・セガールが出ていた。「SAW」は汚いけれどなかなかの出来。「CUBE」アイディアに感心、脱帽!たぶんルービックキューブで遊んでいて思いついたのだろう。大好きな「マスク」「ジュマンジ」これはアイディアが素晴らしい…A級か。そして「マイケル・ムーア監督のTVシリーズ、「恐るべき真実」正直唸りましたね。マクドナルド食い過ぎの監督が突撃、警官に撃たれないために派手なオレンジの財布を配ったり、裏切り者ミッキーマウスを蹴落としたり。
…..おまえはこんなナンセンス物しか見ていないのか!とお叱を受けそうなので自己弁護を。…..ン、確かに否定はしないがぼくはATG(アートシアターギルド)の初会会員だったんだゾ。あの小難しい映画を分かった振りして通っていたんだゾ。エイゼンシュテインもタルコフスキーもベルイマンもフェリーニも小津 安二郎も溝口 健二もみんなみんな素敵だった…..。
そう、A級もB級もC級もZ級までも含めて映画が青春だった。
3/ 10th, 2012 | Author: Ken |
これぞプロフェッショナル。R・Aldrich
I’ve written a letter to Daddy His address is Heaven above I’ve written “Dear Daddy, we miss you
And wish you were with us to love” Instead of a stamp, I put kisses
……お父さんに手紙を書いたわ….舞台で愛らしもこましゃくれたベビー・ジェーンが歌う。….時は過ぎ古い屋敷に年老いた姉妹が暮らす。かって名子役で一世を風靡した妹のジェーンはアル中で昔の夢が忘れられない。大女優であった姉のブランチは車椅子の生活だ。
この姉妹の心の中の鬱憤、葛藤、陰湿、幻想、憎悪、残酷、狂気。そして醜悪と滑稽と哀れさと、感傷など無縁の狂気迫る世界だ。それにしてもベティ・デイヴィスは凄い!まさに怪演。あの「イヴェの総て」の大女優が醜怪な厚化粧の老醜を曝して見事に演じる。
まあ、「八月の鯨」では心温まる老婆を演じたが。ほら、ピアノ教師が古い楽譜を弾き始めると二階からジェーンが満面の媚びで下りて来る。踊り歌う….It’s a wonderful! このシーンにはゾクゾクしてきますね。何て映画作りが上手いんだろう!そう、アルドリッチだからだ。
これぞプロフェッショナルだ。ロバート・アルドリッチ監督の映画はどれを見ても頗る面白い。まずテーマとアイデアが凄い。異様な状況設定のなかの人間を描くのだ。そしてハラハラドキドキ観客をいたぶる技巧に冴えているのだ。徹底してセンチメンタルを排したハードボイルドである。骨太である。汗臭い。異端である。男達の面構えが不敵である。執念がある。怒りがある。憎悪がある。心理サスペンスが深い….。こんなことをいくら書いても映画を見れば分かる。
初めて観たのが「攻撃・Attack」(1956)だった。気力を振り絞りジャック・パランスが神に祈る…どうかもう1分間だけ生かして下さい。絶叫の形相のままの死。これぞ西部劇「ヴェラクルス」(1954)だ。バート・ランカスタターの不敵な笑み、真っ白な歯がニカッ!舞台は南北戦争後の動乱のメキシコ、ガンマンたちの悪相、息もつかせぬ展開、革命軍や太陽のピラミッドで有名なテオティワカンの古代遺跡群を背景にヴェラクルスに向う、最後の決闘シーンなんて世界中が真似したのだ。主役を喰うとはこのことだ。
「北国の帝王」(1973)これまたホーボー対鬼車掌、無賃乗車のプロ、車体の下に隠れたをホーボー追い出すのに分銅を線路に踊らすなんざ….。「飛べフェニックス」(1964)冒険小説好きにはこたえられません。「何がジェーンに起ったか」(1962)….老醜といえばグロリア・スワンソンの「サンセット大通り」(1950)監督ビリー・ワイルダー。その最後のシーン、カメラの砲列、フラッシュ、アクション!往年の大女優が妖艶のオーラを放ちながら迫ってくる。……鬼気迫りますね。
「ロンゲストヤード」(1974)刑務所で囚人対看守のフットボールでの闘い。エド・ローターがいいんだ。連中の凶悪なこと、黒澤の「用心棒」、丑寅の子分達を想像させますね。「燃える戦場」(1970)高倉健出演、両軍を隔てる広場をひたすら駆ける。これが撮りたかったのか?….アルドリッチには他にもたくさんあるのだが、どれもこれも秀逸です。
彼の作品は決して文学作品や芸術作品ではない。映画の職人でありプロフェッショナルだ。観客をハードに喜ばせてくれるのだ。残念ながら一部を除いた日本評論家たちにはこの面白さは分からないのだ(まあ、岡本喜八、五社英雄、三隅研二監督はいたけれど)。貧乏臭いウジウジした私小説的世界が映画だと思っている連中にはね。アメリカという風土が生んだデザイン手法なのだ。Esquire誌のジョージ・ロイスやTIME誌の表紙にあるのと同じアイディアの根源なのだ。小説家・監督であったマイケル・クライトンも同じだ。「ウェストワールド」のブリンナー扮するロボット、これはターミネーターのモトネタじゃないか!….ロバート・アルドリッチ、観客の心に対してダイナミックにデザインしているのだ。これぞプロフェッショナルの仕事だ。
1/ 31st, 2012 | Author: Ken |
猿の惑星 Planet of the Apes
1968年はSF映画の当たり年だった。「2001年宇宙の旅・2001:A Space Odyssey」と「猿の惑星・Planet of the Apes」だった。
もちろん2001はアーサー・C・クラークとキューブリックによるハードSFだ。だから両者を比べる訳にはいかないのだが、同じよう
に猿人と猿が出てくるから、そのメークアップが面白い。「猿の惑星」はフランス人のピエール・ブール原作で、彼は「戦場に架け
る橋」の原作者でもあるのだ。彼は仏領インドシナで現地人を使役していたが、第二次世界大戦中、ヴィシー政権軍によって捕らえ
られ日本軍の捕虜となった。この捕虜経験が、後の「猿の惑星」繋がったのではないか?まあ、早い話「猿」は日本人やアジア人で
ある。黄禍論が底にあるのだろう。「カナシマ博士の月の庭園」というのも読んだ記憶がある。 月に一番乗りを目指す米ソに先駆け
て、日本人の博士が片道燃料で特攻着陸をやってしまうのだ。そして月で腹切りするという、まあ戦争中の日本人を見れば無理も無
い話なんだが、あんまりいい気はしないね。 映画の方は人間社会への辛辣な風刺をこめた作品で、最後のシーンなんて強烈なショッ
クだった(数えたことはないが自由の女神は何回壊されたのだろう。知っているだけでも…..)。 人と猿との「立場の逆転」がヒトと
いう種の傲慢さを考えさせるのだ。…ほら、お隣の国にGDPが負けたとかで憤慨したり、またそのお隣の国を侮蔑する輩も多いじゃあ
りませんか。戦争のニュースの無い日はないし、世界中で他者を憎悪したり、奴隷にしたり、収奪したり、恫喝したり、殺したり、鬼
畜米英だのイエローモンキーだの、相手が不信のあまり原水爆で人類そのものを絶滅させる道具を未だに大量に持っているじゃないか。
少なくとも人間以外にそんなことをする動物はいないのだから。
….猿の惑星….あんまりヒットしたものだから続々と続編が作られた。正直、落胆しかありませんでしたね。最初の新鮮なアイディア
が 通俗となった作品は堕落でしかないのだ(エイリアンの斬新さもプレデターと共演するようになればお終いだ)。…..コーネリアス
なんて名前が懐かしいですね。 2001年宇宙の旅はシネラマの大画面で見たのだが、これぞSF! 未だに古びない至高のSFである。
正統派でぐんぐん押してくるスケール、宇宙船の概念を変えた形態、クラシック音楽がまるでこの映画の ために作曲されたかと思う
くらい合わさっていた。…..そうそう、この映画を星新一さんと筒井康隆さんが見て、「退屈だったーなー」「画面の一部 にCMを流
せばいいのに」なんてことを読んだことがある。僕は少年だったがイヤな気分になりましたね。お二人ともSF作家だから対抗意識を
燃やしたのか! イヤイヤ、アイディア、映像の斬新さとアメリカの巨大パワーに圧倒されたのだろう。だからケチをつける位が関の
山だったのだ。だって星新一さんが加わった映画「マタンゴ」(原作W.ホジスン「闇からの声」)あれもSFですか?…悲しいですね。
また永ちゃんが「ローリングストーンズ」が来日したときこう言っていた。「オレ負けてねーよ。負けてないね」。そりゃ結構だけど
ストーンズは世界が舞台だけれど永ちゃんは日本だけだしね。誰の眼で見たって…..。まるで旧日本帝国みたいだ。….物量に負けたな
んていう負け惜しみと同じだ。アレッ、悪口になっちゃった。お許しを。
9/ 12th, 2011 | Author: Ken |
「去年マリエンバートで」
「去年マリエンバートで」。ストーリーはあるようでない。ストーリーを追うこと自体が無意味である。人は映像や言葉に時間の因果関係を結びつけ合理的解釈を無意識に行ってしまう。だから観客による想像力がストーリーやそれに伴う感情起伏を作ってしまうのだ。まあそれによって映画や文学も成り立つているとは言えるのだが…..。
バロック風の巨大で不気味なホテル、果てしなく続く廊下、足音は絨毯に吸い込まれ …… まるで耳自体が …… 古い時代の回廊 …… 大理石 …… 黒ガラス …… 黒っぽい絵、円柱 …… 一連の回廊、交差する廊下は無人の広間に …… 広間は古い時代の装飾過多、無人で静かで冷たく装飾過多で ……
男の独白で続く画像は押さえたモノトーン で限りなく美しい。「芸術のための芸術」があるのかどうかは知らないが、「映画のための映画」「映像のための映像」が存在してもいいはずだ。「去年あなたに会った」「知らない、憶えていない」…こんな会話が繰り返される。…
まるでホテルも装飾も人物も凍りつき無限循環を繰り返すように。…いや全ては死に絶え、かすかな記憶の底に亡霊となった建物と人物が彷徨い歩いているのだろうか。何が現実であり何が真なのか?果てしない問いだけが繰り返される。過去と現在、真と偽、現実と想像が混在し何が真実かは解らない。男は主観的な体験を語るが、執拗に描写すればするほど不確定になり、観客は理解しようとすればするほど理解できない世界が現れるのだ。男は客観性の外観を装いながら、実際には記憶、夢、想像にしか過ぎないものを語っている。もしかしたら、粒子の位置と運動量は同時に両方を正確に測定することができない量子力学の「不確定原理」が根底にあるのかも知れない。
そう、真の現実とは映画館、フィルムと映写機、それは暗闇の中で、単なる光と機械と一時間半の時間にしか過ぎない。
それを知りながら目に映る映像、科白、音楽、フィルムに焼き付けられた映像を、想像力が擬人化し時間の因果と不合理の渦に落ち込むのだ。それを狙った手法はシュレアリスムそのもでありSFなのだ。凍りついた庭園のシーンはルネ・マグリットやキリコを彷彿させるし女はポール・デルボーを思い起こさせる。ヨーロッパには超現実主義の芸術運動が背景としてあるから、シナリオ、映像、音楽でそれを作ろうとしたのだろう。古くは1928年にルイス・ブニュエルとダリが「アンダルシアの犬」を作っている。そして写真家マン・レイがいた。…シュレアリスムは見る者、観客の想像力を刺激するものであり、異様であればあるほど不思議な世界に誘われてしまうのだ。
有名なロートレアモン伯爵の「解剖台 の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会い…」ように。
ロブグリエは語る「あの映画は記憶に救いを求めることを一切不可能にする、永遠の現在の世界である。彼らの存在は、映画がつづく間しか持続しない。目に見える映像、耳に聞こえることば以外に、現実はありえないのである」と。
もう半世紀以上も前の話だ。田舎出の生意気な高校生であった僕は何か知的なものに非常な憧れがあった。デザイン・美術系の学校であったせいもあるだろう。その頃ATG・アート・シアター・ギルドという創造的な映画を観賞する会が出来た。大阪北野シネマだ。第一回はイエジー・カワレロウィッチの「尼僧ヨアンナ」(1962)だったと思う。難解だったけれど映像が素晴らしく美しかった。そして安部公房作「おとし穴」監督:勅使河原宏…田中邦衛の殺し屋が不気味だった。丁寧な言葉使いで「わかりましたね…」なんて。
ジャン・コクトーの「オルフェの遺言」…鏡の中へ入っていくシーンなどCGなど皆無の時代だからフィルムの逆回しや鏡は水に手をいれて、それを縦にしたのだろう。..ATGではタルコフスキー、ワイダ、ベルイマン、トリフォー、カコヤニスなどを知った。そしてアラン・レネの「去年マリエンバートで」。記憶が曖昧なのだが、確か高校生で見たと思ったのだが日本公開は1964年、東京オリンピックの年である。記憶とは当てにならないものだ。レネは「ゲルニカ」(京都市美術館で見た)「夜と霧」(ヴィクトール・フランクル:みすず書房を古本屋で見つけ衝撃を受け、学校の課題のポスターを作った思い出がある)、「二十四時間の情事」も知っていた。
いま半世紀ぶりに見直した。このCG全盛時代に全く古びていない。当時の新しい映画技法を駆使し、二重焦点レンズ、オーバー露光、サブリミナル、移動撮影、洗練、品性、高センス、インテリジェンス….そしてシュール。幾何学的庭園に立つ人物たち、長い影は地面に描いたそうだ。もしかしたら写真家の植田正治を知っていたのでしょうね。いまこんな映画が作れるだろうか?……