5/ 13th, 2016 | Author: Ken |
Mils Davis Doo Bop
4/ 15th, 2016 | Author: Ken |
Chet Baker
4/ 1st, 2014 | Author: Ken |
このLPジャケットが好きだ!
音楽がアナログであった頃、LPのジャケットを手にするのは快感だった。31.3cm角の大きさがいい。そのズッシリとした重量感、指紋をつけないように細心の注意でデスクを引き出し、静かに針を下ろす。微かなノイズを伴いながら音が湧きだして来るのだ。何故この溝に音が埋まっているのだ? 空気の振動、いやオーケストラの数十の楽器の音が何故、こんな細い溝に? そしてジャケットのデザインだ。カッコイイのである。大胆である。自由闊達である。斬新なデザインが、音を期待する気持ちをより刺激するのである。60年代当時、輸入盤は恐ろしく高価だった。何しろ初任給が2万円位の時に1枚二千円もしたのだ。高校生の僕にとっては高嶺の花である。
夏休みに日給4百円のアルバイトをして、英語のライナーノーツも読めない癖に必死に読み解き悩んだ末に選んで買ったものだ。まるで宝物である。特にBLUE NOTEのデザインが素晴らしかった。リード・マイルスだ。この1フィート角を自由にデザインするのはデザイナーにとって大きな喜びであっただろう。いつかCDになりダウンロードになり、あのジャケットを手にする愉びは消えてしまった。
アナログの楽しみとは人間サイズの喜びなのである。…..モダンジャズは懐メロとなり、もうレコードを買う意思もない。寂しい限りだ。
上記のジャケットは「黄金の腕」The Man with the Golden Arm (1955) 社会派オットー・プレミンジャー監督、フランク・シナトラがジャンキー(麻薬中毒者)を熱演。エルマ・バーンスタインのジャズがカッコイイのなんのって!まだ子どもだったから封切りは見ていないが、ラジオでよく流れていた。リバイバルで見たら、何と!ドラムのオーディションのシーンにはショーティ・ロジャースやドラマーのシェリー・マンが出演しているではないか!そしてソール・バスの映画タイトルが素晴らしい!僕は今でも彼とエスクァイアーのジョージ・ロイスがデザインの先生だと思い続けているのだ。…あれから半世紀がまた瞬くまに過ぎてしまった…..。
…….ほんの昨日のことだのに。
1)right now! /jackie McLean : Blue Note 1965 リード・マイルスのタイポグラフィーのダイナミックさ!
2) Blowin’ The Blues Away /Horace Silver : Blue Note 1959 ポーラ・ドナヒューのイラストレーションがファンキーでアーシーな
雰囲気を表現している。1962年に来日、16歳の少年には圧倒と陶酔だった。そしてヴォーカルはクリス・コナーだった。
3)COOKIN’ /Miles Davis : Prestige 1957 このジャケットを見ててっきりベン・シャーンだと思った。だがPhil Haysだった。そんな
時代だったんですね。また、何故クッキン?….マイルス曰く「俺たちがやったことは、スタジオにやって来て曲を料理しただけだか
らな」と…..。でも素晴らしい内容だ。
4)Blue Lights /Kenny Burrell Blue Note 1968 これもベン・シャーンかと思いきや、なんと!あのアンディー・ウォーホールなのだ。
5)The Jazz Odyssey of James Rushing, Esq./Jimmy Rushing:1956 この太ったオッサンが汗をかきかき急いでいるイラストに
喝采だ。この絵は Thomas B. Allenというイラストレーターだ。(長年エドワード・フォックスとばかり思っていた)
6)All Blues/Kenny Clark- Francy Boland Big Band 1969 : MPS 黒い林檎という絵に意表を突かれた。デザイナー魂ですね。
7)Jackie’s Bag /jackie McLean : Blue Note 1960 マニラの書類入れがジャケットだなんて!それだけで買ってしまった。
8)Groovy/Red Garland : Prestige 1957 この落書きがハーレムなんかをイメージさせて素晴らしい。わざわざREDのRを逆さまに書
いたりして憎い演出である。このスタイルをソール・バスが「ウエスト・サイド・ストーリー」で使っていた。ジャケットの左下に
DESIGN reid miLESとある。はは~ん、なるほどね。でも彼はブルーノート専属じゃなかったの?
最後にお恥ずかしい限りだがジャズに夢中になっていた高校生の頃、課題がLPジャケットだったのでデザインした。もちろんMACなん
てSFにも出て来なかったから手描きそのもの。かろうじてこの2枚だけが手元に残っている。1962年だってサ。
8/ 9th, 2012 | Author: Ken |
カモメとヨットと真夏の夜のジャズ。
あの日も頗る暑かった。1975年夏、ロードアイランド州の港町ニューポートだ。あの伝説のジャズ・フェスティバル、その地に立ったのだ。写真家バート・スターンが1958年のジャズ・フェスティバルをドキュメントした「真夏の夜のジャズ」(1960)が忘れられなかった。ジャズと聞くだけで血が騒ぐませたガキで映画に魅入られたのだ。いつか行ってみたい!聞いてみたい!….やっと行けたときはもうフェスティバルは無くなっていた。でも町を歩き回り映画のシーンを思い出していましたね。余談だがあんまり暑いのでジュースでも買おうと小さなドラッグストアに立ち寄った。ところが表のウィンドウに真珠湾空襲の写真がいっぱい飾ってあるのだ。…ヤバイ…ジャップめ!と怒鳴るんじゃないか?親父はニコニコ顔で好人物だ。…表の写真は何?ああ、俺はあの時パールハーバーで闘った。日本人は実に勇敢だった。この前も12月7日の記念日に日本人パイロットを交えて記念パーティがあった。楽しかった。…
閑話休題、冒頭、波が揺れ動く背景にジミー・ジェフリーとボブ・ブルックメイヤーの「汽車と河」が流れる。カーキのスーツが何ともカッコいいんだ!セロニアス・モンク、波、太陽、ヨットレース…映像が素晴らしい。そして、そしてあのオキャンでコケットリーなアニタ・オデイ。「わたしはシンガーではなく、ソング・スタイリストなの」という名言を残した彼女、やっとライブで会えたのが確か87年ロイヤルホースだったか? ハンク・ジョーンズ(p)、フランク.ウェス(fl)、彼女は片手にウィスキーで、アル中気味だけど、そりゃ素敵でしたよ。
そしてジェリー・マリガンだ。深紅のブレザーにバリトンサックス、もう!カッコいいったらない!….彼のライブでは前半はミッドナイトブルーのスーツ、後半はシアサッカーのジャケット、それで「ナイトライツ」や「カーニヴァルの夜明け」なんか演奏するんだ、もうカッコいい!…いつだったかな?確か神戸の国際会館だった。
そしてネイサン・ガーシュマンがチェロを弾いている。部屋は暗くタバコの煙、汗が流れる。曲はバッハの無伴奏チェロソナタ第一番G長調だ。そして映画は夜になりチコ・ハミルトンの「ブルー・サンズ」、マレットがドコドコドコドンドコドコドン〜〜エリック・ドルフィーのフルートが流れるのだ。神秘的で異国情緒あふれるサウンドだ。観客がうっとりと浸りそっと肩を寄せる…60年代の中頃だったか?そのチコが来日した。
場所は神戸の朝日劇場、開演は深夜12時、ギターの異邦人ガボール・ザボ等、夜明けまで演奏に酔いしれたのだ。もう半世紀近い時が過ぎたのですね。夏になれば暑さと共に熱いサウンドが追憶となって心の奥底から蘇るのだ。
7/ 27th, 2012 | Author: Ken |
ブルーズの魂
♪ Oh Baby、don’t you want to go Oh Baby、don’t you want to go Back to the land of California Sweet home Chicago…..
よう、べぃびー、おめえ行きたかねーかい、あのカルフォルニアヘ、あんの古巣のシカゴへさ。♪
数あるブルース・ナンバーの中でも超有名「スウィート・ホーム・シカゴ/Sweet home Chicago」。1937年、あの伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンによって録音されたものが根源だ。そして1980年の映画「ブルース・ブラザーズ」で大ヒットした。ブルースまたはブルーズはアメリカ南部の土と汗と涙と哀しみ、人間の複雑なあらゆる感情が入り混ざり、そのジャンバラヤみたいなごった煮のなかから歌として産まれたものだ。田舎臭いのである、ムッとする口臭と腋臭が漂うのである。労働歌でありダサさの極みである。ブルージーである。アーシーである。ミシシッピーの湿気と泥水が母体である。黒人霊歌やハラーソングやワークソング(労働歌)であり、くぐもったダーティなはらわたの声である。そしてそして…..泣き笑いである。言葉でいくら語ろうが、そんなものは聞いてみれば分かることだ。ほら、いいでしょう? 独りでに首を振り足でリズムを取り体を揺すらすでしょう?
ロバート・ジョンソンには伝説がある。彼はクロスロードで悪魔に魂を売って「ブルーズ」を手に入れた….。27歳の若さであの世へ行ってしまったんだ。そういえばジミ・ヘンドリックスもジャニス・ジョプリンもその歳で逝った。余談だが東京の板橋区、成増から赤塚へ向かう道路に「六道の辻」というバス停がある。六道輪廻のあの六道だろう。ここにギターを持って立っていたら悪魔が来て取引を唆かさないものか?….まあ、この道を行くと名刹松月院や東京大仏は近いけれど….。
閑話休題、彼が生涯に残したレコーディングは、29曲(42テイク)だけである。写真も数枚しかない。でも写真を見るとダブルブレストのチョーク・ストライプにストライプタイ、ポケッチーフで決めている。当時のEsquier誌にあるような最高のお洒落姿である。だからだ、ロバート・ジョンソンは土着のブルーズを近代ブルーズにしたところが功績なのである。全米をギターで巡り、様々なスタイルと交わり、ラジオでSPレコードで、新しい時代のブルーズを、音楽を作り出したところを忘れてはいけないと思う。
そうだ!土臭い悲喜劇を作るコーエン兄弟の映画「オー・ブラザー」にロバート・ジョンソンのパロディ人物が出てくる。主人公たちは彼と交差点で出会い、そして…。
まあ、1920年代にスクラッパー・ブラックウェルやココモ・アーノルドがいたし、忘れてはならないのが偉大なベッシー・スミスだ。こんなことを書いているとモダン・ジャズにハマっていた60年代を思い出す。そうだ!ラングストン・ヒューズやジェームス・ボールドウィンの「もう一つの国」、リロイ・ジョーンズの「ブルースの魂」なんかを…..。まだガキだったけれどジャズ喫茶に入り浸りミンガスのBlues & Rootsの「水曜の夜の祈りの集い」なんかに興奮していた自分があった。
You Tube には Sweet home Chicago が数多くある。その中でも気に入ったもの?…ありすぎる!
●Robert Johnson : http://www.youtube.com/watch?v=O8hqGu-leFc ここから始まる。
●Blues Brothers : http://www.youtube.com/watch?v=Tlou_2lMLAc あれからもう30年以上も過ぎたのですね。楽しかった。
●The White House All Stars : http://www.youtube.com/watch?v=BIZAS_tOYOo&feature=related BBキング、ジェフ・ベック、
ミック・ジャガーに…大物たちうち揃いホワイトハウスで。オバマ大統領も歌うのだ!
●Ari Frello & Marcos Fernandez : http://www.youtube.com/watch?v=J_bdArwfmdw ブルースハープがいいね!
●たくさんあり過ぎるから片っ端から聴いてみて!!
3/ 1st, 2012 | Author: Ken |
“Let Freedom Ring”…ジャッキー・マクリーン
いやー、ずいぶんと集めたもんだ。まだ探せば物置にあるはずだ。初期のマイルスなんかのとかね…..。と、言ってもこれくらいじゃとてもコレクターにはなれないし、またディスコグラフィーを作るほどの時間も趣味もない。
若かりし頃ジャッキー・マクリーンが大好きだった。記憶があやふやなのだが最初に聴いたのはマイルスのレコードじゃなかったか?ドクター・キリコだったように思う…..。ハンサムでシャープ、切り裂き引き攣れるようなサウンド。気まぐれで微妙で不安感のある音程、揺れ動くフレージング、不協和音とキリキリするスキーク音を連発しアヴァンギャルドの方向とフリージャズを示唆する若きプレイヤーだった。パーカーの時代からハードバッパーとして数多くのミュージシャンとバトルとセッションを繰り返していた。あのミンガスとの歴史に残る「ピテカントロプス・エレクトス」、凄みある「水曜日の祈りの集い」。ケーニー・ドーハム、ジョニー・グリフィン、ドナルド・バード、アート・ブレイキー、前衛の騎手だったオーネット・コールマンとのセッションさへあるのだ。
大ヒットを飛ばした「レフト・アローン」「クール・ストラッテン」….これはセンチメンタルで分かりやすく聴きやすいのだが、ぼくの好みではない。そしてブルーノートのマイルス・リードによるデザインの斬新さ。このデザインのためにLPが欲しくてほしくて….。最下段の写真の3枚。このデザインを見てよ!何て新鮮でカッコ良く、これだ!有頂天になるのも無理は無い! 3段目の右にあるオカルティックなジャケットは「デモンズ・ダンス」イラストレーションは鬼才マティ・クーラワインだ。彼はマイルスの「ヴィチェズブリュー」、サンタナの「天の守護神」もそうだ。時代が揺れ動きヴェトナム戦争とハイジャックと時代がオカルト的様相を示していたのだ。ドラッグとヒッピーと泥沼の戦争、日本も当然のように時代の息を吸っていたから70年代のハチャメチャへと続いていく…。
そして3段目の右端「ジャッキーズ・バッグ」。このデザイン作法には脱帽した。このLPを裸で持って歩く姿を想像してごらん? 書類入れに見えてレコード・ジャケットなんだ。ぼくは今でもこの発想を大切にしている。デザインの原点だ。
LPの程よい大きさとグラフィック、ずっしりとした重量感、針を落とす時の期待と緊張。CDやipodはこれを奪ってしまった。データと呼ばれるデジタルは手に入れる喜び、1枚づつ集める楽しみ、眺める嬉しさへ消し去ってしまった。味気なさとはこういうことだ。J・マクリーンの1枚を選べ?「レッツ・フリーダム・リング」が演奏もジャケットも最高だといまでも思っている。
マクリーンには膨大な吹き込みがあり、すべてを集め全部を聴くことなんてとても敵わない。 そうそうライブでは64年だったか「ジャム・セッション」と銘うって来日したのだ。ベニー・ゴルソンなんかとね。そして80年代の半ばだったか再来日にも行ったのだ。
ああ、時間はあれほどシャープだった彼を磨り減らしていたのだ。中年太り、それはまあいい。音やフレーズ、サウンドまで緩んでしまっていた。ジャズの輝ける太く逞しい鮮烈が過去になっていたのだ。ぼくも歳を取っているくせに、まだ青春の残滓である微かなモダンジャズの残り香を探していたのかもしれないが….。しかし現実はジャズという盛りを過ぎた懐メロという音楽になっていた。ぼくはレコードを買うのを止め、ライブにも行かず、ジャズそのものも聴かなくなってしまった。革新と熱気と暴力的にまで過激なサウンド、刺々しく荒々しく反抗的で破壊的で、リズムとサウンドの限界を目指し、それでいて切なく哀しく知的で躍動する限りなく美しいジャズ。ハードバッパーの力強い牽引力に身を委ねる心地よさ。時代は終わったのだ。いまはもう懐メロとして耳を通過するだけだ。寂しい…。
2/ 24th, 2012 | Author: Ken |
奇妙な果実
「奇妙な果実・暗く悲しい歌」これはビリー・ホリディの自伝である。白い山梔子の花を翳し、レディ・デイという賞賛と歌姫としての絶頂を極めながら麻薬で廃人となって44歳の短い生涯を終える。10代半ばの売春婦の母親から生を受け、幼児期の虐待、レイプされ売春で逮捕され辛酸のなかで歌手として成功し、麻薬に溺れ刑務所にも入り、ライセンスさえ剥奪される。おまけに稼いだ金はヒモやギャングに吸い取られ…..。まるで作られたストーリーのような成功と破綻人生の生き方だった。
初めて聴いたとき、ぼくがまだ若かったせいか下手な歌だと思った。なにかメロディーを壊しているようなフェイクやフレージングに違和感を感じたのだ。ところが聞き込むうちにのめり込むようになった。ポピュラーソングやブルース形式じゃないのに、何を歌っても翳りを帯びたブルースに聞こえ、ブルージーななかにコケットリーな一面や清澄さを見せ、暗い情念というか人を魅了する不思議な力が伝わってくるのだ。
そうだ!これは彼女自身が楽器でありインプロバイゼーションもアドリブも譜割もリズムもフレージングも彼女自身の身体から滲み出す音楽なんだ。誰の歌でもなくビリー・ホリディのエモーションなんだ。そう、”Lover Man” や “Don’t Explain” を聴いてほしい。生涯、男に騙され翻弄された女の、哀しさ、弱さ、嘆き、優しさの叫びなのだ。そしてジャズ史に残る名作 “Strange Fruit”(奇妙な果実、ルイス・アレン作詞作曲/1939)。
残酷で恐ろしくも悲惨、たまらなくなる惨い風景。南部でリンチされ、木に吊るされたた黒人奴隷。それをビリーは淡々と歌う。胸奥に隠された怨念、怒りと痛み。それを押し殺すように歌う。耳を覆い逃げ出したくなるような恐い歌だ。
Southern trees bear strange fruit 南部の木には奇妙な果実がぶらさがる
Blood on the leaves and blood at the root 葉は血染まり、根にまで血を滴たらせ
Black bodies swinging in the southern breeze 黒い死体は南部の風に揺らいでいる
Strange fruit hanging from the poplar trees. まるでポプラの木に下がる奇妙な果実のようだ
・・・・・・晩年は、麻薬と酒で声も衰え、音程もリズム不安定、皆から見放される。
冠絶した不世出のジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイ。この胸に強く迫る歌声は何なんだろう。それはテクニックを超えたところにある歌心とメッセージと彼女の魂そのものである。
●「奇妙な果実」ビリー・ホリデイ自伝 油井正一・大橋巨泉/訳:晶文社
●「奇妙な果実・映画ビリー・ホリデイ物語」1972・監督シドニー・J・フューリー、出演/ダイアナ・ロス
● 「レフト・アローン」1960/ビリー作詞、マル・ウォルドロン作曲、ビリーのパートをジャッキー・マクリーン(as)が切々と歌う。
ビリーの最後の伴奏者として、ビリーへの哀悼の意を込めたアルバムとして、世間の評価は恐ろしく高いが、果たして?これは神話じゃなにのか?。マルの控えめなで内省的な演奏がひねくれた暗い世代に受けたのか?さほどのジャケットとは思えないが、
ビリーへの皆の思いが名盤にしたのでしょうね。
12/ 22nd, 2011 | Author: Ken |
J.S.BACH「マタイ受難曲」
創造主は人間があまりにも愚かな行為を繰り返すので再びノアの洪水を起そうとした。しかし人間も少しは良い事ことをしてきたので、何かを残そうとした。その中にバッハの「マタイ受難曲」は必ず入るだろう。こんな意のエッセイを読んだことがあります。
確かに「マタイ受難曲」は人類が作り上げた至宝といえます。300百年近い時を経ていまそれを聴く事ができ感動を憶えるのは何と素晴らしいことでしょう。峻厳で悲しみに満ちた前奏コラール、1727年4月、セント・トーマス教会で始めて演奏されたとき、老婦人が感極まって「神はここにおわしまする!」と叫んだという逸話を読んだこともあります。また、神は死んだ!と宣言したニーチェも「マタイ受難曲」を聴いたときキリスト教の真意はここにありしか!といったとか….。3時間を超える大作ですが、その一曲々を深く味わうとき、思わず「慈愛」という限りない優しさに包まれる自分を発見します。バッハの壮大な音楽宇宙、バッハの全てがここにあります。
でも不思議なことです。音楽という捕えどころのない空中に消えて行く空気の振動を、楽譜という記号・情報によって表し、何百年の時を経ても再現できる….。もちろん当時とは社会背景も人々の心情も楽器も演奏も違うでしょう。しかしバッハが創造した音楽の大伽藍に身を置くとき、この魂ともいえるものに触れる感動と歓びが込み上がります。もしわたしがロビンソン・クルーソーのように遠島になったとして「1枚のレコードを持っていっていい」。と言われたら、迷わずに「マタイ受難曲」を持っていくでしょう。
そしてカール・リヒター盤でしょう。トン・コープマン、小沢征爾、ドレスデン十字架合唱団、グスタフ・レオンハルト….様々な名演奏を聴く事ができますが、なぜかリヒターの熱い演奏に引かれます。…..終曲にいたり夕暮れに包まれて激情を通り越し、泣きはらした後の清浄なカタルシスまで、崇高な「音楽美」に強かに打たれます。
わたしはキリスト教信者でもないしむしろ無神論者ですが、人類遺産として宇宙空間に音楽の電磁波が光速度で広がる幻想を感じてしまいます。そう最初にラジオでTVで放送された「マタイ受難曲」はもうどこまで宇宙に広がっているのでしょう。ラジオが80年前とするとおとめ座70番星、はくちょう座17番星、しし座のアルギエバまで届いているのだろうか? そして銀河の果までも…..。
12/ 19th, 2011 | Author: Ken |
オラトリオ、ヘンデル「メサイア」
クリスマスが間近である。全国津々浦々でべトーヴェンの第九合唱が行われていることだろう。そしてヘンデルの「メサイア」も…。
そんなことを思いながら本棚を整理していたらこんなプログラムが出て来た。カトリック玉造教会「大阪カテドラル聖マリア大聖堂」落成記念コンサートだ(1963年)だ。沿革によると1894年、この地に聖アグネス聖堂が建てられ、玉造教会が誕生。戦災によって焼失したが、その後、仮聖堂を経て、ザビエル来日400年記念の年に建設された聖フランシスコ・ザビエル聖堂に引き継がれ、「聖マリア大聖堂」へと生まれ変わった。大聖堂の西北には、細川越中守の屋敷跡と伝えられている「越中井」が残されており、細川ガラシア夫人を記念して辞世の句碑が建っている。「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」…..聖堂正面には「栄光の聖母マリア」と左右には「細川ガラシア夫人」「高山右近」が描かれている。日本画家堂本印象の筆によるものである。
大聖堂のパイプオルガンは、2400本ものパイプを有する本格的なものだ。
コンサートは本岡栄三郎によるブクステフーデやバッハがあり、第二部は朝比奈隆史指揮、大阪フィルハーモニック・オーケストラ、パイプオルガン、ジャン・メルオーでヘンデルのオラトリオ「メサイア」であった。日本で最初に公演されたのはいつか知らないが、おそらくパイプオルガンやフルオーケストラで全曲を演じたのはここが始めてではないだろうか。僕はまだ生意気少年でヘンデルやオラトリオなんてちっとも知らないくせに聞きにいったのだ(イヤなガキですね)。そしてあの有名な第二部の終曲「ハレルヤ」
Hallelujah! For the Lord God omnipotent reigneth Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah!
ハレルヤ!全能の神が君臨しますように、ハレルヤ!
これは1743年、国王ジョージ2世の前で「メサイア」が初めて演奏された。そのあまりの素晴らしさに感動したジョージ2世が立ち上がって拍手を送り、観衆もつられて立ち上がり拍手を送った….。それ以来ハレルヤコーラスになると全員が立ち上がりスタンディング・オベーションを贈るのが倣いになったという。…僕は先に解説本なんか読んでいたから恥ずかしいのを堪えて立ち上がった。
隣の方や多くの聴衆が、あれ?何で立つの?妙な雰囲気でしたね。
時は過ぎ、バロックの二大巨匠ヘンデルとバッハを聴き比べてみるのだが、ヘンデルは公開演奏会用だから派手で豪華絢爛の趣きが強いが、バッハは純粋な教会礼拝用だから内面的、哲学的である。….というか作曲者の性格も出るのだろう。ある意味では受難曲の方がドラマチックであるとも言えるが….。
そんな壮大な音楽もいいが個人の楽しみとして室内楽の方が親しみを持てる。ヘンデルのフルートソナタ11曲、いつか全曲を…と思っていたのだが半分位で挫折した(今でも気持ちだけはあるのだよ)。これを一曲づつおさらいしていくのは楽しみである。
特にⅣとⅪが好きですね。バッハのフルートソナタと比べると以外と吹きやすく楽しめるのです。
12/ 6th, 2011 | Author: Ken |
嵐を呼ぶ男たち … Drum Battle
古い話だが裕次郎の大ファンの友達にいて「嵐を呼ぶ男」を見に行こうと誘われた。田舎町の映画館に中学生が二人して出かけた訳だ。ぼくはひねくれ者だから友達のようにとてもスゲエ!なんて思えないし、ドラム合戦の最中に痛めた手がスティックを落とす。と、マイクを引き寄せ歌い始めるんだ。〜オイラはドラマー〜ヤクザなドラマー〜そうしたら観客が熱狂して、白木マリだったかしらリズムに乗せて踊り始めるのだ。バンドも調子に乗って盛り立てる….。と、こういう訳だ。ぼくはそのころスィングなんて言葉もジャズもブルースの真の意味も知らなかったけれど(まあ、〜何とかブルースという歌謡曲なら知っていたけどね)。子どもながら正直照れましたね。おいおいそれジャズじゃねーだろ。だって歌に全然ビートないし、いくら芝居だといってもあの歌で興奮するわけ無いじゃん。あの当時は時代背景としてジャズが流行っていたんですね。ロカビリーなんてのも大流行りだった。進駐軍とそのキャンプで日本人もジャズを演奏したり憶えたりしたりで、後に彼らがビッグネームに育ったのだ。
高校生になりジャズの洗礼を受け本格的に聞き始めた。アート・ブレイキー、ホレス・シルバー、MJQなどのコンサートに無理して通った訳よ。輸入LPなんて手が出ないからジャズ喫茶(ミナミのバンビが多かった)に入り浸りになったりしてね。そこでブルースとは何ぞやとかインプロバイゼーションとか、ソゥルとかハードバップなんて言葉も憶えていった。
確か1964年だったと思う。4大ドラマーの血戦「ドラムバトル」がやって来たのだ。マックス・ローチ、ロイ・ヘインズ、フィリー・ジョー・ジョーンズ、シェリー・マン。そしてチャリー・マリアーノ、秋吉敏子、リロイ・ヴィネガートという錚々たる顔ぶれだ。端正で毅然としたローチ、奔放なフィリー・ジョー、危なげないヘインズ、そしてマンのクールなブラシワーク…。2回目のドラムバトルはアート・ブレイキー、トニー・ウイリアムス、エルビン・ジョーンズ、ケニー・クラーク?(ここの記憶が曖昧なのだ、確かケニー・クラークだったと思うのだがプログラムを無くしてしまった。誰か教えてください)。まあ、音楽の歓び、感性、興奮なんて到底言葉では表現できないものだから、当時無理して買った彼らのLPレコードをご紹介しよう。
●ローチとソニー・ロリンズには名盤が多過ぎるのだが「Worktime」、この「It’s All Right With Me」なんて!豪放で超スピードのフォーバースの掛け合い。これを聞くだけで嬉しくなってしまう。そしてクリフォード・ブラウンとのセッション。ブラウニーが本当によく歌い〜ああ、なんて素敵なんだ!….ドラムは本来リズム隊なのであんまり出しゃばると面白くない。長いドラムソロは聴き辛いね。
●フィリー・ジョーはサイドメンとして数々の名盤に登場している。マイルスとの一連のレコード、どれもこれも最高の出来だ。そして有名すぎるソニー・クラーク、J・マクリーンとの「Cool Struttin’ 」”気取り歩き”というその名の通りジャケットも新鮮であった。
●シェリー・マンはウェストコーストの白人でありハードバップの泥臭さや暑苦しさは少ないけれど、その軽い乗りが素晴らしいんだ。「Manne Hole」の「朝日のごとく爽やかに」なんてコンテ・カンドリーのトランペットが歌いリッチー・カミューカのテナー、一杯飲りながらいつまでも聞いていたくなりますね。
●ロイ・ヘインズは何でもこなす名手なんだが、ローランド・カークとのレコードなんて!カークのアーシーで、アブストラクトで激しい演奏は迫力満点だ。このフルートを聞いてみてよ!そして「We Three」このトリオ演奏は歌うようなドラミング、多彩なテクニック。息の合った三人の緊張感が心地いい。
もうジャズを聴かなくなって30年も経つ。何故かッて?ジャズとは演奏者にこそ意味がありその個性と技能、表現なんだ。そしてその時代を切り開く全く新しいサウンドにこそ意味があるのだ。彼らが歳を取り情熱が薄れ自己模倣の繰り返しになれば、それはもうモダンジャズじゃない。懐メロだ。名手たちが去り次代の若者たちも革新を失った。それはジャズというスタイルの音楽であり軽音楽の一派でしかない。もっと過激であれ!いままで聴いたことのないサウンドを聴かせてくれ!あの時代にはあんなに熱く激しくあったじゃないか!