6/ 8th, 2010 | Author: Ken |
山頂の悦楽。
今年もまた六甲山頂のバーが開店した。
日本最古の「神戸ゴルフ倶楽部」で年2回開かれるバーだ。これは行かねばなるまい。
友人4人と和気あいあい。天気も良し、空気も清澄、言う事なしだ。
本日6月6日はこの倶楽部の創設者グルーム氏の記念日だ。
まずは爽やかにモヒート、グラスを持ってベランダに出る。18番グリーンを見ながら、ウーン美味い!
何しろ18番の愛称は「Doech & Douis・一杯飲んで帰ろう」だからね。
2杯目はジンリッキー…。メンバーが次々と上がってきてバーもにぎやかだ。さて、フェアウェイを渡ってチャンバーに向う。
この建物も年期の入ったなかなかのもの。会食も盛大、楽しい時間が流れる…..。
夕刻が近づき三宮に帰って来た。さて、どこか開いてるかな? まあ、とにかく行こ!
今日の余韻を肴にまた乾杯と行こう。
4/ 10th, 2010 | Author: Ken |
Best Bar of New York
友人からニューヨーク土産に本をいただいた。「Best Bar of New York」うん、2〜3軒なら知っている。その記憶が懐かしくも蘇ってきた。マンハッタンの59 West 44th。1902年にオープンした名門アルゴンクィン・ホテル、エスクアイヤーやニューヨーカー誌の編集者や作家たちが屯しているというオークルームとブルーバーだ。高齢の名物バーテンダー、ホイ・ウォン氏がいる。
彼を友人の切り絵作家、成田一徹氏が絵にしたのだ。ぼくもN.Y.に行く事になり成田氏が絵を届けてほしいと。それが上の絵だ。ホイさんに手渡すとみんなが集まり、凄い!そっくりだ!おかげで楽しい時を過ごせた。
連日ニューヨークは大雪で、重いコートに傘をさして毎夜飲みに出かけたのだが、915サードアヴェニューにあるP.J.クラークスも忘れることができない。創業1884年、何とも古めかしいところがいい。肩の雪を払っていたら隣の飲んだくれの婆さんが何かと話しかける。こちとらは英語は不調法なもので困ったね。でもいい人なんだろう。ニューヨークに住んでいるのか、ここにはよく来るのか、ハンバーガーを食ったのか、二杯目はアイリッシュ・ウィスキーにしろとかね。でも楽しかったよ。
外国で飲む酒は何んだか映画のエトランゼの気分にしてくれる。酔った頭にシナトラのN.Y.N.Y.が流れていたと言いたいのだが、歌詞も忘れた。ミスター・ホイも引退したと風の噂に聞いた。成田氏とバーのカウンターにもたれ、いつか一緒にニューヨークに行こうと話してはいるのだが…。
The History and Stories of the Best Bar of New York Written by Jef Klein photographis by Cary Hazlegrove TURNER
12/ 29th, 2009 | Author: Ken |
明けましておめでとうございます。
12/ 10th, 2009 | Author: Ken |
デザインはエンターテインメントだ。…… わが師。
わが師、繁治照男氏。はじめて会ったのは、ぼくがまだ学生服を着ていたころだ。彼の作品を見て驚いたね。どうすればこんな考えや発想が浮かぶのだろう…。とにかく新鮮だった。他とは全然違った。カッコいいのである。そのころ繁治氏は「NEW JAPAN」の宣伝に勤めていた。彼はサウナの概念を変えた男だ。それまで何となく如何わしいイメージがあったサウナを健康的で明るくしたのだ。「健康な人をより健康に」と。
マクルーハンが流行ったとき「マクルーハン理論を実践しよう!」これがなんとキャバレーの案内状だよ。他にも「割烹日本」「メンズジャパン」など数々の革新的なデザインをし、そして独立した。「日本ブレーン・センター」NBCだ。ぼくはメンズウェア会社で企画・デザインをしていたので、彼のサブとしてディレクションをする機会が多かった。徹夜で作品を仕上げて持っていったら、「あかんわ!やり直してこい」だ。また徹夜して見せたら「うーん、待っとり」、目の前で全部はがしてしまう。指先があっという間にレイアウトしてしまう。ああ、2日も苦労して徹夜したのに。いつしか全体が見えるようになり、そんな技も自然にできるようになった。ぼくたちの会議はいつもバーだった。
「こんどのカタログ、どんなテーマや?」「50年代のボールドルックで行こうかと」「そやな!表紙はイラストで行こ、おまえ描けや」それで終わり。ぼくの頭の中にはイメージができていたから直ぐに見せた。「ええやんか!」。
「次何やね?」「ハードボイルで行こうかと」「アイディアあるか?」酒を飲みながら会話が続く。「探偵事務所のドア越しに狙ったら?どうでしょう」「オモロいなそれ行こ」。早速業者にドアを発注、シルクスクリーンで I Don’t Sleepなんて…。
「おい、次は宝物の争奪戦のテーマで行こや、何がええ」「そうですねー、マルタの鷹みたいに」「OK! 鷹どうするねん」「作ります」早速、東急ハンズに紙粘土を買いにいった。夜中にふとん乾燥機を回し庭で金色のスプレーをした。翌日の撮影ではまだネバネバしていたネ。
彼には酒の飲み方も教わった。北、南、神戸、チェーンスモーカーで酒は底なし。とても追いていけない。二人で南からタクシーで帰ってくると芦屋の辺で夜が明けることが何度もあった。今はもう退職したが月に一度は、缶ビールを持ってぼくのオフィスに来てくれる。早速灰皿、二人で面白い話やデザインについて話す。しかし、頭は電光石火に冴えている。「最近見るべき広告なんてないな!」「ほんとですねー。新聞も雑誌もTVも劣化していますね」「ジョージ・ロイスが先生やったからなー。あれ忘れたらあかんで。
デザインはエンターテインメントなんや」。彼は昔からアカデミックなデザインが嫌いだ。「この人間という生臭い生き物、人間が対象や、ワシらの仕事は」「開高健ですね。人間らしくやりたいな、これですよ」「そーや、人間なんやからナ」…。
11/ 22nd, 2009 | Author: Ken |
「どう思うね」、ワトソン君。
架空の人物でありながら、これほど実在感のある人物がいるだろうか。そう、シャーロック・ホームズだ。子供の頃から何度読み直しただろう。シャーロキアンはこれら60編をカノン(聖典)と呼ぶ。霧のロンドン、ガス灯に浮かぶシルエット。ディアーストーカー(鹿狩帽)にインバネスコート(日本では衿にラッコの毛皮をつけて和服のコートとして、そうトンビだ)。これは挿絵画家シドニー・パジェットが作った。いつのまにかホームズといえばこのスタイル、ホームズ俳優としてはジェレミー・ブレット(彼はマイフェアレディでにやけた兄ちゃんを演っていた)が最高だね。イメージぴったし。ホームズは1854年1月6日生まれ、大英帝国華やかなりし頃、ヴィクトリア時代の犯罪捜査の天才にして複雑な内面を持ち倦怠と行動の矛盾だらけの人物。麻薬に浸り、ストラディヴァリで内観するメランコリア、法律を無視し、イデアリストで、バリツ(日本武術)を使い…。こういう人ってHFA/ASP「高機能型アスペルガー症候群」の天才じゃないの?だれか大脳生理学者か心理学者の先生、分析してみて。
上記の絵は我が友、成田一徹氏の作品だ。彼とバーのカウンターでホームズについて語るとき、「世の中に闇がなくなったね。いかがわしい匂いと生臭い人間と、陰翳というか闇の部分がサ」「TVもイラストもお子様ランチみたいだ。作った明るさだ。ユルキャラとか媚びの氾濫だね」。近代工業化社会という資本家と搾取…120年前のロンドン超格差社会、ホームズが通った大英図書館の隣の席にカール・マルクスがいた?現代日本の不況感と格差感…。「いやいや心の闇はハイテク化するほど深くなるんじゃない?」「でもケータイ依存症というのは、孤独で寂しいというメッセージを共有していたい、友達ゴッコじゃない?明るく装いたいんだよ」…ブログで発信するのも「僕はここにいるヨッ!」って孤独者の必至の叫びかも知れないね。ウーム、もう一杯飲も!
11/ 12th, 2009 | Author: Ken |
ハイボール、ハイボール。
神戸ゴルフ倶楽部、六甲山頂にある日本最古のゴルフ場である。1903年、イギリス人貿易書商A.H.グルーム氏によって作られた。倶楽部ハウスはあのW・M・ヴォーリス設計だ。宮本留吉翁や日本初のプロゴルファー福井覚治氏を輩出している。ヒッコリーのクラブにガタパチャボール、ツイードジャケットにニッカーボッカーがいまでも似合う倶楽部である。いわば日本のセント・アンドリュースと言える。その倶楽部ハウスに普段使われていないバーがあるんだ。
ゴルフ好きの「パパ・ヘミングウェイ」のマスターである福富氏が、ぜひここでシェーカーを振らして欲しい。その要望に応えて年2度ほどバー開店と相成った訳だ。…それは聞き捨てならぬ。友人の成田氏といそいそと出かけたね。
ケーブルカーを乗り継いで…空気が上手い。標高800mで飲るジントニック、二杯目はモヒートと行くか!グラスを持ってベランダに出る。太陽がまぶしい!そりゃ美味いのなんのって…。プレイを終えたメンバーが倶楽部ジャケットに着替え集まってくる。
家族的雰囲気で和気あいあい、今日のプレイに花を咲かせている…。三杯目はスコッチのハイボール。高所で飲むこれが本当のハイボールだ。チクショー!俺が放つショットはな、ビッグボールで球筋はハイボールなんだゾ。見せてやりたいね。イヤイヤ、それは俗に言う「テンプラ」、ミスショットのことだろ?
皆さんに招かれてフエアウェイを渡り「チェンバー」と呼ばれる別館に移動する。これも、素敵な懇談会だった。夕闇が迫る。下界へと降りる車から夜景が一段と輝いて見えた。さあ、仕上げに三宮でもう一杯どう?
11/ 12th, 2009 | Author: Ken |
この笑顔に会いに行く。
男の顔は履歴書である。という名言があるが、彼の顔こそ、その言葉に相応しい。神戸・三宮にあるサヴォイ・北野坂のマスター、木村義久氏である。30年前の彼の顔を知っているが、当時は痩せていて眉は凛々しく上がり、鋭い眼をしていた。
ところがどうだ、現在は温厚そのもの、眉は下がり(人生で30度も眉が上下することがあるのだろうか?本人いわく、太ってほっぺたの重みでさがったのですよ)と。客を迎える姿勢、満足を提供するバーのテンダーなんだから当然ですよ。と本人は謙遜するが、いやいやどうして、人間性があってこそいい笑顔が作れるのだ。
「顔は心のモニターである」とは私がふざけて言うのだが(そういえば「ため息は心の真実の言葉である」という名言を思い出した)、木村氏の笑顔は最高である。そこで頼み込んで撮させて頂いたのが上記の写真。さるゴルフのグリーンマーカーのモデルとしてお願いした。「ツキを呼ぶマーカー」本当にそう見えるでしょう。
カクテルは彼が世界トロピカルコンテストでグランプリに輝いた名作「ソルクバーノ・キューバの太陽」だ。いまや全国バージョンとなっている。おまけにコンテストの副賞として海外旅行に行った。そこで奥様に会われたのだから正に人生を変えたカクテルだね。
彼もいまやNBA(日本バーテンダー協会)の重鎮として日夜活躍している。この「笑顔」に会いたくて今夜も飲みにいくのかも知れないね。