11/ 19th, 2012 | Author: Ken |
長いお別れ……The Long Goodbye
親友を亡くした。もう一ヶ月が過ぎたが夕刻になると、いまだに彼からの電話がありそうな気がする。バーのカウンターで一人ウィスキーを舐めていると、あのシャイな顔がドアを開けて入ってきそうな気もする。彼とよく話したものだ。お互い金も無いし二枚目でもなければ屈強な肉体の持ち主ではない。平凡な男だ。
だが、心に矜持だけは持ちたいものだ。仕事も生き方も、そうハードボイルドだよ。やせ我慢だ、ストイシズムだ。センチメンタリストでロマンチストを隠した強がりだ。まあ、精一杯突っ張ってね…….。
その彼が好きだった映画のサウンドトラック「The Long Goodbye」これが素晴らしい。切ないのだ、やるせないのだ。思い出と悔恨なのだ。そう、あの時……。マーロウの台詞「To say Good bye is to die a little.・さよならをいうのは束の間死ぬことだ」…..こんなカッコいい台詞を一度だけでも言ってみたいものだ。…でも親友は逝ってしまった。本当の長いお別れだ……。
You Tubeでこれを聞いてみてください。
There’s a long goodbye.
And it happens everyday when some passer by invites your eye to come her way.
Even as she smiles a quick hello, you’ve let her go. You’ve let the moment fly.
Too late you’d turn your head, you’d know you’ve said the long goodbye.
Can you recognised the pain on some other street, two people meet as in a dream,
running for a plane through the rain.
If the heart is quicker than the eye, they could be lovers Until they die.
It’s too late to try when a missed hello becomes the long goodbye.
長い別れが毎日のように起きる …. 通りすがりの女に視線が引き寄せられたとき
彼女が微笑んで声を掛けてくるのに君はすれ違ってしまった、大事な瞬間を手放したのだ。
振り向いても遅すぎる 長いサヨナラを言ってしまったのだから。 その痛みが分かるかい?
飛行機に遅れぬよう雨の中を走っているときにも どこかの通りでふたりが夢のように出逢う
もし心が眼差しより素早ければ ふたりは死ぬまで恋人でいれるのに …
もう試してみても遅すぎる 言葉を掛けずに長いお別れになってしまったから…
映画は1973年:監督ロバート・アルトマン、主演エリオット・グーリド、音楽ジョン・T・ウィリアムズ。その時代性というか70年代風のアレンジはあんまり戴けなかった。(あのアーノルド・シュワルッツネッガーがチンピラ、チョイ役で見事な肉体を見せているが、こんなシーンはどうだかね?)ハードボイルドはやはりソフトにトレンチコート、皮肉で気障な台詞をうそぶくマーロウでなくっちゃね。だってハードボイルドは大人の男のハーレクインロマンなんだから。
10/ 17th, 2012 | Author: Ken |
さようなら一徹さん。
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昨日、成田一徹さんのご葬儀が行われました。
あまりにもはやすぎる別れ、ご本人の胸中を察すると無念でなりません。
これからが円熟の技の年齢であっただけに惜しまれてなりません。
「この世のから闇が消えていくのが惜しい、かって都会には如何わしさを漂わした闇があった。
南京町裏通りの外人バー、時代を超えて来た人々の影の部分、そんな所を切り絵にしたいんですよ」。
「神戸は大震災で人肌の暖かみや歴史を刻んだ沈黙の声があらかた消えてしまった。その幽かな
残り香りを絵にしたいんですよ。人の営みと優しさと、それらを包んできた建物や名残をね」。
…彼のこんな話をよく聞いたものだ。彼は詩が大好きだった。妹さんが語ってくれた。
「兄は子どもの頃から詩が大好きで家では大きな声で朗読していました。だからわたしもいつのまにか
覚えてしまいました」と…..。人を街をバーを場末の居酒屋を、そして微かな残り香りを愛した成田一徹。
さようなら。君のことは決して忘れないよ。
吉本研作
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10/ 14th, 2012 | Author: Ken |
成田一徹氏を偲ぶ
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本日、成田一徹(本名徹)氏が無窮の世界へと旅立たれた。
あまりにも突然、そんな馬鹿な、いまだに信じられない、来週会おうと約束したじゃないか。
彼とは親友のなかの親友、最初に会ったときから以心伝心、暗黙の了解が出来ていた。
お互いに超恥ずかしがり屋で、人前では照れてしまって語れないことも彼には語れた。
カウンターでグラスを傾けながら、美学、小説、彼が大学院で学んだ哲学、生意気盛りの何十年前に読んだ小難しい本の話。
そしてファンタジーとSF、特にブラッドベリの「火星年代記」「恐竜物語」….。屋根裏はタイムマシンだ…をもじって
「バーはタイムマシンだ」「バーのドアは日常からリープする異次元への扉だ」「バーは人に会いにいく所だ」
「闇を切る…黒白の世界に人間というものを描くのだ」「黒白の二分の中にたくさんの諧調を込めるんだ」….。
そうだ、十月は黄昏の国だ。そして君の好きだった上田秋成の「菊花の約」親友との約束を守るため、約束の夜に魂が
千里を飛んで会いにくる…どうして会いに来てくれなかったんだ、もう一度会いたかった。
彼の語録、そして飲み疲れて深夜の町を歩きながら、戯れに遠く忘れていた詩を二人で交互に暗誦しあったものだ。
〜あはれ 秋風よ 情あらば伝えてよ男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食らいて 思いにふける と。
さんま、さんま そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせてさんまを食うはその男がふる里のならひなり。〜
また 〜秋の日の ヴィオロンのため息の ひたぶるにうら悲し〜 とか
〜巷に雨の降るごとく わが心にも雨ぞふる かくも心に滲みいる この悲しみや何ならむ〜
……彼は寂しがり屋で夕暮れともなると、つい人恋しくなってバーに向かうのだ。
僕は禁欲主義者だ。いやハードボイルドを気取ってストイシズムだ。やせ我慢の美学だ。そんな馬鹿話をしながらも
彼に教えられたことがある。「ジャズのハードなリズムでは日本人の持つ情は表現できない。演歌ですよ。
あのダサくって、ヘチャでドロドロして生臭く、不細工で巷の人間の洗練にはほど遠い悪趣味と情念、その中の涙と恨みと
繰り言なんですよ。大人にならなきゃ分からない。そう耳に毛が生えた大人のね」。
僕もユーチューブでいろいろ聞いてみた。いいんだなー….いつか聞き惚れている自分がいた。
「ン、人生とは風雪流れ旅だナ」….。僕も茶化して「あなたの絵ネ、最近は切る人間の顔に優しさや慈しみが出て来たね、
これからだよ円熟の味は…..そして切り絵・キリエはねキリエ エレイソン・主よ憐れみたまえだ」。
それが何という事か! 彼の魂にこの自然と宇宙の限りない憐れみを与えられんことを…。
…..いつかN.Y.のブルーバーで、P.J.クラークスで、神戸で、東京で、
火星のオリンポス山を見ながら運河の空想のバーで、壮大な土星の輪とタイタンのバーで、
おい、一徹、先週約束したじゃないか!
「帰神したら一杯飲りましょう。そしてあの企画や取材をすぐにでも….」
その言葉と握手の手の感触がいまもこの手に残っている。
吉本 研作
10/ 13th, 2012 | Author: Ken |
成田一徹氏のこと
そんな馬鹿な!
いまだに信じられません。大変に残念なことが起こりました。
成田一徹氏が10月8日(月)に倒れました。気分が悪いと駅に訴えすぐ救急車で病院に運ばれました。
その時はまだ意識があったそうなのですが、脳出血で現在も意識不明、東京上野の病院で人工呼吸器と強心剤で闘っています。
「そんな!」「まさか!あの成田さんが!」「どうか!」と祈るばかりです。
先週11時頃、神戸・新開地のホームで別れたのが最後でした。
「明日から東京です。来週帰神したら一杯飲りましょう…..」と。
切り絵教室のこと、新しく企画していた「酒場幻想」連載のこと、最初はニューヨークのバーを….
バットマンの視点で摩天楼の谷間に浮かぶマンハッタンを…バー・クールの想い出を226事件にからめて….。
夢は次々に浮かび続きは帰神したらとあんなに約束したのに….。
そしてゴルフの倶楽部ハウスを切る話…..。これは彼との永年の企画で帰神後すぐ「六甲山の神戸ゴルフ倶楽部」に
取材に行く予定でした。悔しい、あまりにも辛い、苦しい….。やり場のない腹立たしさえ感じます。
….彼とは震災の頃知り合い意気投合、それより東京でバーを巡り、彼が帰神したときもバーを巡り、
居酒屋で、カウンターで、わたしの事務所で、彼のお家で様々なことを話ました。
極めてシャイな人ですので、わたしに飲みに行こうとは言えず、必ず何か詰まらない用事に引っ掛けて電話があったものです。
「あー、成田です。ちょっと頼みたい事があって」、いえいえたった五分で終わる詰まらないことなのです。
わたしも一緒に飲みにいきたいけれど言えなくて、電話で「ちょっとあの仕事のことで….」。そんな暗黙の了解の友人です。
ああ、頼むから蘇生してくれ!俺との約束があったじゃないか!
….万が一の僥倖を信じて祈るしかないのでしょうか。
友人知人のみなさま、どうか彼のためにお祈りください。
吉本研作
1/ 1st, 2012 | Author: Ken |
あけましておめでとうございます。
2012年/元旦
本年もよろしくお願いいたします。
Ken Production
吉本研作
あっちに当たり、こっちに衝突し、
世の中をゴロゴロ転げ回り、そんなもんですかネ、人生は….。
6/ 6th, 2011 | Author: Ken |
オフィスが移転しました。
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〒650-0024/神戸市中央区海岸通3-1-1 KCCビル4F
phone 090-3992-3984
1/ 1st, 2011 | Author: Ken |
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
2011年/元旦
株式会社ケン・プロダクション
吉本 研作
11/ 10th, 2010 | Author: Ken |
白か黒か、刃先一閃。
あらためて成田一徹氏をご紹介しよう。彼は切り絵作家である。道具は白黒の紙とカッターナイフだけ。超シンプルである。
切り絵といえば、朴訥で、民話的で、版画的なのを彷彿させるが、彼はそこに一線を画すのである。より先鋭に、より微細に、より内面的に…。そして現代という時のなかで生きている人間を描きたいのである。そこには市井の片隅で目立たず真摯に生きてきた「生という皺、顔という刻、時間という証明」を切っ先に込めるのである。彼の苦闘ぶりを拝見すると、よくもまあ取材にそれだけの労力を厭わないねと思わず声をかけてしまう。「嘘はつけませんから…。根本を掴めばそれからは飛躍と展開の創作は…」。
ナルホド、それで夜毎のカウンター巡り?「….いやいや反芻ですよ。逡巡ですよ。締切に追われ纏まらない七転八倒が飲ませるのですよ」。そうかなー、まあ分かる気もするけど….。「だから若い人の顔は切れないいんですよ。扁平なんですよ。顔ににじみ出る人間性というか時間というか、喜びも悲しみも幾年月が無いんですよ」。そういえば「東京シルエット」にしても「神戸の残り香」にしても消えて行く場所、建物、技、仕事、人間。逝きし世の面影にこだわっていますね。そして彼は演歌が好きだ。「うーん、生きているというどうしようもないこと。それを格好つけないむしろ下世話でダサく生臭い吐息ね。ぼくだってそんなもんだから…」。謙虚な人だ。彼と知り合ったのは神戸大震災の少し前だった。それ以来、神戸で東京でバーのカウンターで語ることが多い。彼は単なるイラストレーターじゃない。じゃアーチスト?そんなことを言えば酔いで赤い顔をますます赤くするだろう。エッセイスト、それもある。アルチザン、ン、それも。…..飲み友達? それが一番。ひどいはにかみ屋で真面目すぎる人だ。だから友人である。
● 「東京シルエット」切り絵・文/成田一徹:創森社 ● 現在神戸新聞夕刊に月2回「新・神戸の残り香」を連載中
★上の絵の成田さんの肖像は,ぼくが成田風に勝手に作ったものです。お許しください。背景は本物からです。
11/ 6th, 2010 | Author: Ken |
What was Iraq War….イラク戦争何だったの!?
イラク戦争開戦から、もう7年目を迎えた。この夏にもイラク支援に行かれた高遠菜穂子さんが戦争で疲弊したイラクの最新情報と、日本が果たすべきイラク戦争検証の意味をお聞きした。イラクはぼくにとってあまりにも遠く、戦争報道もTVの同時中継もあまり実在感が無かった。しかし大量破壊兵器云々は戦争の口実臭かったし、フセインの圧政もマスコミの宣伝空騒ぎかも知れないし、自衛隊の派遣には詭弁と割り切れないものを感じ、ブッシュ追従の姿勢が見え見えで腹立たしく思ったものだ。
あの人質事件にしても「自己責任」というバッシングよりも、こんな若い人たちがボランティア活動をしているなんて!という驚きと、むしろ世界に誇るべき若者ではないかと思った。….彼女は語る「私の命はあの時に止まってしまったのだ」。
そうイラクの友人は彼女にこう言ったそうだ「あなたは目と耳だけでなく、体でイラクの痛みを知ったのだ」と。彼女の強さはそこにあるのだろう。イラク報告会はアメリカ、香港、台湾、そして日本で600回以上、支援と調整のためイラクをはじめヨルダンなど近隣国への渡航は30回近く、報告会で寄せられたカンパによる支援総額は5年間で3660万円を越えたという。そして「日本は憲法9条で戦争は放棄しても、戦争のサポートはいいのか?」とイラクの人に問われたという。人道支援という名目で自衛隊が派遣され、航空自衛隊の活動は大半が米軍など多国籍軍への兵員・物資の補給であった事実。…ぼくたちはどこかで戦争に加担していたのだ….。
いま「イラク戦争の検証を求める」活動が広がっている。でもぼくに何ができるのだろうか? まず知ること、目を閉じないこと、耳を塞がないこと、そして考えること。目を覆いたくなるような残虐な写真もあった。だが爽やかな気持ちが流れる報告会だった。
●高遠 菜穂子(たかとお なほこ)1970年北海道千歳市生まれ。麗澤大学外国学部卒。2000年より、インド、タイ、カンボジアの孤児院、エイズホスピスを手伝う。03年イラク初入国以来NGOと共に、病院調査、医薬品 運搬、学校建設・ストリートチルドレンの自立支援に関わる。04年4月17日、4回目のイラク入 国時に、ファルージャ近郊でイラク武装グループに拘束される。現在は、難民・国内避難民のサポート、医療支援なドのプロジェクトをイラク人と ともにすすめている。イラクホープネット・メンバー、イラク戦争の検証を求めるネットワーク呼びかけ人
9/ 7th, 2010 | Author: Ken |
Good Job, Good Staff
カメラマンAさんの訃報があった。前から闘病中とは聞いてはいたが…。様々な思い出が蘇ってくる…..。あのロケハン、あの仕事、あのライティング、あのカット…。知り合ったのは彼が駆け出しの頃だ。「ハワイロケがあるんだけれど、ファーストクラスで顎足つき、但しギャラは無し。行く?」「行きます!行きます!」。それ以来だ。気合いを入れたのだろう膨大なポジが届いた。
イイ出来だ。ぼくはMen’s Wearの商品企画やカタログの仕事だったから、それ以来撮影は彼と組む事が多かった。いつか彼はMen’sのAと呼ばれるようになった。打ち合わせはいつもミナミのバーが多かった。ぼくの師匠であるSボスが総アートディレクター、ぼくはサブだ。ぼくがスケッチやコンテを描き、スタイリストに小道具を手配させ、無い物は手作りだ。他とは全然違うストーリーのある絵を撮ろうぜ!1枚の絵にドラマがなきゃ…。
ある仕事が終わりスタジオのセットの前で打ち上げの小パーティをやった。モデルが事務所に電話している。「Good Job, Good Staff」と聞こえる。ン、そうだろう。このプロ集団だもの。
…それが上記の写真だ。それからフアニチャー、ゴルフ、いろいろな仕事をチームでやってきた。夜明け前からカメラをセットして朝日の昇るフェアウェイを狙ったり(Down the Fairwayそのものだね)。楽しい思い出がいっぱいだ。….まだ早すぎる死だった。
お別れの時、お棺にあの写真を入れた。最高のスタッフたちだ。A君、いつまでも君と友達だ。