2/ 15th, 2018 | Author: Ken |
映像の力、美。
ユージン・スミス展(東京恵比寿・東京都写真美術館)に行った。「水俣」「カントリー・ドクター」「スペインの村」「助産師モード」 「慈悲の人」など、今までに何度か目にした事があるが、新たの感動があった。彼は云う「ジャーナリズムにおける私の二つの責任・・・第一は私の写す人たちに対するもの。第二は読者にたいするもの」。そして「写真は見たままの現実を写しとるものだと信じられているが、そうした私たちの信念につけ込んで写真は平気でウソをつくということに気づかねばならない」とも。でも被写体の重みと存在は強力な言葉である。
5/ 20th, 2014 | Author: Ken |
製図機
かって製図機と三角定規、面相筆はデザイナー必携の道具だった。多角形や円や線の分割など、定規とコンパス、そしてデバイダーで制作したものだ。製図機には英国式とドイツ式があり、英式はお国柄を表し真鍮製、ドイツ式は合理的なステンレスやクローム仕上げであった。ずっしりとした重量感、研ぎすまされた形態、これぞプロの道具というアナログの実在感があった。そしてとても高価だった。多角形の作図、平行線、黄金比やフィボナッチ数による螺旋など随分勉強させられたものだ。でも、どうしても描けないものもあった。正楕円は楕円定規が必要だったし、ギリシアの三大作図問題という定規とコンパスによって作図が可能か?というのもある。
1)与えられた円と等しい面積をもつ正方形を作ること。
2)与えられた立方体の体積の 2 倍に等しい体積をもつ立方体を作ること。
3)与えられた角を三等分すること これらは現在では作図不可能ということが証明されているのだ。
文字だってレタリングという製図機、定規、溝尺、面相筆で墨汁やポスターカラーで描いたものだ。懐かしいというより己の技を競ったのものである。……俺は1ミリ幅に線を烏口で10本も描けるなんてね。
90年の初頭だった。Macintosh Performaを手に入れたのだ。いまから思えばチャチなものだったが、それでもオオーッ!と歓声を上げた。そしてQuadraになり、Power Macになり、8500、9500、G3、G4、G5。とうとうOS 10.92 Mavericksだとさ。たった20年だよ。あの頃は俺も若かった? 確かに便利になったし、グラディエーションだってCGだって、何だって出来るのだが、手描きの緊張感や満足感、存在感が薄いのである。つまり軽いのである。だって、それを見るのはアナログである人間なんだから。そしてコンピュータのお陰で消えていった仕事も多い。まず、写真植字、製版レタッチ、街のDPE(現像・焼き付け・引き延ばし)、トレース、青焼き……。CADとDPTの時代になって、製図機も知らない人が多くなった。別にそれでいいんだ。製図機がPCのキーボードとマウスとモニターに変わっただけだ。と言いながら、一抹の寂しさを感じるのは歳のせいかな。
2/ 18th, 2013 | Author: Ken |
飛行するデザイン…前翼形、折り畳み可変翼。
進化とは不思議だ。自然は様々な姿を試しているように見える。我々脊椎動物の基本形はいつ決まったのだろう。1個の頭部、中枢神経、分節化した骨格からなる胴体、手足が4本、指が5本など、基本ボディプランは同じなのに驚くほど多様な形態を生み出して来た。
この地上には重力があり空気がある。その空気を利用して飛行する…どこで発生したのだ。たぶん高所から飛び降りるのに適した種が淘汰され膜や翼を発達させた…と進化学は教えるが、本当?じゃ最初からその萌芽を持っていた?
そしてだ、鳥は前肢が進化し羽毛という翼を形成、モモンガやムササビは脚の間の膜が発達し、コウモリは掌と指の骨を非常に長く発達させて、その間の膜で飛行し、翼竜は極端に長くなった薬指1本で滑空する。翼を持たなかった共通祖先から、翼を持つ系統が別個に進化し、よく似た形態になる。
収斂進化というそうだ。その中にはとんでもない奴もいる。後肢に張られた飛膜で滑空するシャロヴィプテリクス(Sharovypteryx:シャロフの翼)は三畳紀初期に現れた爬虫類で、まるで第二次大戦末期に現れた前翼機だ。日本海軍の戦闘機「震電」ソックリじゃないか!2億年以上前に生物は様々なスタイルを試していたのだから驚きだ。
そしてトビトカゲ属(Draco)はなんと!左右に5-7本ずつ肋骨が伸長し、その間の扇状の皮膜で滑空するのだ。(天使や悪魔は背から翼が生えているがあれも肋骨から出たのだろうか?)だがその中間段階じゃ邪魔なだけじゃなかったのか?
手持ちの材料で作る … 進化に「目的論・toleology」は神様が出てきそうで….通用しないが「機械論・mechanism」だけで説明できるかね。おいおいカントなんて持ち出すなよ。哲学的形而上学じゃないんだ進化は現実なんだよ。スティーブン・ジェイ・グールドの「パンダの親指」では、パンダには一見すると6本の指があるように見えるが、実は親指にあたるのが撓側種子骨という小さな骨が異常に発達したものだという。つまり手近かな材料で作ったのだと。…. 進化とは不思議だ。ニッチを求め、突然変異というスーパーな奴が現れたりして、その隙間に適応する個体がより有利な方向へと進み子孫を多く残す、だから……。そうかい。でも何故なんだ!
12/ 31st, 2012 | Author: Ken |
飛行するデザイン……翼竜とステルス
進化とはトンデモなく不思議な形態を生み出す。ダーウィン説が正しいとしても、ランの花そっくりな花カマキリの擬態や翼竜は、どうやって進化したのだろう。あまりにも巧妙過ぎる….。空を飛ぶというのも不思議すぎる。重力に逆らって空を飛ぶとは…..
1)空気より軽い(気球)2)弾道飛行(跳ぶ、投げる、打ち出す)3)羽ばたく・ホバリング(昆虫、鳥)4)翼による揚力(飛行機の固定翼、滑空)5)回転翼(ヘリコプター)6)反作用(ジェット、ロケット推進)7)磁気の斥力、空中浮遊の方法はこんなもんじゃないかな?
しかしだ、3億年前から昆虫は飛行していたし、翼竜はジュラ紀から白亜紀に栄え、奴らは初めて空を飛んだ脊椎動物だ。ランフォリンクスも(Rhamphorhynchus=「舳先の嘴」)その異形な姿はまるで中世の悪魔の絵を彷彿させる。長い尾の先にある菱形のヒレなんてだれがデザインしたのだ!地上に生息するものは重力の呪縛から逃れられない。しかし、空気を利用すれば飛行できる。……昆虫、鳥、ヒヨケザル、モモンガ、飛びトカゲ、etc…..生態系のニッチに適応して進化したと教えられるが、この巧妙極まる形態がダーウィンの言う……ドーキンスさん、本当?
人間だって負ちゃいない。世界初の実用的なステルス( stealth/こっそり、隠れる)機、1981年に初飛行を行ったアメリカ空軍の攻撃機F-117。初めて写真を見た時驚嘆した。こんなものが飛ぶのか? あまりにも異様、飛行機の常識を逸脱している。レーダーから発見されにくくするため、平面で構成された独特の多面体の機体形状、これにより空気力学的に不安定な形状を、操縦にコンピュータを介在安定性を確保した。そして黒塗りの塗料、これもRAM(Radar Absorbent Material)と呼ばれるレーダー波を吸収するグラファイト/エポキシ複合剤で覆われており、機体内部にも電波反射の少ない非金属素材が使用されている。そして爆撃機B-2は側面は曲線的だが平面形は、何とまあ!折り紙細工みたいな菱形の構成だ。垂直尾翼と水平尾翼がない「空飛ぶ翼」そのものだ。
僕はUFOを見た事あるのだ。時は1996年12月23日午前12時過ぎ、何故憶えているかと言うとその日は事務所開きだったのだパーティが終わり、酔いを醒ますためにベランダに出ていた。神戸・三宮中心街上空、北西から南東に向かい20秒ほどだったか?薄緑の五角形の十字形であった。高度は300メートルくらいと感じた。最初は連凧かと思った。次に連凧が切れて飛んでいるのかと….。それにして.は高度が高すぎる….。当時は携帯にカメラはついていなかったし慌ててメモした。あれは何だったのだろう?…..合理的解釈として.「F-117ステルス」ではなかったか? 多面体で構成され機体に街の灯が反射し連凧にみえたのでは?…..。今もって解らない。どなた.か見た人や写真に撮った人はいないのだろうか?
8/ 18th, 2012 | Author: Ken |
楕円美と楕円コンパス
楕円!純粋の数学? それとも自然?….レオン・レーダーマン。たしかに楕円は優美だ。何故と言われても困るのだが美しいのである。もとより微積分や解析は頭が痛くなる質だし、その数式が美しいと言われても、とてもとても…。
デザインを勉強し始めた頃、様々な多角形や図形を定規とコンパスで描いていたのだが、優美で流れるような楕円を描きたかった。コンパスで描いても本当の正楕円は描けない。糸をピンで二カ所止めて描いてみても不安定でとてもスミ入れ(鉛筆でなくペンや烏口で印刷原稿にする)は出来ないし。
調べてみたらアルキメデスの楕円コンパスがある? エッ!二千年以上前から? 当時はネットなんて無かったし図書館で調べたのだが十文字の溝に支点が2カ所あって不思議な動きをする….。自分で作ってみようとはしたのだが….面倒だ(ここが私の欠点である。そして当時は百均やホームセンターが無かったしね)。そうこうするうちにドイツHAFF製で楕円コンパスを見つけた。恐ろしく高い(当時の給料の一ヶ月分以上!)。無理して手に入れたのだが、その完璧さに脱帽しましたね。長径と短径の数字を合わせ回せば好きな楕円が描ける。おまけに鉛筆の代わりにロットリング(0.1〜1mmのインクペン、この0.1mmがよく詰まる。分解して洗い、入れようとすると….何本オシャカにしたことか)が差し込まれる。重宝しましたね。
時は過ぎMAC PCの世界になってからは楕円なんて一撃! おまけに変形も自由自在、隔世の感がありますね。
楕円は何故美しいのだろう?緒方光琳の「紅白梅屏風」の水の渦、スーパーマリン・スピットファイアの楕円翼、その垂直旋回の美しい姿。斜めから見たグラスの切り口(バーの切り絵で有名な成田一徹氏もグラスの楕円の繊細な切り口が命だと)、浮世絵の美人画の瓜実顔、アーモンドのような眼、モジリアーニのフォルム、女性の肉体美も曲線の魔力? DNAだって二重螺旋だ。
曲線は美しい=楕円・放物線・双曲線の3種の円錐曲線、日本の城の石垣の曲線(誰が考えたのだろう?水圧や地圧に対抗して出来たのだろうが、石積みはどうしたのだろう?たぶん大きな木型を作りと思っていたのだが、何と綱を垂らしたら自然とその形が出来る。カテナリー曲線(懸垂曲線・ラテン語の鎖に由来)と呼ぶんだそうだ。中世の石工や職人たち、ほんとに頭イイーッ!
そして何といっても惑星の軌道だ。ヨハネス・ケプラーの法則以来、惑星の運行は楕円である(細かくいえば惑星どうしの干渉で正楕円ではないが…)。古代ギリシャから続く真円だと言われた「天球の音楽」宇宙のハーモニーも楕円でより優雅になった?ケプラーも宇宙の構造を音階で表わそうと神秘学や音楽理論でも考えていたのだろう。 しかし、天球の音楽は実際に聞こえるものではなく、精神で受け取るものだと….。でもホルストの「惑星」、あれはホロスコープが思想が背景にあり出来も僕好みじゃない。
それより唱歌「美しき天然」田中穂積:作曲、竹島羽衣:作詞(明治35/1902年、いつしかサーカスのジンタやチンドン屋のテーマ曲になり下ったが、それもまた消えた)にある歌詞を地球から宇宙に拡大して
〜聞けや人々面白き この天然の音楽を 調べ自在に弾きたもう 神の御手の尊しや〜
こちらの方がいかにも星辰の運行を唱っているじゃありませんか。
5/ 29th, 2012 | Author: Ken |
あの薄幸の美女は何処へいったのか…。
もう二昔も前になるだろう。一夜にして(そう思うくらい)世の中が激変したのだ。デザイナーの三種の神器である三角定規、ケント紙、製図器具がぶっ飛んでしまったのだ!マッキトッシュの出現だ。それまでワープロ(懐かしいネ)やラップトップのパソコンは少しはさわっていたのだが(ロータス1,2,3なんてね)。デザインが出来る?……デモストレーションを見にいっても、とてもこんな高額なものは手が出ない、しかしこれからは…。やっとパフォーマをローンで手に入れた。今から思えばチャチなものですぐに壊れたものだ。インターネットもあったけれど蝸牛の歩みみたいなものだった。僕はイラストレーター3.0とフォトショップ、少し画像が重いともう動かない。おまけにフロッピーは1Mだったしね。
でも画期的でしたよ。だってそれまでの写植(写真植字、文字の基盤から書体やポイントを決めて焼き付け、それをペーパーセメントで原稿に貼る)や写真のアタリ(原稿にコピーや手書きの線でトリミングを指定、トレスコープ(紙焼きの大きな機械)やインレタ(インスタント・レタリング、裏に蠟を塗ったシートで文字をガラス棒でこすって原稿に転写する)。そうそうトレーシングペーパーや透明フィルムを重ねてその上に写植や写真を貼っていた。レイヤーそのものじゃないか!そんなものががいらなくなったのだ。
そうだ!AdobeのIllustratorを開くと、あの麗しくも繊細な美女が現れるのだ。ヴォテッチェルリの「ヴィーナスの誕生」だ。ルネサンス期に「麗しのシモネッタと謳われた絶世の美女シモネッタ・ヴェスプッチなのだ。しかし美人薄命の名の通り1476年23歳でこの世を去った。ロレンツォ・メディチは語る。「フィレンツェ市民は驚に包まれていた。彼女の死顔の美しさは、生前のそれを超越していたからだ。彼女を前にすれば、死もまた美しい….」と。
….そして、クアドラ、パワーMacになり9500、G3、G4、G5。OSもXから豹、虎、雪豹、獅子、山獅子と変わって来た。Illustratorも5.5で完成していたし、8は本当に使いよかった(7と9は不出来)。またPhotoshopも6で完成していたのではないか?それより10になりCSのAi、Psとなり、やたらとアプリケーションが重くなり(Aiの8なんて保存が一瞬でしたね)、いらないツールが多すぎるし(Psでは初期からあるスタンプツールやレイヤー、色調補正はいまでも素晴らしい)どうも使い辛い。
ああ、麗しのシモネッタよ!あの薄命の美女もCSとともに消えていった…。
12/ 14th, 2009 | Author: Ken |
FRONT
「戦争のグラフィズム」多川精一著/平凡社 この迫力ある写真は70年前のプロパガンダ誌「FRONT」だ。前にNHKで見た時に正直に凄いと思った。フォトショプや超広角レンズなんて無い時代に手作業でモンタージュし、エアブラシでレタッチをする。デザイナー(図案家)の原広、写真家の木村伊兵衛など東方社の人々が制作したものだ。当時、ソ連のプロパガンダやドイツのR・リューヘンシュタールの「意思の勝利」「民族の祭典」「美の祭典」は勿論見ていただろう。アメリカのLIFE誌を意識していたのかも知れぬ。
対外的に日本の国威や軍事力を誇示する狙いから、費用も潤沢に与えられ、大胆なレイアウト、紙質、印刷など戦前における最高の技術レベルを駆使し、クオリティも極めて高い。本物を一度見てみたいと思っている。国会図書館にあるだろうか。
この97式(チハ車)戦車の写真はどうだ。見開きページのレイアウトテクニックで一枚の写真のように見せ、遠景は合成したとあるが異様な迫力である(前に確か雑誌「丸」で見たことがある)。実物のA3版で見てみたいものだ。落下傘部隊の写真も合成で手前の人物を大きくし、ディープフォーカスの映画的手法だ。いま見てもその力量と自信が伝わってくるようだ。私もデザイナーの端くれである以上、偉そうに言えないのだが、さて、現在の広告を見ると劣化していると感じる。新聞も雑誌もTVも日本映画も、映像で息を飲むようなものがあるだろうか? 残念ながらわが国の現状は「媚び」のデザインに満ちあふれている(アメリカの雑誌には凄い映像とレイアウトを多く見る事ができる。やはり発想、美意識、インテリジェンス、効果など…。悔しいことだね)。これもWebやPC、デジカメの普及で何でもお手軽になったせいだろうか。
この東方社は対外宣伝ということもあって、あの統制の時代にあって海外の資料も見ていたそうだ。また社会主義者もいたし、憲兵や特高に持っているだけで逮捕される本もあったという。1941年にディズニーの「ファンタジア」(カラーアニメーションとクラシック音楽を融合した幻想的映画)や「風とともに去りぬ」も見たとある。これらは戦後の55年に上映された。敵性語まで排他して野球のユニフォームの背番号も漢字であり、ストライクは”いい球!”と硬直していたのだから・・・。
※これを戦後、戦争協力だとか反省が無いなどと批判する輩が多いが(…文化人面して言う人がいるね)、時代も空気も環境も違う。あなたはその時代に、徴兵拒否ができただろうか?また自分の祖国を恥じただろうか?野球だってサッカーだって贔屓チームや地元を応援するじゃないか。情報がほとんど無い戦時中、私ならその時代の空気に染まっていたと思う。
…私もデザイナーという仕事は批判精神を忘れてはいけないと、常々自分に言い聞かしてはいるが…。「戦争のグラフィズム」から写真を使用させていただきました。
12/ 10th, 2009 | Author: Ken |
発想。
TIMEの表紙が好きだ。映像だけで理解できるのだ。こんな発想はどこから湧いてくるのか? アメリカという多民族国家の文化なんだろう。そして広告産業が磨いた心理学的表現だ。あのエスクアイヤーの表紙を飾ったジョージ・ロイスたちが作り上げて来た伝統だ。黒いフライパンで目玉焼き、黄身が地球、タイトルは「地球温暖化」。棺桶に一本の木、「森林の死」。地球をロープで縛り上げ、「地球の危機」。発想が違うんだ。映像が心に直接的に入るんだ。そのためアートディレクターたちが必死にアイディアを求めている姿が眼に浮かぶようだ。
昔、「奥様は魔女」というTVドラマがあったね。旦那が広告会社のプランナーなんだ。イーゼルに大きなスケッチを描いて悩んでいるシーンがあったね。隣の頭の白い社長が無理難題。「何を召し上がる?」「ぼくはスコッチ・オンザ・ロック、つまみはスモークサーモンがいいな」。魔法をかけると、スコットランド人がキルトを履いて岩に立ちバグパイプを吹いている。つまみは大きな鮭がデーんとしてパイプをくわえている…。
ユーモアの質が違うんだね。そうそうモンティパイソンでは「嵐が丘」を手旗信号でやっていた。「アイシテイルワ・ヒースクリフ」なんて。辛辣な皮肉、メタファー、ユーモア、インテリジェンス。デザインとは人の心に対してデザインすること。そうなんだ!…そしてわが国の週刊誌は…。
11/ 8th, 2009 | Author: Ken |
イラストレーションに昂る。
イラストレーションが好きだ。学生時代、ベン・シャーンが好きでわざわざ竹ペンを削ってずいぶん真似したもんだ。ある日、Men’s Wear(ファッション誌というより業界誌だね)。そこで眼を見開いたよ。まさに瞠目というやつだ。1962年だった。
CHAMP HATという帽子の広告のイラストレーションが、何とまあ! 色彩、ダイナミズム、表現、テクニック、新鮮、驚きが迫ってきた。ボブ・ピーク氏だ。それからメンズウェアやエスクワイア誌を探した。PURITANのゴルフウェアの広告、夢中で集めた。…でも、当時洋書なんて売っていなかったしお金もなかった。僕は夢中で真似しましたね。それからメンズウェアの企画やグラフィック・デザイン、その他デザインの世界で、今まで行きて来た。少し恥ずかしいけれど、未だにボブ・ピーク・スタイルのイラストなんだ。(我ながら情けないね)
彼はそれから映画のポスターを描き始めた。「マイ・フェアレデイ」「キャメロット」「スタートレック」「スターウォーズ」どれもこれも素晴らしかった。
そしてスポーツ・イラストレーテッド誌ではウォルト・スピッツミラー、バーニー・ヒュークス、もちろん大御所のリロイ・ネイマンも忘れることができない。小松崎茂の戦争画、山川惣治の少年王者にも昂ったけれど、生頼範義の描く飛行機や軍艦の戦争画にはドラマ性と異様な迫力がある。その奥にあるドラマと緊迫感、悲劇性があるんだ。CG全盛の時代だがCGは何か薄っぺらいんだ。どうしても機械では手から伝わる思い入れや力が入らないんだね。描く人の想像力と筆力、感性、そして人間性。だってイラストレーションは人が見るものだから…。
11/ 8th, 2009 | Author: Ken |
水張り、烏口、面相筆。
デザイン学校に通っていた頃、課題がLPジャケットのデザインだった。われ御幼少の生意気盛り、18歳だった。数年前からモダンジャズの洗礼を受け、金もないのにハマっていたのですね。そうだ、!ホレス・シルバーをフェスティバルホールで聞いた頃だ。JAZZしかあるまい。プレイヤーは誰がいいか?そうだクリス・コナーを聞いたばかりだ。MJOもいい、マイルスもローチもいい…。
早速、水張り(木枠にケント紙を張り水で濡らす。乾けばパンパンになるんだ)、烏口(鳥の嘴に似た製図器に墨汁やポスターカラーを入れて線を引く道具)だ。面相筆(細部を描く時に使う細い筆)、後は溝尺(尺に溝があって、それに沿わしてガラス棒と筆、お箸みたいに使う)道具はこれだけローテクそのもの。文字さえ手で描くレタリング(いまはフォントと言うね)。当然としてMACやパソコンはSFにも登場していなかった。涙ぐましいと言うよりイジらしいじゃありませんか(お恥ずかしい…)。
40年の時は過ぎそれらは何処にいったやら? かろうじて2枚が手元に残る。我が青春の思い出、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず…」。軽んじたんだろうナ。いまだに…。御照覧頂きお笑いください。