7/ 9th, 2015 | Author: Ken |
こんな夢を見た。
6/ 14th, 2015 | Author: Ken |
無限回廊
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何時か行ってみたいと思っていた。
絶海の荒波の中にそれはあった。濤の轟と海鳥の叫び、烈風だけである。塔に上ると銘が刻んであった。
「人生とは永遠の階段回廊を行くことだ」。
6/ 13th, 2015 | Author: Ken |
?
6/ 13th, 2015 | Author: Ken |
Atlantis
6/ 3rd, 2015 | Author: Ken |
何次元?
7/ 4th, 2013 | Author: Ken |
失われた都市を求めて。
6/ 26th, 2013 | Author: Ken |
Ancient Illusion … いにしへの幻術
そんな時代だった。若者は世界を放浪するのが時代のスタイルだった。「風に吹かれて」や「レット・イット・ビー」が行く先々で流れていた。文明を享受しながら都会から人からモノから離れてみたい。若者特有の夢とかロマンとかいう稚拙なセンチメンタリズムだった。大人は彼等を嘆かわしい、何の目標も何にも情熱を持たないシラケ世代と揶揄した。ぼくもそんな一人だった。
….あれはハンガリーの辺境だった。まだ鉄のカーテンが重く暗く国を覆い、動乱の傷は癒されていなかった。…..ひょんな事でツィ ゴイネル(ジプシー)の連中と知り合いになった。何日か彼等と生活しているうちに、長老が言うに「このずーっと山奥に千年以上、一度も止まらずに回り続けている水車があると….古への知恵なんじゃ」。そんな!ぜひ見てみたいと頼み込んだ。「そこの連中は他所者を嫌うでな。わしらは交易のために一年に一度だけ入るのを許されておるのじゃ」。不承不承、連れて行ってもらえることになった。
驢馬の馬車で深い谷間を何日も進んだ。町というより集落に近い古色蒼然とした中世がそのままのような所だった。住民はみな同じような独特の顔をしていた。皆美しいのだが私達の美の基準にない異質の風貌なのだ。インスマスの村……? そんな思いが過った。足音もなく忍ぶように歩く女。異教徒を見る眼の男たち、子どもの嬌声もなく時間が凍りついたような広場。そこにあったのだ。千年水車だ。水車は回り続け千年来粉を挽いている….。全体を見ようと向かいの古ぼけた教会の鐘楼に登った。窓には巨大な黒猫が見張り番のように座っていた。…..水は流れ落下する水流は水車を回し続け、いつ果てるともない…..。時を巡る水車….。
夕食にタニスの香りのする強烈な酒を飲まされ意識を失ったまでは覚えている。気がつけば驢馬の馬車の中だった。あれは、あれは何だったのだろうか? 確かに水車は回っていた。永久機関というよりあり得ない構造だった。….確かに、確かにこの目で見たのだ。
★異能の画家 M.G.エッシャーに限りないオマージュを!そしてルネ・マグリットに。A.ブラックウッド、日影丈吉、萩原朔太郎にも。
★それを作ってしまう人もいるのですねー。これをご覧ください。http://www.youtube.com/watch?v=0v2xnl6LwJE
6/ 15th, 2013 | Author: Ken |
古への魔術 … 喪われた都の記憶。
6/ 10th, 2013 | Author: Ken |
だます愉び、騙される楽しみ。
あれッ、この絵、何か変だよ? えッ、どこが? だって柱がサ。ン!そういえば…..。
何か銘が彫り込んであるね。ぼくはラテン語なんて分からないよ。ネットで調べてみよっ。
Mundus vult decipi, ergo decipiatur. 世界は騙されることを欲している、それゆえ世界は騙される。
Fere libenter homines id quod volunt credunt. 人は、彼らが信じたいものを容易に信じる。
… だってサ。
脳は自分自身の現実世界をたえずでっち上げている。不合理なことも勝手に合理的に納得するように思い込むように出来ているのだ。文章の校正なんてその最たるものだ。モニターで何回見直しても間違いに気づかない!….出力して気がつくことがあるけれど、ほとんどは他人の新鮮な眼で見なければ駄目だ。注意力なんて持続できないし、歩くのも右足、左足なんて考えていたら歩けないですね。
脳は、二つ以上のことに同時に注意を払うようにはできていない。上の絵なんてパターン認識では整合性があるように見えるけれど、視点を変えたらオカシイですね。錯覚だ。…..描いていて何度も間違いそうになった。
面白い本を読んだよ。脳学者がマジックと脳についての啓蒙書「脳はすすんでだまされたがる」 :スティーブン・L・マクニック、スサナ・マルティネス=コンデ、サンドラ・ブレイクスリー 訳:鍛原多惠子:角川書店だ。
知覚の大部分は錯覚なのである。マジシャンはそれらを実に巧みに利用している。彼らは手の器用さだけでじゃないんだ。第一がミスディレクション(misdirection)、判断力を間違った方に誘導するプロなんだ。これにはフィジカル( 身体的手法)、サイコロジカル(心理的手法)、タイム(時間的)の三種類がある。これらを組み合わせて見事に観客を騙す。マジックとは「騙される楽しみ」だ。
まず人間の入情報の大部分は視覚である。視覚系は、視野の中心を除けば、解像度はかなり低い。焦点を以外はボヤけるし、他はほとんど見ていない。そこで巧緻な演技や眼の残像効果や注意の対象を逸らすことで僕たちは簡単に騙されてしまう。
そして、人は見るものの多くを捏造している。脳は処理できない視覚情報を「充填」によって補うんだ。そう、ある一部分が見えないからといって、無い部分を続いていると判断する。例えばトンネルから電車の前部を少しと後部の少しが見えていていたら繋がっていると思い込むよね。実は真ん中が切れていて前と後ろの2両しかなかってもだ。
僕たちが見たり、聞いたり、感じたり、考えることは、過去の経験や記憶から予期しているんだ。知覚された錯覚も、自動的な反応も、意識することも脳のメカニズムが定義しているんだろうか。「オレは目撃したから本当なんだ!」ホントかな? 眼とは、あんまり信用できないね。記憶もそうだ。マジシャンは、人間の認知を手玉にとる達人だ。視覚、聴覚、触覚、注意、記憶、因果関係など、きわめて複雑な認知過程を経て「オレは正しい」と思い込ます。詐欺師の大部分は、この人間というものの弱点を突くんだ。物欲とか金とか愛情とか孤独さとか…..。 虚実は知らないけれど「他人を助けるといい気分になる」そうだ。これはオキシトシンという物質が出て脳に快感を作るそうな。人間は社会性動物だから、親子や、仲間を助ける行動が脳内に組み込まれているのだろうか。それが秩序と道徳を作り、人類愛、果ては地球にも優しいという地球(ガイア)の擬人化まで…..。…でも、僕は理性的に、論理的に、判断している、積もりだけれど、それも…。そしてこの歳になるまで長い時間「自分自身」という認識で生きてきたんだけど….。
Plaudite, acta est fabula. 拍手を!お芝居はおしまいだ(アウグストゥス )。
11/ 13th, 2011 | Author: Ken |